sixthDay 1
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2062年4月11日 所 雁金さん宅 時午前6時
あの後なんと午後の8時頃まで二人の服選びやらなんやらに付き合わされてしまったわけだが割と満喫することのできた休日、とは決して言えないが、昨日の買い物はなかなかに楽しかった。結局一日中筋肉痛に襲われまともに身動きも取れていなかったわけだが、昨日休んだお陰と言うべきか幾分かマシにはなってきていた。
しかし入学まで後二日。自分を鍛えてくれるといっている人と後それだけの時間しか過ごすことができないのだ(といっても入学後にもたまに鍛えてくれるとかどうとか行っていたのだが)。これ以上そんな貴重な時間を無駄にするわけにはいかない。そんなわけで本日も午前4時から始まった体力作りがようやく一段落着いたのだ。
「なかなかやるね椋。アンタこのちょっとの期間でだいぶ変わったよ…………」
雁金さんがいつもとは違い若干息を切らしながらそう言う。
「ハァ………そんな………体力付けなんて………数日で変わるもの……なんですか?」
息も絶え絶え倒れ込みそうになりながらも師匠である雁金さんに問う。
「アタイらみたいに体内に《隠者達》を宿す人間は特別なんだよ」
「そういう……もん……なんですか………」
彼女もいまいちわかっていないのだろう。「そういうもんなんだよ」理論で片付けられたためそれ以上の追求もできず、椋はそのまま地面に倒れこむ。汗が止まらないなんてものじゃない。雁金さんからもらったペットボトルに入った水を全て飲み干し再び脱力する。
上空に広がるまだ薄暗い空を見つめ考える。
今後の事、と言ってしまえば少しスケールがでかいかもしれない。
新しい生活がスタートすることも然り、《愚者》の目的を達成することも然り、雁金さんとの別れもそうだ。考えていかねばならないことが多すぎる。
今回収し終えた《愚者》の力の断片は正の《悪魔》と《隠者》。まだ44ある中の二つしか回収することができていないのだ。見込みがあるとして負の《太陽》。それを回収できたとしても後それの10倍以上もの回収をしなければならない。
「俺が生きてるあいだにできるのかな…………………」
荒れた息もようやく落ち着き、そんな言葉を独り言のように発する。と同時に「ウッ!」とうめき声に近い声を漏らしてしまう。
近くにたっていた雁金さんから一発横腹に蹴りが入ったのだ。
「なにぼーっとしてんだ!早く行くぞ!」
そんな怒りの声音を浮かべる雁金さんの後ろ姿は笑っている様に見えた。
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「おう、帰ったか」
巨木『悠乃ノ木』の前に抱えられたはしごを登りツリーハウスの扉を開けるとその玄関の正面から見える大きなテーブルの上で辞書のような分厚いものと今時珍しい大学ノートを広げていた老人がそういった。
「ミット、そっちは順調なのか?」
椋の目の前で靴を脱いだ少女は《隠者》の方に向かいながらそう尋ねる。
「ああ、時間は余る程あったからのぉ。完璧じゃ」
そう言って《隠者》は身の丈に合わないノートを持ち上げ少女に差し出す。汗をかいて自分でもわかってしまうほどに濡れている靴下を玄関で脱ぎ、テーブルの前まで行くと椋も雁金さんの後ろから覗き込むようにそのノートを見る。こういう時に低身長の雁金さんは役に立つ。
「…………………読めねぇ」
覗き込んだ文面の理解に入ろうとして最初に出た言葉はそれだった。
英語?なのだろうか?それすらもわからないほどにアルファベットで埋め尽くされたノート。勉強の得手不得手にかかわらず中学の課程を終えたガキ程度に読解できるような代物ではないことを一瞬で理解させられた。
「後で説明してやるよ…………別に今は理解しなくてもいい………」
呆れたような声で下から響く雁金さんの声。そして――――――――――
「そんなことよりも椋、アンタいつからそんな上から物言える人間になったんだァ?」
それよりもさらに低く響く地ならしのような声。
「いやっ!これはその!上からの意味が違うというか!いや!!違うんです!!」
若干後方にたじろぎながらも支離滅裂な言葉を並べどうにか弁解に入る。いや、よく考えてみたら確かにこの構図はまずかったのかもしれない。彼女なりのプライドというものを気づかぬ間に傷つけていしまったのだろう。それにそもそも雁金悠乃という人間に弁解なんて物が通じる訳もなく、
「問答ぉぉぉぉ無用っ!!」
低身長を生かしたというべきか、彼女の驚くべき身体能力があるからこそ出来る技なのだろう。小さな体でしゃがみこんだ少女は突進するように斜め前に、椋の顎に向かいジャンプしたのだ。
相手の安否など気にしない確実に脳震盪以上の事故を引き起こすであろうその攻撃。
優しさかあの某ドラゴ○クエ○トなどの大体のRPGの初期雑魚キャラのような帽子は取らないでいてくれている。
これが少しでもクッションになってくれればいいのだが…………………
「ンブッ!」
奇声を放ちながらボクサーのアッパーでも食らったかのように上空まで跳ね上げられた椋。
かき乱される思考の中でこの雁金さんの暴力のお約束化だけはやめてほしいと願いながらそこで椋の意識は事切れた。
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「痛ッ………………くは無いな…………」
と前後の記憶を便りに、こういう時は痛みを感じながら目覚めるものだと確信していた椋は若干すかされたような微妙な感覚を覚えながらも目をゆっくりと開く。
そしてなぜ痛くないのかも瞬時に理解する。
「心内……空間……?」
どこまで続いているのかわからない暗闇。もしかしたら案外狭いところなのかもしれないし、かなり広い空間なのかもしれない。そんな空間認識能力を狂わせるような空間に一つの人影が現れる。
多く見積もっても小学生の高学年。ふざけた帽子の下は黒く縮れた黒髪と顔の左半分を隠すように巻かれた白い包帯。正の《隠者》であり椋の師匠雁金悠乃だ。
「やっと起きたのか……まったく…いつまで寝てんだよ……」
人差し指で頬のあたりを掻きながら呆れた声音を漏らす雁金さん。
いまいち現状がつかめない椋はそれを知っているであろう
「ここってハーミットさんの心内空間ですよね?」
「ん?……ああ、そうだけど…………」
質問の内容が様相外といった様子で返してくる雁金さん。いや、「なにあたりまえのこときいてんだ?」の方が正しいかもしれない。椋の気になっているところは正直そこではないのだが
「気絶してる人間でも連れてこれるもんなんですね………」
「あぁ、ここに来てるのは……なんていうんだろう……そう…意識とか思念みたいなモンだけだからな。身体的なショックで気を失おうが脳が死んでない限りはここに来れるさ」
「ほぉ…………………」
これを聞いたのには少し理由があった。
気になっていたことがあったのだ。
その昔といっても現実の時間で1ヶ月程前のことだ。《愚者》の覚醒のきっかけ、廃ビルから飛び降りたあの後のことだ。長い夢を見ていた気がした。真っ暗な空間で迫ってくる壁から逃げようと必死に走り続け金色の人影に手を伸ばしていたという何とも不思議で怖く、なおかつ希望が見えた夢。今思えばあれが、あの金色のシルエットに手を伸ばした時が自分と《愚者》とが長い時を経て再接続された瞬間ではないかと考えていたのだが今雁金さんの話を聞いてなんとなく合致した。
あれはきっと《愚者》の心内空間だったのだ。
あの扉の向こうで自分が幼い時からその時が来るのをずっと待ってくれていたのだ。
今でもはっきりと思い出せる胸の奥に残る《愚者》の暖かい感情、感覚。それは決して忘れてはいけないものなのだと再確認することができた。




