優しくない世界
エルちゃんが俺のいた会社に入社しようとしていた。どう考えても殺し屋になるという意味だ。つまり、殺し屋のインターンと言うことだろう。
確か会社の表向きな事業は人材派遣とかだった気がするけど、新入社員は募集していない。それに殺し屋になるためには、殺し屋の紹介が必要。誰だ、エルちゃんに紹介した奴は。
一応、確認だけはしておくか? もしかしたら同名の会社があるかもしれないし。ここは顔写真による検索を行おう。たしかインターンシップ中でも登録はされているはずだ。
「ええと、エルちゃん、記念に写真を撮ってもいいかな?」
「なんですか、いきなり? 記念ですか?」
「うん、まあ、ゾンビ、記念……かな?」
我ながら苦しい。でも、女の子の写真を撮る自然なやり方なんて知るわけない。ナンパ術でも学んでおくべきだっただろうか。
「えぇ? なんかすごく嫌なんですけど?」
だよね。
まあ、顔写真で検索なんかしなくても、ほぼ決まりだろう。それにしてもショックだ。なんとか諦めさせたい。
よく考えたら、世界がこのままならエルちゃんは殺し屋にならないんじゃないか? ここは大人としてエルちゃんをしっかり導いてやるべきだ。うん、それは間違いないはず。
「えっと、エルちゃん。仕事って大変なんだ。やりたい仕事だったとしても、いつか嫌になるかもしれない。だから、やりたくないことを仕事にしたらどうかな?」
「さっきから話が飛びますね? つまりやりたいことは趣味でやれと?」
「いやいやいや、趣味でやったらダメだからね」
それはサイコパス中のサイコパス。ほかの殺し屋だってそんなことしてない。趣味で殺しはダメだ。
「支離滅裂ですね……? でも、今はゾンビがあふれている世界ですから、そもそも就職できないんですよ。だからセンジュさんに世界を救ってもらおうかと思ってるんですけど」
「いや、このままでいいんじゃないかな。就職なんかしなくても生きていけるよ。大丈夫、大丈夫。ほら、あの色白の子も言ってたでしょ? ニートは至高って」
「食料はどうするんですか。それに就職とか関係なく、ゾンビに襲われて死にそうですよね?」
くそ、手ごわいな。というか、俺の説得方法が駄目なのか。でも、なんとかエルちゃんに諦めさせたい。こんなブラックな仕事は、俺みたいなダメな奴にやらせてればいいんだ。普通の子は普通に生きる。それが一番。
「ええと、それじゃ――」
「そもそも、センジュさんはこのままの状態でどうやって生きるつもりなんですか?」
どうやって生きるか? 俺のプランでは田舎のほうへ行って農業でもやりながら生きるつもりだ。どこかの別荘を勝手に貰ってそこでのんびりしたい。井戸とかあればなおベストだけど、川があれば最高だ。たぶん、魚も釣れる。
「場所は決めていないけど、田舎のほうへ避難するつもりだよ。そこで畑仕事をして生きるつもりかな」
「畑仕事が出来るんですか? 種を播いたら出てくるってわけじゃないんですよ?」
そうなの?
「いや、まあ、そんな風には思ってないけど、検索サイトで検索するから大丈夫じゃないかな? 動画サイトにもあると思うけど」
「家庭菜園で作れるようなものなら作れるかもしれませんけど、お米とかは無理じゃないですか? 絶対にご飯を食べたくなりますよ?」
「あ、俺、パン派だから」
「……なら小麦はどうするんですか? それにお肉だって食べたいじゃないですか。牛や豚を捌いたり、血抜きしたりできるんですか? サバイバル技術がないと田舎に行っても生活なんかできませんよ? それに怪我や病気になったら? 薬や医学の知識がないと、あっという間に死んじゃいますよ?」
確かにその通りだ。知識としては知っているけど、実際にやったことはない。
「センジュさんはこのままでいいと言ってますけど、田舎にひとりでいたってすぐに死んじゃいますよ? だから、世界は無理かもしれませんけど、ちょっとくらい人を助けたりしません?」
ゾンビに噛まれた時点で命は諦めたから別に死ぬのはかまわないんだけどね。それに、そこまで上等な生活をするつもりもない。緩やかに、のんびりと、自然の一部になったような生き方をしたいだけだ。そこに他人は必要ない。
それに何かを救うなんて真似をしない理由は他にもある。
前の世界は俺に優しくなかった。
両親は俺が15の頃に殺された。仕事を依頼された殺し屋に。依頼したのは親せきの連中。一代で築き上げた親父の会社の権利を奪うという、どうしようもなくつまらない理由で。
俺はその時の殺し屋に拾われた。ターゲットじゃないから俺を殺さなかっただけだ。でも、俺は殺し屋の顔を見た。このまま殺されるか、殺し屋になるかの選択を迫られた。あの時点でどんな選択ができる? 殺し屋になるしかないだろうが。
親戚たちへの復讐を誓って、やりたくもない仕事をずっとこなした。でも、結局、このザマだ。今までやってきたことはなんだったんだろう? 生きるため、それに復讐するために人を殺していたのに、すべてがひっくり返ってしまった。
なんだか泣けてくる。あの時からの10年が無意味になったと言ってもいい。だからこそ、もうやりたいことしかやらない。俺が世界を救うとか人を助けるなんてことはありえない。誰も俺を助けてくれなかったんだからな。
それにエルちゃんは世界が元に戻ったら殺し屋をやるんじゃないの? 殺し屋をやるために世界を救うって、矛盾してるっていうか、本格的にサイコパスだよ。
「あの、センジュさん? どうかしましたか? さっきから黙ってますけど……?」
「ああ、いや、ちょっと考え事をね。ひとりで死んでいくのも、そう悪くないよ。俺はね、日が昇ったら起きて、日が出ている間は働いて、日が沈んだら寝る。そういう生活がしたいだけなんだ。そこに俺以外の人間がいるかどうかなんて関係ないんだよね。だから誰も助けない」
「そう、ですか」
「すまないね。しばらくはここを拠点にして田舎のほうへ行く準備をするつもりだけど、それが終わったらここを出ていくよ。エルちゃんは好きなだけここにいるといい。ここならゾンビから防衛しやすいだろうし、コンビニにある物資をここへ運べばしばらくは持つ。もちろん、俺も出発の準備が整うまでは手伝うから安心していいよ」
エルちゃんは下を向いたままだが、小さな声で「はい」とだけ言った。
エルちゃんには感謝している。俺が殺し屋なんて仕事をしていても、あのコンビニでエルちゃんとポイントカードの攻防をしている間は、普通の人間だと思えた。たった半年の間だったけど、俺には掛け替えのない時間だ。
こんな形で恩人とも言えるエルちゃんを裏切ってしまうのは申し訳ないけど、仕方ないよな。心が狭すぎると言われればそれまでだけど、それが俺なんだ。
「さて、エルちゃん、そろそろ時間も遅い。今日はゆっくり休むといいよ。カップ麺の後始末はしておくから」
「そう、ですね……はい、それじゃお願いします。えっと、あの、おやすみなさい」
「うん、おやすみ。寝る前にちゃんとドアのカギを確認して雨戸も締めておくようにね」
「……はい、わかりました」
エルちゃんは一度頭を下げてから、ベランダの外へ出た。しばらくすると、ガラガラと音がする。シャッター式の雨戸をおろしたのだろう。
元気がなかったな。まあ、仕方ない。誰も助けないって言ったし。
こういうとき、正義感のある奴なら自分の過去と決別して世界を救うような行動を起こすんだろうな。でも、俺には無理だ。エルちゃんなら助けてもいいけど、ほかの奴らは知らん。
さあ、俺もカップ麺の後始末をしたら寝るか。




