大騒動! 伊豆温泉図演合宿⑤
伊豆:山中
想像すらし得ないような異形に、夜道でバッタリと出くわしたらどうなるか。
恐らくたいていの人士であれば、その場で腰を抜かすなり、大声を上げて逃げるなりするだろう。打井"二等兵曹"がそうならなかったのは、日頃の鍛錬の賜物である。如何な妖怪七変化であれ、グラマンの新型ほどの脅威ではないという訳だ。
とはいえ素っ頓狂な声を上げかけたほど、眼前の人物は常軌を逸していた。
外津国のコーカソイド人種らしい彼はまず、瀬蓮茶之介なる無茶苦茶な名乗りを上げた。しかも南蛮胴風のゴツゴツした鎧に身を包み、腰に刀など提げ、背には何本かの竹槍。挙句の果てにチョンマゲまで結っている始末だから、まともなところが何ひとつありはしないといった具合である。
(だが……)
ここまで病的な怪傑ともなると、逆に安全だろうと判断できた。
少なくとも、潜伏している工作員ということはあるまい。隠密行動が第一の者が、かくも目立つ上に無駄に重い装備に身を包んで動き回るとは思えぬからだ。あるいは先の不審外国人集団の一味が、そうした心理を見据えてこんな恰好をしている可能性もなくはないが、陽動としても考え過ぎというものだろう。
そうして意を決し、インチキで出鱈目な侍言葉に辟易としながら誰何してみると、ドイツ海軍航空隊のスタイン大尉だと判明した。諸々の事情により伊豆で骨休め中とのことだが、逗留先で何をやっているのだろうか。
「まあいい、セバスチャン」
「拙者、瀬蓮茶之介でござる」
「ああ……茶之介だったな」
猛烈に込み上げてくる頭痛を何とか我慢し、
「ともかく今、俺は米英の工作員かもしれんチンピラゴロツキどもを追跡しているのだ」
「おお、南蛮の忍が日ノ本に跋扈しておるとは……まったく何たる一大事」
スタインは途端に目を丸くし、驚愕の言葉を並べ出す。
南蛮なのはお前もだろうと言いたくもなるが、こやつは露ほども忍んでいないかと思うこととする。
「ここで会ったも何かの一期一会、拙者も微力ながら助太刀いたそう」
「おう、まことか。頼もしい!」
「うむ。魏を見て攻めざるは勇なきなり。諸葛孔明が言葉の通り」
侍らしく戦えるのが嬉しいのか、スタインはやたらと元気に返事をする。
単に静かにしていてくれと請うだけのはずが、とんだ棚から牡丹餅だ。とんでもない怪人には違いなくとも、鎧を着て歩き回るなど体力はありそうであるし、腕もそれなりに立ちそうな雰囲気だ。竹槍を背負っているのもありがたい。拳銃を持ってこなかった以上、投擲武器の有無は死活的である。
「なお作戦だが、貴様はやたらと目立つ。故、いざという時には囮役をやってくれぬか?」
「承知つかまつる。見事その任、果たしてみせようぞ!」
「あの大尉、思い切り敵兵に見つかってしまいましたが……」
「学のなさそうな老いぼれだ。何とか話を合わせろ」
ハーレー大尉とハービンジャー中尉は、善後策をヒソヒソと話し合う。
沼津のエンペラー別荘を目指して夜間行軍していたら、鈴をチリンチリンと鳴らしながら駆けてくる、完璧に出来上った海軍下士官と遭遇してしまったのだ。しかも笑い声がやたらと下品で、おまけに外国人が珍しいからか、妙にあれこれ付きまとってくる。
それでもすぐに正体が露見しなかったことだけは、不幸中の幸いと言えそうだ。
山歩きの末に迷ったイタリヤ人の一行だと説明したら、見事信じてくれたのである。もっとも戦艦5隻が失われたマダガスカル沖海戦について、『リットリオ』や『インペロ』は勇猛果敢だったとしきりに褒めてくるので、まったく剛腹なことこの上なかったりもするのだが。
「いやはや、枢軸同盟の未来は明るい」
酔っ払い下士官は上機嫌で、
「記念にイタリヤ飯でも食ってみたいものだ」
「超絶美味しいですよ。我々は飲み食いして歌い、女の子の尻を追いかけるの大好き」
「イタリヤ飯にどんなものがあるのか知らん。教えてくれんか?」
「ピザに、スパゲッティ。つまりイタリヤうどん」
比較的日本語に長じている部下が、どうにかこうにか会話を成り立たせる。
早いところどっかへ行ってほしいものだが、彼の興味は一向に尽きてくれぬ。爆薬や導火線の入ったザックに目をやって、あれの中身を教えてほしいだのと言い出す。断ったら断ったで、アルプス登山で鍛えられたイタリヤ製山岳用品の真髄を見たいのだとしつこく喚く。面倒なこと極まりない。
しかも――途中でやたらと話が聞き取り難くなる。
何でも九州地方に特有の訛りとのこと。その辺りには最後まで朝廷に歯向かった首狩り族の末裔が住んでいるらしいから、まったくもって気が抜けなかった。件の下士官が提げている妙な刀が、その証左というべきか。
「余裕があったらイタリヤを観光してみたいものだな」
そんな暢気な言葉が発せられ、
「まあ何かと引き留めて済まなんだ。そろそろお暇させてもらうとしようか」
「ですね。夜も更けてますし、それでは」
ハーレー大尉に率いられた誰もが、ほっと一息といったところ。
だがこういった時こそ油断大敵。カップと唇の間には多くの間違いがある、そんな諺を思い出すべきだったかもしれない。
「ああ最後に、どの辺りの出身か教えてくれんか? ええと……何と言ったか、水の都とやらかな?」
「ヴェニスです、ヴェニス。北の方のいいとこ」
(この男ども、イタリヤ製じゃないぞ)
高谷"一等兵曹"は確信を得た。
水の都と呼ばれるヴェネチア、その英語での呼び方がヴェニスである。人肉抵当裁判の戯曲があるから、確かに日本では後者も馴染みがある。とはいえ彼等が本当にイタリヤ人であったなら、絶対にこんな間違い方をしないはずだ。
その意味では、酔った勢いで下士官の格好をしていたのが効いたかもしれない。
こちらが外国語を解さぬ輩と勘違いしてくれていたから、対応もいい加減になったのだろう。指揮官らしき人物は仲間内でヒソヒソと話していて、大変聞き取り難かったが、どうも英語だったように思える。そうなるとたちまちのうちに、闘志と敵愾心がメラメラと燃え上がってきた。
(不逞の輩め……この高谷祐一が、今ここで成敗してくれる!)
全身を猛烈に武者震いさせながら、高谷はゴクリと唾を呑んだ。
神国を侵犯したることへの怒りが滾る。同時に小学生を追い回して機銃掃射するドーリットル隊の鬼畜ぶりや、マキン島の守備隊員を惨殺してその頭蓋骨を恋人に送るなどという言語道断の猟奇行為など、幾つかの戦時残虐事件が脳裏に浮かぶ。しかも目の前の連中は間違いなく後者の同類で、野放しにしたら何をしでかすか分かったものでない。
(とはいえ……このままでは多勢に無勢か)
高谷もまたそう実感し、どうにか冷静さを取り戻す。
相手は剣呑極まりない特殊工作部隊である。流石に筋骨隆々というか、筋肉モリモリマッチョマンの変態だ。1人や2人は楽に倒せるとしても、それで返り討ちにされるのがオチだろう。
ならば――奇襲を仕掛けて一旦離脱、追い縋ってくるのを各個撃破にするのが良いだろう。
妥当なる結論を得た後、耳を澄ませる。ホーホーとフクロウの声が聞こえてきた。伊豆には確かに棲息している鳥類であるが、その中には打井"二等兵曹"の鳴き真似が混ざっていて、きちんと追従してきていることが分かった。敵が二手に分かれて破壊活動を継続しようとしても、彼は追跡を続けるだろう。
故にここが覚悟の決め時。そう己を奮い立たせ、高谷は大きく息を吸い込み、
「サガントス!」
と渾身の力でもって絶叫した。
意味のまったく分からぬであろう大音声に、何処かへと向かわんとしていた米英の鬼畜どもが思わず振り返り、びっくり仰天の英語を発する。好機到来。慌てふためきたる者達の1人に狙いを定め、高谷はバーレーンの三日月刀を素早く抜き、全腕力を込めた強烈なる一閃を食らわせた。
「あがッ!」
斬撃と打擲の合わせ技である。敵は鮮血を噴出させながら一気に倒れ、仲間を巻き込んで倒れ込む。
その顛末を見届ける前に、高谷は瞬時に踵を返し、脱兎の如く駆け出していた。ついでに曲者だ、曲者だと大いに騒いでもおく。背を見せるのは恥というのも状況によりけり。
そして道を外れて植え込みに飛び込んだ辺りで、再び英語の悲鳴が聞こえてきた。
高谷は未だ与り知らぬところではあったが――打井がその類稀なる視力をもって敢行した竹槍投擲攻撃が、夜間であるにもかかわらず、見事連続で決まったのである。
次回は4月6日 18時頃に更新の予定です。
例によって再び三日月刀の出番となってしまいました。
なおワンダーフォーゲルごっこどころでないドイツ人が、戸田村を徘徊していた模様です。夜道では絶対に遭遇したくありませんね……。




