日伊親善フットボール大合戦・中
タラント:運動場
やはりと言うべきか、剣道の日伊対決は日本勢の圧勝であった。
対してフットボールはといえば、まったく対照的な試合運びとなっていた。後半戦が始まったばかりの段階で、彼我の得点は15-1という悲劇的な状況。元気だけは有り余って『天鷹』乗組員であるが、球技に関してはずぶの素人だらけだから仕方ない。むしろたった1回であれゴールを決めることができたこと自体、奇跡と言うに値することなのかもしれない。
それでも監督役なる高谷少将は、大変にご立腹といった様子だ。
昔ちょっとやったことがあるとか物好きな上官に付き合わされたとか、まだできる選手でそんな具合だった。だもんで檄を飛ばしたところでどうにもならず、一方で嫌な審判が黄や赤の紙ッぺらだけは飛ばしてくる。手でボールを掴んではいけない、相手を蹴り飛ばしてはいけない等、最低限のルールは把握しているものの、逆に言うならその程度の理解でしかないから、何かと反則切符を切られてしまうのである。
お陰で既にコートには9人しかいない。当たり前だが、野球と勘違いした訳ではない。ふと耳を澄ましてみれば、不用意に空手技を用いて退場させられた秋元中尉の、何とも猛獣的なる咆哮が聞こえてくる。
「ランチェスターの式によると、個々の能力を同じとしても、戦力は121対81……」
呆れたような声の主は、『天鷹』艦長たる陸奥中佐。
「少将、いったい何故こんな分の悪い勝負を受けてしまったので?」
「いやな、直々に申し込まれた以上、逃げる訳にはいかんだろう」
「そういう妙に負けず嫌いなところに付け込まれたのでは?」
「とにかく今は目の前の果たし合いに集中せい」
まったく歯切れの悪いこと極まりない。
実のところ酔った頭で安請け合いした結果だと、正直に打ち明けていないのだ。当初は勝ってしまえば問題ないと息巻いていた高谷だが、地球の反対側から蟻が歩いてきそうなくらい甘い見通しで、今や見る陰もありはしない。
なお唯一事情を理解している鳴門中佐は、時折何か言いたげな顔をしながら、イタリヤ人と喋ったりしている。
そうした惰弱な態度に顔を顰めた矢先、優男風の選手が更に1点を決めてしまった。沸き立つは嘲笑気味なる歓声。怒髪天を衝きそうだが、何を言っても負け惜しみにしかならぬので、獣みたいに唸ることしかできぬ。
「いやはや、見られたもんじゃありませんなこれは」
「あん……!?」
心底苛立たしな声色で高谷は応じる。
だが声の主が誰かを理解するや、反応は急変した。オギャアと生まれた時からボールが友達。そうとでも言い出しそうな面持ちで、大問題児たる打井少佐が目の前に佇んでいるのである。
「ダツオ、ダツオじゃないか! いったい何故ここにいるのだ?」
「自分は今、航空戦術研究の絡みでドイツに出張中でして。フットボールと聞いて駆け付けました」
「いや、ここはイタリヤだぞ?」
「細かいことはいいじゃありませんか。ともかくも我等が『天鷹』乗組員が、イタリヤのナンパゴロツキなんぞに一方的にやられていていいはずがありません。ここは自分が出て、一矢報いてきます」
「そうか、何だかよく分からんがよし。ダツオ行ってこい!」
実際選択肢なんて他にない。高谷はともかく頼み込む。
ところで当然のことだが、ベンチにも入っていない者が試合に出られる道理などない。だがそこは日伊両軍の野良試合。せっかくの来客であるし、まあいいんじゃないかと雑に判断がなされた結果、打井の出場が認められてしまったのである。
「ははは、稲妻ドリブル戦法だ!」
口から出任せの必殺技だが、確かに潮目は急変した。
試合に乱入した打井は猪突猛進の勢いでボールを奪取し、目にも留まらぬ速度で突き進む。完璧なる独断専行プレイである。だが戦は流れというのは球技も同じ、まず得点して主導権を握り、味方の弛緩し切った雰囲気に喝を入れなければならぬ。
そうしてイタリヤ人の守備陣形を、次から次へと摺り抜けていく様子は、まさに稲妻さながらであった。
近付く者は皆殴り飛ばさんばかりの気迫でもって、実に蛮族的だが的確なボールさばきでもって、打井は一気呵成にゴールへと肉薄する。そして竜巻の如きシュートを放った。ボールは驚愕しつつも即応せんとするキーパーの頬を掠め、見事ネットを揺らした。まさしく会心の一撃である。
「見よ。これぞ大和魂!」
早速の得点に、押される一方どころでなかった『天鷹』組が沸騰した。
もしやいけるのではないか。苦境にあって最重要なものの1つは、かような希望的観測を抱かしめることに違いない。
とはいえ相手は強豪イタリヤ、11人までなら最強の集団だ。
軍隊でフットボールをした話をして恋人を辟易させることに定評のある彼等は、蔓延していた油断をすぐさま戒め、本気でかかってくる。勢いに任せて目の前のボールを追いかけることしかできぬ『天鷹』組は、その有機的で連続的なるパス回しに翻弄される一方で、あっという間に2点を返されてしまった。
「お前等、ダンゴになるな!」
「己が役割をきちんと意識しろ!」
打井は球技に関しては頼りない味方を叱咤しつつ、北太平洋上空での混戦模様を思い起こす。
にわか仕込みの選手団で、おまけに9人しか場にいないのだから、あの時よりも状況は圧倒的に悪い。だが自分がここにいる以上、如何なる言い訳もあってはならず、またむざむざ負けていいはずもない。
(むッ……!)
俯瞰と注視を交互に繰り返す双眸が、あらぬ方向へと跳ねていくボールを捕捉する。
反則すれすれの強襲突撃に慄いたイタリヤ選手が、少しばかり手違いならぬ足違いをしてしまったのだ。そしてその落下軌道の先は、どうしてか敵味方の視線がまるで集まっていなさそうな領域があって、その中央に諏訪中佐がポツネンと忍んでいたのである。
「おおッ、好機到来!」
打井は思わず拳を握り、
「中佐、こちらへ!」
そう叫んでいる間にも、素早い送球がなされる。
問題は諏訪の蹴り加減が出鱈目だったことで、大きく宙を舞ったそれは、頭で受けるしかなさそうな軌跡を描いてしまった。
「だが……何のこれしき!」
腹の底より捻り出したる大音声とともに、打井はゴールを背にして跳躍宙返り。
視界の上下が入れ替わる中、幾多の空中戦で鍛えられた動体視力が冴え渡る。そうして天に向かって大きく伸ばされた彼の右足は、ボールの落下軌道と見事なまでに交叉していた。
「お、おおッ!」
「まさかッ!」
突然の曲芸的行為に誰もが瞠目する中、信じ難いシュートが決まる。
それだけでも全観客を唸らせるに十分だったが、勢いよく蹴り出されたボールは追加点に向かって大驀進。イタリヤのキーパーは確かな実力者で、冷静沈着に両手でもって防御したが……僅かに及ばなかった。弾かれたボールはクロスバーにズギューンとぶつかった後、ゴールの内に落下したのである。
「流石ダツオ!」
「俺達にできないことを平然とやってのける!」
当人が着地に失敗して盛大に転がる中、割れんばかりの歓声が巻き起こる。
日本語ばかりでなく、イタリヤ語のそれも混ざっていた。敵ながら天晴れ。対戦相手の妙技を絶賛するという、まったく見上げたスポーツマンシップに違いない。
ただ残念なことがあるとすれば――あまりそれが長続きしなかったことだろう。
「これはまさに真珠湾奇襲攻撃的……いや、ここはタラントであるから、タラント湾奇襲攻撃的一撃だ!」
「そうだ、タラント湾奇襲攻撃だ!」
得点した打井の短絡的なる雄叫びに、『天鷹』の面々が挙って囃し立てる。
だが昭和15年の11月11日に、あるいは正確な日付を覚えていなくとも何年か前に、この地おいて如何なる戦闘があっただろうか。それを記憶していることを彼等に期待する方が間違いだが――実のところ悪意のない公然侮辱に日本語を解する者がまずいきり立ち、万歳の唱和回数に比例して、イタリヤ海軍士官達の紅潮度合いが増していく。
「この野郎、馬鹿にしやがって!」
罵声とともに拳が飛ぶまで、さほど時間はかからなかったのは言うまでもない。
次回は6月2日 18時頃に更新の予定です。
北米沖での拙い戦いぶりがサッカー場でも再現されます。改善される日は来るのでしょうか?
あと当時の航空士官でタラント湾奇襲という重要事例を覚えていない……というのはあり得るのかな? という気もちょっとしています。




