大騒動! 伊豆温泉図演合宿⑧
伊豆:温泉街
「まったく……下士官に化けて夜中に走り回るとか、バンカラどころでない」
「あれで少将と少佐だというのだから本当に驚きしかありません」
駿河湾を一望できる旅館の上等なる客間にて迎え酒をしつつ、大西中将と源田大佐はあれこれと愚痴を零す。
誰それがいなくなった途端、その者に対する悪口大会になるということは、古今東西を問わずありがちだ。もっとも当人達が従兵の軍服を強奪し、制止も聞かずに飛び出していってしまったのだから、かような反応もまったく自然だろう。
それから無理矢理"少将"と"少佐"にされてしまった者達の姿が思い出された。
当初はひたすら恐縮し、困惑するしかなかった彼等だが、衣装に見合った酒と肴を嗜んでいるうちに、随分と気が大きくなったようだった。無礼講だから構わんと言ってみたら、これぞ『天鷹』魂とばかりに山本長官や大本営に対する罵詈雑言を勢いに任せて吐きまくる。挙句の果てに迷惑行動に及ぶ始末だから何ともはや。
「だがまあ、傍目には無茶苦茶な奴であるとはいえ、あれはあれで頑張ってくれたりするものよ」
大西はちょいと感慨深げな面持ちをし、
「座敷牢に放り込むか海軍から放り出すしかなさそうな素行不良の類を、あいつの下で一か所にまとめてみたら、何だかんだで使えるようにはなったからな。どうしょもない奇行と蛮行、食中毒なんてのはまあ、それに比べりゃ可愛いもんだ」
「少年院の監督官の方が向いとるんじゃないですかね」
「かもしれんな」
「それに曲がりなりにも……」
源田は少しばかり顔を顰め、
「高谷少将の蛮族的発想で、作戦の穴が埋められたということになりますか」
「うむ。考えられないことを考えたと言えるだろう」
大西は地元の銘酒を呷り、美味そうな息とともに結論を口にする。
台風や地震のような自然現象と異なり、戦争において確率とは可変的なものである。こちらに見落としがあったとしたら、敵にとってのそれは全力を挙げて突くべき脆弱性となるためだ。故にどれほど荒唐無稽と思えても、物理的に実行し得ることについては想定する必要があり、少なくともその意味において、高速戦艦を浮き砲台とする案が出たことには意義があった。
「それに自分としても癪ですから、ここは沿岸防衛用ロケットグライダー兵器の再検討を行い、艦砲射撃をもって沿岸陣地や島嶼の飛行場を破壊せんと目論む敵主力艦群の封殺を……うん?」
源田は唐突に、狐に摘ままれたような顔をする。
それから真っ暗な駿河湾を望み、ぼけ切った目を凝らしてどうにか捜索を開始した。
「どうかしたかね?」
「いや先程、海原で何か光ったように見えまして。敵かもしれません」
「潜水艦が侵入してきて、砲撃でも開始したとでもいうのかね?」
如何なる偶然のなせる業か、その憶測はまったくの正解だった。
そしてその直後、大西と源田はまったく予期せぬ衝撃に見舞われ、数秒前までの屋根だったものの倒壊に巻き込まれた。沖の潜水艦が当てずっぽうで放った3インチ砲弾が、あり得ないような低確率を乗り越え、彼等が宿坊を直撃したのである。
駿河湾:燈明ヶ崎沖
ダヴィッドソン少佐達は十分以上に、神の恩寵だとか天使の加護だとかいうものを信じることができていた。
特殊作戦が失敗したのは紛うことなき事実。しかし命からがら逃げ帰ってきたハーレー大尉の一行を、生々しい裂傷をおった者達を含めて収容できていた。その直後に爆弾ボートの襲撃に遭いもしたが、それは炎を帯びながら艦尾の先を航過し、暫くしてからドカンと爆発した。被害といったら飛んできた破片が突き刺さって水上レーダーが損傷し、水中衝撃波によってか少しばかり舵の利きがおかしくなったという程度である。
そうして難を逃れた潜水艦『ブラックフィッシュ』は、イタチの最後っ屁とばかりに3インチ砲での射撃を何度か実施した後、脱兎の如く遁走し始めた。
16ノットの速力もって、真っ暗闇の伊豆半島沿岸を突き進む。当然ながら浮上航行である。駆逐艦や哨戒艇にとってはいい的も同然であるから、陸の間際を突き進むことで、それら艦艇からの砲撃を躱そうという魂胆だ。駿河湾は面積の割に随分と深い湾であり、ちょっと沖に出ただけで水深が50メートルを超えるため、その意味でも安全と判断できた。
「とにかく、さっさと太平洋に逃げてしまうのだ」
ダヴィッドソンは朗らかな声を上げた。
それから腕時計を一瞥する。現地時間で時刻は午前3時半。陽が昇ったら旭日旗の支配するところかもしれないが、今はまだ星の満ちたる世界に違いない。
「ジャップの戦艦や航空母艦は疫病神めいて恐ろしいが、あいつらは潜水艦を見つけるのだけは下手糞だ。戦功を挙げる機会はまだまだある、とすればこれもまた勝利に向かっての前進という訳だ」
「行きがけの駄賃に、何か1隻くらい沈めてやりたいところです」
副長もまた元気いっぱいで、
「何かいい獲物が都合よく航行していませんかね? 例えばあの忌々しい食中毒空母とか」
「こういう時に欲をかき過ぎないのが生き残る秘訣だ、ともかくも見張りを厳とせよ」
己にも言い聞かせるような口調でダヴィッドソンは告げる。
潜水艦乗りを大いに悩ませ、怒り狂わせた魚雷の不具合。それは最近になって改善され、かつてのように6発命中させて全てが不発といったことにはならなくなった。とすれば実戦で試してみたくなるのも人情であるし、小笠原の辺りで貨物船でも沈められるかもしれないが、獲物を求めての積極行動は慎むべきだろう。
それに卵から孵る前にヒナを数えるのは禁忌というものだ。
幾ら日本海軍の対潜戦闘能力が低いといっても、哨戒機に頭上を押えられ、水上艦に囲んで爆雷で殴られたらたまらない。加えてここは彼等にとっては慣れた海域で、我が方はその正反対。ならば今は駿河湾からの脱出を最優先に考えるべき。そう一心に念じつつ、周辺の海図を睨みつける。
「前方1000フィートに岩礁!」
「面舵一杯!」
見張りの切迫し切った報告が届くや、ダヴィッドソンは間を置くことなく命じた。
もう少し早期に発見してもらえぬかとは思いはするものの、十分に避けられるはずだった。だがいったいどうした訳だろうか、所定の時間が過ぎても舵が利き始める様子がない。
実のところは、先程のほぼ空振りと思えた攻撃の被害が、理不尽極まりないタイミングで顕在化してしまったのである。
「糞ッ、右後進!」
ダヴィッドソンは舵の故障と断じ、青褪めながらも右のスクリューを反転させての回避を図る。
とはいえ時間は絶望的なほど不足していた。『ブラックフィッシュ』は天に見放されまいと足掻き、僅かながら回頭に成功するも、艦体にかかっていた慣性を殺し切るには至らない。
「よ、避けられません!」
「総員、何かに捕まれ!」
大音声でそう命じた直後、『ブラックフィッシュ』は岩礁へと突っ込んだ。
艦底が岩石と擦れる生理的に嫌な音響とともに、猛烈なる衝撃が艦全体を襲撃する。気の知れた乗組員も疫病神めいた特殊任務部隊の連中も大部分が投げ出され、頭を強かに打ち付けて昏倒するなどした。
なおそこは地元では田子と呼ばれる双子の島だった。
東の平たい女島と、西の険しく尖った男島。両島を隔てる数十メートルの浅瀬にスッポリと填まり込み、男島のゴツゴツした岩肌に艦首をぶつけてしまった『ブラックフィッシュ』の運命が、その辺りでよく漁師に獲られるイセエビやサザエと変わらぬことは言うまでもない。
次回は4月12日 18時頃に更新の予定です。
新鮮な潜水艦が水揚げされ、何故か大西中将や源田大佐まで流れ弾を食らってしまいました。
なお田子島は実際に磯釣りの名所なんだとか。でも潜水艦が突っ込んでしまったら、海軍関係者は大喜びでしょうが、暫くは油が漏れたとかで漁どころでないかもしれませんね。




