地中海遠征大航海④
ジブラルタル:地中海艦隊司令部
「考えなしの馬鹿、突撃しか能のない蛮族集団!」
「紳士気取りのヘタレ野郎! 紅茶をキメ過ぎて敵前逃亡か!」
「本丸の欧州総反攻の予定が狂ったらどうするのだ間抜け!」
かような罵声の飛び交うそこは、会議室というより喧嘩居酒屋であった。
居並ぶ米英の佐官将官が大まかに二手に分かれ、まったく慎みも年甲斐もなく、大乱闘撲撃ブラザーズとなっている。これでも19世紀と比べればだいぶ大人しくなったというから驚きだが、士官を志す人間はニトログリセリンのような性格をしている場合が多いので、一度火が点くとドカンと爆発してしまうのだ。
いったい何故こうなったかというと、ハスキー作戦が始まった直後に、その前提がガラガラと崩れてしまったからだ。
サルディーニャ島上陸を目論むかの作戦は、地中海に枢軸軍の稼働空母が存在しないと判断されたが故、発動に至ったという経緯がある。しかしイタリヤ海軍の『アクィラ』を撃破したと思ったら、今度は『天鷹』ともう1隻がスエズ運河を通過中という情報が、現地連絡員より齎されたのである。
「ええい、何故あの食中毒空母は毎度毎度邪魔しに来るのだ!?」
連合国軍の将校達が異口同音にそう絶叫したのは言うまでもない。
だが問題はその後。機動部隊や火力支援部隊に加え、揚陸船団の第一波が既に出港していたこともあり、主にアメリカ人は作戦続行を声高に主張。それに対する英国人はといえば、緒戦で新鋭空母を誘拐し、インド洋戦略を見事にぶち壊しにしてくれた『天鷹』への猛烈なる怒りはあれど、前提条件を満たさなくなったと慎重論を唱える。真珠湾攻撃以後の損害という意味では似たようなものだが、戦力補充能力の差が故ということなのだろうか。
そして双方一歩も譲らず、睨み合いの膠着状態が続いた末、遂には直接衝突に発展してしまったのだ。
室内には殴り合い蹴り合いの末に打ち据えられた少将やら、頭から血を流した大佐やらが、浜辺に打ち上げられた魚のように転がっている。そうした惨状を見るに、刃物や拳銃を持ち出す馬鹿者がいなかっただけ幸いだったと言うべきなのかもしれない。
「とはいえ、そろそろ落ち着いたんじゃないか?」
地中海方面の最高指揮官たるアイゼンハワー大将は、醜態を晒したる者どもを前に言う。
「私は何も見なかった。君等もスッ転んだりして怪我をしただけだ。いいね?」
「あっはい。しかし大将、結局どうなさるので?」
「先程、連絡があってな……」
アイゼンハワーは忌々しげに顔を歪め、
「ホワイトハウスとダウニング街10番の間にも暴風雨が吹いている」
「つまりは、作戦中止ですか?」
「中止かどうかは分からんが、少なくとも予定通りにはやれん。昨年のマダガスカルのようになっては拙いからな。残念だが、揚陸船団もオランに戻すしかないだろう」
無力感に満ち満ちた溜息が部屋のあちこちで漏れる。
いざ上陸開始と思いきや、とんだ番狂わせだ。あと2か月もすると厄介極まるイタリヤ新戦艦2隻も戦列に復帰すると見られているのに、どうしてこんな展開になってしまうのだろう? 先程は欧州総反攻への影響を懸念する声もあったが、そもそもこの体たらくで勝てるのかと思えてくる。
「とはいえ……これでよかったのかもしれんな」
奇妙な安堵とともに、誰かがボソリと呟いた。
「食中毒空母が出てくると、何故かいつも訳の分からないことになる。正直相手したくないよ」
東地中海:ペロポネソス半島沖
アレクサンドリアを出発した第二特務艦隊は、明媚なる地中海を堂々と進んでいく。
航路は明確にギリシヤ寄り。クレタ島からペロポネソス半島、イオニア諸島と経由して、タラントへと至らんとする航路である。このところは東地中海にまで米英の潜水艦が侵入しているらしく、先月は戦艦『カイオ・ドゥイリオ』が雷撃を受けて沈没するという事態に見舞われていたから、空軍機の援護があるに越したことはない。
それに加えて面白いのは、プラトンやアルキメデスがいた時代の遺跡を、洋上より望めたりすることだ。
航空母艦『天鷹』の飛行甲板においては、幾つもの都市国家が繁栄した時期の荘厳なるドリス式建築を、ワラワラと集まってきた非番の乗組員が見物していたりしていた。田舎者丸出しな雰囲気を全力で垂れ流しながら、甲板士官の「あの辺りで神話的な戦争があって、木馬の計でトロイの街が陥落した」などという出鱈目に耳を傾けたりする。かのシュリーマンが発掘作業を行ったのは、ここから北東に600キロほど彼方のトルコであるのは言うまでもない。
「だが……浮かれている場合ではあるまい」
第七航空戦隊の高谷少将は、司令官室の机上に再現された戦況を鑑みては、大してない頭を捻っていたりする。
それから挙動不審だが専門分野に関しては役に立ちそうなデンパ、つまりは通信参謀の佃少佐を呼び寄せて、敵の動きに関連しそうな質問をするなどしていた。
「それで、敵揚陸船団が出たのは間違いないんだな?」
「トラヒックの変移から見てほぼ間違いないです……ひっく」
酒を飲んだ訳でもないが、佃は何故かしゃっくり。
瓶底眼鏡で小太り、始終通信室に籠っているこいつは、町の怪しい博士に軍服を着せたような気配である。
「ただオランから最短距離で向かってはこないかもしれませんし、そもそも揚陸地点も絞れてないかと」
「まあチュニス近辺かサルディーニャの二者択一だろ。距離としてはさほど変わらん」
「少将、その辺いい加減ですよね……うひっ」
「デンパな、良い加減という奴だと言ったろ」
高谷は自信満々で、それからサトウキビ汁をチョイと啜る。
アレクサンドリア名物だというから買い込んだそれは、飲んでいると妙に頭が冴えてくる気がする逸品だった。
「敵機動部隊はまだメノルカ島の東辺りにいるようだが、上陸が近付けば間違いなくティレニア海に侵入してくる。増援を阻まないといけないからな。そこをぶん殴ってやるのだ」
「ですが少将、今回は英海軍の装甲空母がおるそうじゃないですか」
口を挟むは艦長の陸奥大佐。
「前線に出てくるとしたらそちらでしょう。最近就役した『大鳳』と同様やたらと抗堪性が高く、50番の直撃にも耐えるそうですから、まるで身持ちが固くて気の強い女騎士が颯爽と現れるようなものかと」
「ムッツリ、何でも女絡みの話に結び付けないと死んでしまう奇病に罹っておるんじゃないか? どれ、俺が直々に治してやろう。特効薬は拳骨だ」
「いえいえ。自慢じゃありませんが、これまでプラムの類とは無縁でして。それに……」
陸奥はギリシヤの賢人ソクラテスもかくやという顔をし、
「気の強い女は尻が弱いなどという都合のよい法則は存在しませんが、気の強い女の尻を攻める浪漫は確実に存在します」
「いい加減にしろ、何が尻を攻める浪漫だ!」
流石にでかい癇癪玉が炸裂した。
だがいったいどうした訳か、奇妙なほど柔軟性のある思考が同時に発揮されてしまった。相手が重厚なる装甲をまとっていようと、例えば北大西洋で沈んだ戦艦『ビスマルク』のように、舵をやられてしまうことだってあり得るではないか。かの如き着想を得た高谷は、頭の中で本当に検討を始めてしまい、単純なる放言をしただけの陸奥を戸惑わせる。
それから居心地が悪そうな佃をさっさと解放し、現有戦力で実行する方法を雑に語っていく。
聯合艦隊司令部の嫌がらせのため天山艦攻は少数しか搭載しておらず、航空魚雷も碌に在庫がないので、雷撃隊は正直なところ頼りにならぬ。それ故、敵艦の艦尾付近を集中的に爆撃して舵を損傷させられぬかとなり、新たに呼び出された飛行隊長の博田少佐が、また無茶苦茶な思いつきで物事を進めようとすると痛烈なる難色を示したりする。
もっとも連合国軍が作戦中止を決めてしまっていたから、結末はどうあっても変わらない。
自らエジプトの神々に希った内容が、まったく説明不足な形で叶えられていた。その事実に高谷が気付くのは、世界大戦終結が終わりを迎えてから何年も経った頃である。
次回は5月21日 18時頃に更新の予定です。
連合国軍の上陸作戦が何時の間にか瓦解してしまいました。
読者の皆様、色々とご期待いただいていたところ、このような形となってしまい申し訳ございません。でも何処かの誰かが"空母怖い病"に罹ってしまっているのです……。




