ベルリン防空見物任務
ブランデンブルグ近郊:ハーフェル川上空
空を埋め尽くさんばかり四発機の大編隊が、ドイツ第三帝国が首都たるベルリンに向けて白昼堂々驀進していく。
合衆国陸軍航空隊第8航空軍が誇る、大変なる頑丈さで知られる空の要塞B-17だ。1個中隊が寄り集まってコンバットボックス陣形を取り、防護機銃でお互いを援護し合える態勢を維持している。しかもそれが数十個、合計500機超の大編隊ともなれば、天下無敵の大空中艦隊と見えるに違いない。
とはいえ大編隊の近傍では、既に熾烈なる航空戦闘が始まっていた。
今回の爆撃作戦では最新鋭の長距離戦闘機P-51Dが200機以上、護衛として随伴していたが、半分以上が引き剥がされてしまっている。その間隙を突いたメッサーシュミットやフォッケウルフにより、先頭集団を中心に20機ほどが喪われており、この先に更なる地獄が待ち構えているのかと思うと、誰であれ震えを抑えられない。それを武者震いと断じて堪えられる者だけが、秀でた爆撃機乗りとして認められるのだ。
もっとも――神は優秀なる者、勇敢なる者を傍らに置きたがる。
ドイツ本土爆撃が始まって以来、犠牲となった爆撃機乗りは何万という数にも上っている。自分がそこに含まれるか否かは、困ったことに神のみぞ知るところだ。
「だから皆、少しばかり罰当たりに行くぞ」
機長のランコム大尉はカラ元気を振り絞る。
これまた空虚さの滲む応答が返される。戦死するとしても誰かと一緒というのは悪くない、皆そんな気分であった。
「敵を追い払うのが得意なフレンズは、まだ傍にいてくれているか?」
「ええ。ピタリと随伴してきてくれています」
「よし。目標まであと25マイル、あと10分。忌々しいベアリング工場を瓦礫に変えて、さっさと戻るとするぞ」
ランコムは張り上げ、意識を集中させる。
エルクネル地区のベアリング工場は、新型のAZON誘導爆弾を用いた精密爆撃によっても破壊できていない、厄介なこと極まりない目標だ。恐るべき戦闘機に加え、多数の高射砲によっても防護されているから、できることならお近づきになりたくない。
それでも友軍の被害を減らし、祖国に勝利を齎すには、必ず打ち砕かねばならない。
それを成し遂げるのは他でもなく自分だ、ランコムは己が戦意を高揚させる。この期に及んでそう意気込むことができた彼は、勇者という称号が相応しい人物と言えるだろう。
「十時上方に敵機、向かってくる!」
緊迫した声が機内に飛び込み、
「な、何だあれは……通常の3倍は速いぞ!?」
「噂のジェットか」
組んで長い機銃手のベンを、ランコムは一々疑ったりはしない。
努めて冷静さを保ち、すぐさま航空無線でもって中隊に警報を発した。迎撃態勢を整え自分達が生命を守る上で、恐怖を表に出してはならぬのだ。
だが鳥肌と寒気はまったく静まらなかった。
真新しい成層圏爆撃機B-29の写真偵察に向かったのを、瞬く間に撃墜したという鉄十字の邪悪龍。時速800キロ超で突っ込んでくるそれが相手では、防護機銃の弾幕すらまったく心許ない。あまりの高速故にドイツ人パイロットが照準を仕損じるよう、神に祈るしかないような状況だ。
あるいは――敵機を追い払うのが得意なフレンズはどうかと思って一瞥したら、今になって増槽を落としているあり様だった。
「こっちに来るんじゃない!」
「落ちろ、落ちろ!」
機銃手の罵声とともに放たれる50口径弾の槍衾を、敵機は易々とすり抜けていく。
プロペラを持たぬ双発戦闘機の、火吹きトカゲを思わせる禍々しい機首。そこに束ねられた30mm機関砲が瞬いた。狙われたのは隣を飛んでいたハッチンス大尉機。主翼を根本よりもぎ取られ、死に至るダンスを始めたかの機より、乗組員が脱出する方法などあるはずもない。
「ふざけやがって!」
視界を横切っていく敵機に、ランコムはありったけの怒声を浴びせる。
そんな中、25回の出撃を終えてもなお戦場にあり続けようとした中隊長機までが炎に包まれ、無慈悲にも爆発四散する。たった1航過で2機を食らった暴龍の群れは、緩慢なる弧を猛烈なる速度で描き、貪欲にも他の編隊へと食らいついていく。
「畜生、今日は人生で最悪の日かもな……」
僅からながら安堵を覚えてしまった己を恥じつつ、ランコムは絶望的なる声を漏らす。
爆撃航程は言うまでもなく残っている。基地に帰り着くまでの間に、いったい何機が撃墜されるのか。それ以前に自分達はベアリング工場上空まで辿り着けるのか。そう思うと、まったく意味をなさない獣的咆哮を上げたい気分だった。
そして合衆国陸軍航空軍にとっても、その日は最悪の日となった。
ベルリン爆撃を目指した500余の重爆撃機の被害は、未帰還だけで90を超え、それに近い数が使い物にならなくなったからだ。それもドイツ本土まで到達可能な護衛機を随伴させて、これだけ甚大なる損害を被ったという訳だった。東京爆撃の功あって第8航空軍司令官にもなったドゥーリトル中将は、「信じて送り出した爆撃隊がルフトヴァッフェの迎撃網にドはまりして云々」と呻き、暫く発狂してしまったそうである。
ベルリン:日本大使館
「世界首都ゲルマニアは砕けない」
かの宣伝文句がただの戦意高揚の標語に非ざることは、もはや明らかと言う他ない。
最新鋭のジェット戦闘機Me262すら投じたドイツ空軍は、物量を頼みに押し寄せる米英機をあちこちで叩きのめし、更には高射砲で撃ちまくり、半月ほどでその非人道爆撃作戦を遂行不能にしてしまった。報じられたる戦果に太っちょのゲーリング国家元帥は満足げで、ラステンブルクの総統大本営にて酷く酔っ払いながら、米英の飛行機はそのうち1機も飛んでこれなくなると大言壮語したという噂だ。
とはいえそれは、市井の被害が過小という意味ではない。
敵は毎回のように何百もの重爆撃機を揃え、それこそ昼夜を問わず、投弾量数千トンという大規模空襲を反復してきたのだ。6月に入ってからのベルリン市民の犠牲は数千人にも上っているし、ポツダム広場に面した建築物があちこち焼け焦げていたりすることからも分かる通り、住処を失った者も何万という数にもなっている。
それでもドイツの戦時生産は、衰えを見せぬどころか、想定以上に伸びているのもまた事実。
例えば昨年の航空機生産は2万5000機という圧倒的なる数値を記録したものだが、今年はその倍を見込んでおり、米英による戦略的爆撃を経ても下方修正は不要と判断されている。戦車や各種軍用車両、火砲に関しても似たような状況だというから、まったく大したものだと驚嘆するしかない。
「でもって貴官の部隊は、ここに大なる貢献をしたという訳だ」
大使館の応接室にて、杏野という妙な雰囲気の大佐が言う。
「シアトル爆撃でボーイングの工場に与えた被害は、直接的には大したものでなかったようではあるが……アメ公どもは西海岸の安全を保障するため、多数の爆撃機を張り付けておかねばならなくなった。その分、ドイツ本土空襲に回せる機が少なくなったという寸法だ。実際ヒトラー総統はかの作戦の成功を殊の外喜び、我が国に有利な技術協定の締結や最新鋭兵器のライセンス供与に繋がったというから、『蒼龍』の犠牲も無駄ではなかったろう」
「大佐、そんなことは百も承知です!」
階級差を考慮した形跡のない台詞は、暴れん坊な打井少佐のものだった。
横須賀航空隊で要撃管制に関する研究と幾多の喧嘩をやっていた彼は、基地司令を様々な意味で瞠目させた末、同分野において先行するドイツへとやってきていたのである。
「そもそも北米作戦自体、ドイツからの依頼で始まったという話じゃありませんか」
「ふむ、それなりに詳しいな」
「そりゃ噂はあれこれ聞きますもので」
打井は少しばかり得意げに鼻を鳴らし、再び眼光をぎらつかせる。
「それはそうと艦隊防空の効率化をもってチンピラゴロツキの米英機を1機でも多く捻り潰せるようにし、撃墜王の量産体制を構築するためには、この間の爆撃に関する情報を至急集め、全身全霊をもって分析し、内地に戦訓を送らねばならんのです。どういう電探でもって敵を探知し、操作要員が表示装置から如何に情報を読み出し、電波画面上で敵味方を分類して友軍機に指示を出すか……これは大変なる難題に他なりません。故に自分はこんなところで油を売っておる訳にはまいりませんし、ましてやイタリヤになんぞをぶらつく暇などありません」
「君な、早口な上に眼が血走り過ぎた。ヒロポンを使い過ぎてはおらんかね?」
「いえ。出撃の時は軍医に処方されとりはしますが、どうしてか自分はあれが昔から効かん体質でして」
「はあ、なるほどな」
杏野は呆れた顔をして溜息。
つまるところセルフポン中じゃないかとボソリと漏らし、確かに脳内ヒロポン状物質が常時分泌されてそうな人間だと納得する。ただ打井が耳聡く怪訝な顔をするので、わざとらしく咳払い。
「まあとにかくだ、決まってしまったものは仕方ないから、貴官にはタラントに行ってもらわにゃならん。新兵器の引き渡しとて重要な任務であるし、やってくるのは貴官が乗っておった艦なのだぞ?」
「え、つまりは『天鷹』ですか? それはまた初耳なのですが!?」
「いや、何度も説明したはずだが……ちゃんと聞いておらんかったのかね?」
「申し訳ございません。以後気を付けます。それと新兵器引き渡しのためタラントに向かいます」
以後まったく気を付けなさそうな調子で打井は詫び、杏野はまたも大きな溜息。
それでも甚だしく向こうっ気の強い、しかもやたらと蛮的なところのある少佐に、何とか命令を受領させられたかと思った。イタリヤ本土まで『ファルコ』を護衛し、仏高速戦艦2隻を連れ帰ることとなる『天鷹』には、Me262の実機やジェットエンジンに加えて新型電探や敵味方識別装置まで積み込まれる。そうした事実を踏まえれば、もっと快く引き受けてしかるべきと思うが、話などさっぱり聞かん性質なのだからどうしようもない。
「ああ、それと言い忘れておったが」
さっさと退出しようとする打井を呼び止め、杏野は個人的趣向に対する親切心の心算で言った。
「ドイツ人もそうだが、イタリヤ人だってフットボールは大変に強い。何なら向こうで手合わせ……いや手を使ったら反則か、足合わせでも願ってみたらいいと思うぞ」
次回は5月27日 18時頃に更新の予定です。
史実ではこの頃にはほぼ抑え込まれていたドイツ空軍ですが……米英の戦略爆撃機があちこちに引っ張られてしまったりした結果、まだまだ元気いっぱいです。
打井少佐が目をぎらつかせながらやっている研究も、そのうち日の目を見るかもしれません。




