ヤハルア・グランソード 1
月明かりが薄く差し込む神流の寝室に訪れたのは、寝間着の聖桜だった。彼女は、無言で悩ましげな表情をして佇んでいる。
黙って立つ聖桜を神流が、注視し見つめているとようやく口を開いた。
「御主人様、御願いが有って参りました」
「エッチな事じゃなきゃ良いよ」
「なっ!? 違うわよ!」
神宮寺 聖桜は、顔が紅潮し戸惑いを見せる。
「普通に喋れ」
「私を買ったみたいに、仲間を買って欲しいの」
「駄目、俺は奴隷を必要としていない。イーナは奴隷だが、折檻されてる所を助けた縁で頼んだだけだ。お前は同じ日本人だから、特別に子爵に頼み手を回して助けた。今は直接購入する権利が俺には無い」
「見殺しにするの?」
神流の冷静な表情が、冷気を帯びたように曇る。
「……挑発は止めろ。俺は奴隷狩りもこの国のシステムも大嫌いだが、奴隷は殺される訳ではなく、労働者になっていくらしい。助けたい気持ちが本物なら自分で動け」
神流は言い聞かすように平淡に告げた。神流に拒絶され馬鹿にされたとさえ感じた聖桜は、瞳に烈火の炎を巻き上げ神流の目の前に迫り拳を握りしめて大声をあげる。
「私だって、私だって自分で助けたいわよ! 奴隷のワタシに何が出来るのよ! 私の仲間を助けてよ!」
神流は、真剣な思いには相応に応えようと思っている。灯りが無く表情も見えない部屋の中で、黒い水晶のような聖桜の瞳を見据えて口を開いた。
「力無き正義は無力、思うだけじゃ駄目なんだ。言葉だけじゃ全く足りない」
「…………」
聖桜の手から力が抜けていく。
「偉そうな事を言うな。自分で動こうとしないで、最初から俺を使おうとする事が間違っている。お互いの信用だって怪しい。お前は、自分の事を解って貰う努力をまるでしていない。仲間の話も身の上も打ち明けて解って貰おうとせずに、要求だけ告げて強引に押し通そうとするのは、都合が良すぎると思わないのか?」
自分の行動が、如何に相手に失礼で横柄な行為だったか理解した聖桜の顔には、絶望に似た後悔の影が掛かる。無力な悔しさを噛み締めて声も無く下を向き暗闇の床を見つめた。
━━なっ泣くなよ。マジで。
神流は表情とは裏腹に心の中で動揺していた。
薄く差す月明かりが、瞼に浮かぶ涙を映し出す。聖桜は、眦を決した顔を上げ、消えそうな声を振り絞って出した。
「私が間違っていたわ。本当に御免なさい。改めて御願いします。出来ることなら何でもします。事情も身の上も総て偽り無くお話しするので、私に力を貸して下さい」
神宮寺聖桜は、その場で床に正座をする。涙の跡を隠さず、床に手をついて神流に頭を下げる。
「…………」
「……あっあ、そう言えば、奴隷のオークションが行われるらしいから1度位は参加してみようかな」
「……良いの?」
「今回だけにしてくれよ」
「ありがとうっ!」
「おふっ!?」
聖桜は、涙目で神流の首に抱き付いた。その瞬間に部屋中に大声が響いた。
「何をやってんすかー? 初日から調子に乗って発情してんじゃねぇすよ。ペチャパイ奴隷!」
「誰がペチャパイなのよ!」
「犯人が開き直るんじゃねぇすよ!」
扉の前に寝間着で立っていた怒り心頭の赤鬼レッドと枕を持ったイーナがベッドに来る。
「何をしてるんですか旦那? こんな安い奴隷女に騙されちゃいけねぇですよ。そして、そこの発情獣女は、アッチの部屋に直ぐに戻れっす!」
レッドは、神流の横に滑り込むように入り聖桜を追い返そうと手首を返してシッシッと振る。イーナは隣のベッドのシーツにいそいそと潜り込んでいた。
「何でワタシだけ、戻らなくちゃいけないのよ」
意地になった聖桜は、イーナの横に座る。
「も・う・寝・ろ!」
耳を防いでいた神流の低い一言で、一同就寝となった。
~~***
カーテンから漏れる朝の日差しに起こされた神流が、オルフェに水をやりに玄関から出ると、軽快で柔らかな日光を全身に受ける。
「んん、昨夜の騒乱が無ければ、とても良い朝だったのに」
神流が朝日の色に染まった門に目をやると、赤褐色のボサボサの髪をした華奢な騎士風の少年が、こちらの様子を興味深く伺っていた。
灰色の目をした少年は、清楚な童顔のつくりで年齢のわからない不思議な若さが滲んで見える。駆け出しの衛兵なのかも知れないな。
神流と目が合うと声を掛けて来た。
「カンナ君だね?」
知らない少年に名前を呼ばれると、何度も彼の顔を見返すほど妙な気持ちになる。
「……そうだけど」
『良かった良かった。昨日、雑用屋のハイドに行ったら、工事中で肩透かしでさぁ、工事の人に聞いたらコッチに引っ越してると言うから朝から来たよ』
屈託のない笑顔で返してくる、この少年にべリアルの刻印は付いていない。街の外に居たか、何らかの方法で守られたのだろう。
神流は、訝しげさが表情に出ないように聞き返す。
「衛兵さんですか?」
「アハッそう見えるよね。君が、教え子達を迷宮から救いだしてくれたんだって? 僕が、街に居たらすぐに助けられたんだけどね」
神流の顔が、段々「何だコイツは?」と変化していく。
「ゴメンゴメン、紹介しないとね。僕は宮廷騎士及び王国剣士の剣術指南役ヤハルア・グランソード名誉男爵だよ。ファルナス様と教え子のサテュラ嬢から、君に剣を教えるように頼まれたんだ」
朝から、頼んでもいない剣術の家庭教師が訪れた。
~~*
「これ美味しぃーね、何て言うのコレ」
「オムライスと言います」
貴族の家庭教師は、朝食から参加している、追い返す訳にもいかない彼の年齢は21歳らしい。この場所では、最年長になる家庭教師の豪快というか食欲そのままの食いっぷりに目が行ってしまう。レッドは貴族が居るとやはり大人しい。
「奴隷達と一緒のテーブル何だね」
「お気に障るなら、別に御用意しましょうか?」
『全然気にならないよ。料理といい君は斬新だね』
「こんな料理は王都でも食べた事が無いよ、ん? 剣が気になる? 寝かせようか?」
ヤハルア・グランソードが背中に差していた剣は、不思議な模様の鞘に刺さったまま意思を持つかのようにプカプカ浮いている。
「見たことない? 彼の事はアーサーと呼んで上げて欲しい。彼は気の良いアーティファクトの武器なのさ」
レッドもアーティファクトは、見たことないらしく俯きながら注視している。それにしてもよく喋る先生だ。
「ミスリル層のチタン鉱石とルーンマテリアルを精製して神殿で創られた聖者の遺品だってエルフ達が言ってたよ」
「エルフと聖者ですか?」
気になる言葉が、多過ぎて聞き流せず言葉が出てしまう。
「知らないのかい?」
右の目を、チョッとだけ大きくしたヤハルアが、興味深く聞いてくる。剣のアーサーは、床の手前で横になり浮いている。
「田舎者で、学が無くてスミマセン」
「アハッいいよ。平民の少年なら普通の事だよ。美味しい朝食を御馳走になったし少し講義しよう」
どちらかと言うと喋りたくて仕方のない感じが、滲み出ている。乗り気のヤハルア・グランソードが話し出した。
「此処から、エルフの居る処までは遠いからね。会いに行くなら陸路で近いのは、王都の南にある迷いの森の最深部デビルブーシュグロットの洞窟内の居城に居るダークエルフ達だね。空で言えばブライア島の上空に浮いてるマザーフォレストの星仕えのエルフかな」
聞いてる限り行くことは、一生無いだろうと神流は思った。
「あと証聖者だっけ? 最高の段階である聖なる境地に達した者や非日常的な聖なる価値を体得し不動の信仰体制を確立した高位の白魔導師が、神の啓示を受けると神格化するって教典に書いてあるよ」
自分の講義に満足した、ヤハルア・グランソードは、食事を終えて立ち上がる。
「そろそろ頼まれた義務を果たそうか。君達、全員剣を持ちなさい」
王宮剣術指南役ヤハルア・グランソードの授業が始まる。




