トレス海峡通せんぼ
アラフラ海:ニューギニア島南方沖
年が明けて暫くした頃より、常夏のニューギニアは一大航空決戦場となり始めていた。
連合国軍の大反攻が、太平洋戦線においても現実のものとなったのである。空母機動部隊すら用いた米豪遮断作戦によっても尚、押し留め得なかった大波濤が、遂にそこまで達したと言うべきだろうか。圧倒的機械力によって豪州北東やニューヘブリディーズ諸島に構築された複合航空基地群より、B-17やB-25といった爆撃機が連日のように飛び立ち、護衛戦闘機を伴って殴り込んでくるのだ。
もっともそれを迎え撃つ側もまた、万端とまでは言わぬとしても、十分以上の防備を周到に整えていた。
日本列島に倍する陸域面積を有するニューギニア島および付属の島嶼は、帝国陸軍にとっては大東亜戦争の決戦地に他ならぬ。そのため蒋介石が南京政府に降り、大陸戦線がようやくのこと終結へと向かったのと前後して、まず新編の機械化飛行場設定隊を含む一大工兵部隊が送り込まれた。数百という航空機が同島の滑走路に着陸し、仕上げとばかりに有力なる6個師団が続々と上陸。瘴気に満ちたる熱帯雨林とマラリヤの猛威に悩まされ、少なからぬ犠牲を払いながらも、ポートモレスビーやラエ、メラウケといった要地を次々と堅固な要塞へと変えていっていた。
「考えてもみろ、陸軍が集積したる部隊の数を……我々はここで戦が終わるまで戦い抜ける」
第八方面軍を率いる今村均中将は、酒の席で怪しげな椰子酒を呑みながら、かように豪語したという。
それが虚勢の類に非ざることは、それからほぼ1年に亘って繰り広げられた航空撃滅戦が、如実なまでに示していた。本格稼働を始めた米産業力と豪州という兵站拠点の組み合わせは、確かに大変なる驚異にして脅威であったが、日本軍もまた開戦劈頭に占領したフィリピンやセレベスを後方集積地として積極的に活用。また補給線の相対的な短さや作戦正面の少なさ、迎撃戦主体が故の地の利などにより、どうにか互角の勝負とすることができたのだ。
とすれば昭和19年の春先ならば、日の丸の翼が元気いっぱいで当然であろう。
期待を込めて大東亜決戦機と呼ばれたる最新鋭の疾風は、誉エンジンの不調に泣かされながらも獅子奮迅の働きをし、鍾馗や屠龍は爆撃機をコテンパンに叩きのめす。ピカピカの新鋭機と比べれば多少見劣りしてきた歴戦の隼も、上空直掩や重爆の護衛、ゲリラ的な敵航空基地襲撃などでその健在ぶりを存分に示していた。
なお連合国軍のパイロット達は、それでも多数の撃墜と地上撃破を報告しているのだが――前者は大概過大であり、後者はほぼベニヤの囮機を破壊しただけである。
「しかし何だ、ここらの敵はなかなか剣呑だな」
名ばかり航空戦隊司令官の高谷少将は、やたらと飛んでくる米軍機に辟易する。
下段格納庫の積荷や大発動艇、哨戒用の天山艦攻を除けば、『天鷹』が搭載しているのは零戦ばかり。故に艦隊上空に張り付けておける機数に余裕があり、更にはチモール島やニューギニア南岸に展開している陸軍飛行隊が諸々の支援をしてくれるから、多少の空襲ではまるでびくともしないのは事実である。
とはいえそれでも、敵はなかなか諦めてはくれないのだ。
沿岸用兵器を満載した輸送船団と護衛艦艇を引き連れてアラフラ海へと入って以来、鈍重なボーファイターだかボロファイターだかを伴ったB-25が、何度もしつこく襲ってくる。それも妙な低空飛行での攻撃だ。直掩機がそれらを面白いように撃墜し、何故か対空砲火もよく当たったりするものだから、今のところ被害は中型貨物船1隻が至近弾を食らっただけで済んでいるのだが――まったく鬱陶しいこと極まりない。
「なあメイロ、何か分かるか?」
「少将、何かでは分かり兼ねます」
少し先の海図を睨んでいた航海参謀の鳴門中佐は、まず困った声を上げてみせる。
「それでもまあ……曲がりなりにも大型の改装空母に陸軍の特種船、特務艦なんかが勢揃いしている状況で、狙われると思わぬ方がおかしいのでは? 戦略上重要な兵器も運んでおる訳ですし、それを連合国のスパイに悟られたのやも」
「戦略上重要な兵器? 何だったかそれは?」
「少将、機雷ですよ」
「おいメイロ、上官に向かって出し抜けに嫌いとは何だ!?」
高谷は顔を紅潮させて怒鳴り、
「ふざけやがって、戯けた根性を叩き直しちゃる」
「その……"Naval Mine"の方です、好き嫌いの嫌いでなく」
「あッ」
「狭隘な多島海なるトレス海峡に機雷を敷設しておけば、たとえ木曜島が陥落するような事態となったとしても、豪州東西間の移動を妨害し続けられる。また同海峡の封鎖によってダーウィンやブルームなど豪州西北岸の根拠地を孤立させれば、南方に新たに構築する機雷堰の効果と相俟って、シンガポール航路に対する潜水艦の脅威も減殺できる。そういう話だったではありませんか」
「お、おう。たまには古典的三文芝居をやりたくなってな、そういう日もあるだろ」
まったく酷い誤魔化し方もあったものである。
実のところ機雷輸送および敷設に関する説明は、ダバオ基地を出撃する前の会議で散々やったのだが、ウトウトしていて真面目に聞いていなかっただけでしかない。極寒の北太平洋から急に赤道直下に移動したものだから、腕力自慢の高谷も知らずのうちに疲弊していた可能性もなきにしも非ずだが、普段通りと言えばまったく普段通りだ。
「というより少将、少し前に機雷用の砂糖をギンバエするのが出たと騒ぎになったでしょう」
「あったな。だがメイロ、機雷と砂糖に何か関係でもあるのか?」
「ええと……」
鳴門は色々と大丈夫かと不安を覚え、またも上官の機嫌を損ねたりした。
だがハーグ会議で採択された自動触発海底水雷の敷設に関する条約には、管理を外れたる機雷は1時間以内にその機能を失わねばならぬと、疑いようもなく明記されている。またそのための機構として、海軍が調達している機雷には、金属筒に充填された砂糖が海水に溶けることによって時限作動する信管無害化装置が備えられている。相当に有名なるかの事実を突き付けられ、高谷は気まずい表情を浮かべた。
「しかし原始的ながら興味深い機構であるよな」
暫く押し黙っていた後、高谷は唐突に暢気なことを言い放つ。
「加えて……どうにも引っ掛かるところがある」
「砂糖を用いた時限装置にですか?」
「うむ。言葉にし難いが、大変に重要な要素が含まれている気がしてならん」
「まさに気のせいという奴では?」
「メイロ、俺のヤマ勘は案外当たるのだ。兵学校の受験でも多分、それで3問くらい乗り切っておるはずだ」
高谷は褒むべきところの見当たらぬ自慢話をしてのける。
良い海軍士官は真似しないようにとの但し書きが必要そうな雰囲気だ。もっともそんな出来のいい人間ならば、今頃『赤城』や『翔鶴』なんかに乗り組んでいるはずだから、結局のところ何を言っても駄目なのかもしれない。
ともかくもそんな調子で、沿岸用兵器の輸送任務は進んでいく。
目的地に到着するまで、米軍機による空襲は更に2度も実施された。特に日暮れ間際に行われたそれは随分と規模が大きかった。護送船団の要たる『天鷹』への攻撃を封殺したのは当然としても、不運な中型貨物船1隻が大破炎上した末に放棄され、元ノルウェー船籍だかの特務艦『根室』が中破するような結果となってしまった。
それでも零戦隊の奮戦によって敵航空戦力は消耗し、更には陸軍の高速爆撃機隊がケアンズやらタウンズビルの飛行場を集中攻撃してくれたものだから、木曜島での荷下ろしやその後の機雷敷設支援に際しては、ほぼ妨害らしい妨害を受けずに済んだのである。
「とはいえ、やはり気にかかる」
着々と進むトレス海峡封鎖の様子を艦橋より眺めつつ、高谷は粘着質に首を捻る。
それから故郷で有名な店の砂糖菓子をチョイと口に放り込み、唾液でもってゆっくり溶かしてみた。不可解な違和感の正体が明らかになるには、まだまだ時間がかかりそうな雰囲気だ。
次回は5月6日 18時頃に更新の予定です。更新時刻がずれてしまって申し訳ございません。
ニューギニア近傍の守りが固まっていきます。こちらの世界のニューギニアはどうなるのでしょうか?
ところで、書いていて「機雷なんて嫌いだよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー」というスレッドが昔、軍事板にあったなあ……とどうでもいいことを思い出しておりました。




