総裁からの最後の交渉
神殿の室内で繰り広げられる悪魔の惨劇を、配置された篝火と燭台達が無情に映し出していく。
ーーメリグッ……パギン
乾いた軋んだ音が室内に反響した。マルファスにゆっくりと握り潰される手首の手根骨と橈骨、尺骨が、圧迫に耐え兼ねて破砕粉砕される。電撃が弾けて突き刺すような痛みが手首から悲鳴を上げて迸る。
「ぐああああああああああぁーーっ!!」
━━痛すぎてまともに呼吸が出来ない。意識が飛びそうだ!完全に俺の手首は、マルゴリの握力で簡単に砕け散った。死ぬほど痛いぞ。何で手首ばっかり、こうなるんだよマイゴッド。ゴメン父さん母さん俺……此処で死ぬかも?
「心地好い音がその耳に聞こえたであろう。脆い脆過ぎではないか。腕が立とうが所詮は人形か、クカカカ」
「ぐあぅぅ勝手に言ってろ」
「クカカ、そうかそうか」
マルファスは嬉しそうに骨を軋ませる亀裂の音を鳴らし締め付ける。手首の静脈と動脈ごと神経が潰れていく。手首から先が内出血し血色を失い力を失っていく。内部で碎けた骨が、ゴリガギョリと音を立てて内側から皮膚を貫き空気に触れる。
「かぐはぁあああああああーーーーっ!」
心臓から血が逆流するように鼓動が高まる。全身の細胞1つ1つが、痛覚に目覚めて堰を切ったかのように脳髄に訴えかけてくる。痛覚が全身を支配し、精神を護る為に意識を失わせようと大波の如く過剰に神経伝達網を刺激する。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い━━━━━━━━━━━━━━もう無理だっ
「がはぁっ!」
もう堪えるのは無理だった。涙と涎を垂れ流し力を失った神流の手から、紅く輝く精霊紅魔鉱剣が音を立てて床に落ちていく。
「クカカカ愉快愉快、聞きたかったのは正にその声だ。もっと、もっと我に囀ずるように鳴いて見せよ。全ての嘆き怨恨はアエーシュマ様の供物となるのだ。無力な人形無勢が我に何が出来ると思ったのだ? 不敬な子羊よ。このまま、ゆっくりとゆっくりと心臓を捻りながら抜き取ってやろう、クカクカカカ」
マルファスは血が流れる手首を雑に持ち上げて掲げた。燃え盛る炎の三叉槍の矛先を、スーッと神流の胸に当てると服が燃えて肉が爛れ焼けた。それを少しづつ突き刺していく。
「ぐぎっあ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ーーーーっ」
「そんなに熱いか? それほど苦しいか? 蛮勇に免じて痛みが気にならぬ強力な呪いをかけてやろう、カァァァァ」
マルファスが嘴を開いて息を吐くとオニイソメのような舌が震え。周りに鬼火が浮かび紫の魔方陣が生まれた。
「∬√∫∫ζ∬ξББ…………」
神流にマルファスの声は聞こえていなかった。握り潰された手首と炎を纏う三叉槍が焼く胸の想像を絶した狂いそうな波状の激痛が、神流の意識を狩り獲ろうと襲っていた。激痛に抗おうと力を込めて食い縛った奥歯にヒビが入る。
━━
突然、神流の身体から黒いオーラが薄く滲む。
神流は嗤っていた。
涙を流しながら口角を上げ無理矢理に笑顔を作りマルファスを見下ろす。
「地獄の総裁マルファスさんよ……お前に故郷からの宅急便だ」
「ン? 何故、我の呼び名を知っている?」
無惨に砕けた手首から伝う己の血によって上半身が紅く濡れていくがマルファスを貫く眼光に力が甦っていた。吊るされながら、腰から抜いたべリアルサービルの切っ先をマルファスの額に力を振り絞って向けた。
「クァカカカ! 今さら短剣など、どうするというのだ? 今、強制的に人間を忘れて狂える呪いを与えてやるから仔犬のように大人しくしておれ」
「………【幻想の剣】」
ーー光る魔法の刀身がブォンと顕現すると魔方陣を突き抜けて破壊しマルファスの額に深く突き刺さった。ーーと同時に強力な【麻痺】の効果が刀身から付与される。
愉悦に酔っていたマルファスの動きを完全に止めたのは、新しいベリアルサービルの能力である『【幻想の剣】』だ。直接攻撃と同じく念じるだけで、触れているだけで刻印の効果を与える事が出来る。
「ハァゥ! 軽く何回か死ねるほど手首が痛えよ。2ヶ月入院コースだよ」
「グカッガッ、何だ?……痛みが無い!?……うっ動けぬぬ……グワワーッ。そもそも、わっ我が……お前に何を…………したと言うんだ?」
マルファスは、未知の攻撃に対する恐怖に動揺し狼狽える。神流は更に嗤う。
「やっと麻痺してくれたか……俺の手首をこんなにグチャグチャにした癖に、よくそんな事を言えるな。オイオイオイ地獄の総裁様が、そんなに怯えるなよ。……………まぁ強いて言うなら、筋肉付け過ぎて背中に気を付けてないからだ」
「カッ背中?? それより……欲しいものは無いか? 我と………契約すれば名声、莫大な金、美女、自分の国、なんでも………永遠の若さも与える事が出来る。……全てが手に入るのだ!悪くないだろ?………どうだ考え直せ、カカ!」
「【正直】」
「クァァ…お前を騙して魔法を解かせたら、呪いを施して頭から骨ごと貪り喰ってやるわ………ゲッグワ……??」
「解った解った。生憎、悪魔は間に合ってる。完全に手遅れだが、教えてやる。人間はな、怨みを買ったら仕返しを怖れて背中に気を付けるんだよ。……お前を倒すのは俺だけの力じゃない。親を失った子供達とレッドの悲しみと怒りの力だ。痛みは、バーーッチリ感じるから麻痺したまま、じっくりと極上の苦痛を堪能しろ」
べリアルサービルを握る手に力を込めると、妖しい光が生まれ熱光と化した。
「【変換・地獄の業火】」
神流の手が紅く燐光を放ち、刀身が、朱と金色に色づき周囲を赤く染めると、鍔の根元から燻っていた地獄の炎が一気に沸いて吹き出した。
べリアルサービルは、下から赤、橙、青、白、灰色、黒と炎のグラデーションを魅せながら刀身を燃え上がらせていく。
「我の命が……我の鋼鉄の表皮がぁ! ギマ"ァ"ァ"ァ"ア"エ"ーシュ"マ"様"ア"ア"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"!」
マルファスは再生しながら焼かれていく。勢いをつけると火だるまになり中身は、砂になる前に一瞬で白い炎を巻いて蒸発する。炭化した外殻と嘴は、灰となり崩れていく。その灰すらも装着している宝石等の貴金属と共に1億2千万度の黒い炎に呑み込まれ瞬く間に炭化し蒸発して消えていった。
神流の手元も炎に飲まれていたが、仄かな熱を感じるだけで平気であった。燃え尽きたマルファスの手から、ドサッと床に落ちた神流は、手首の痛みも忘れて猛る炎の織り成す原初の彩りを思い出していた。
━━言葉に出来ない光景とは、こういう時の事を言うんだろうな。……それにしても、さっきの黒い感覚は何だったんだろう。べリアルが何かしたのか?
神流は手首を支えて軽く呻いて立ち上がると、床に残るマルファスの残滓に向けて呟いた。
「地獄の炎だ。懐かしかったろう」
余熱で床石が完全に溶けたまま煙を上げガラス状に変質しひび割れ始めていた。散らばった羽も全て燃やし尽くした神流は、立ち上がると折れて出血し変色した自分の手を見て大きく息を吐いた。
「ヤベェ普通に再起不能だよコレ……」
━━それにしても全く割に合わない。重症だよ大怪我だよ。優しい看護婦さんは居ないのか? 今度ロークさんに頼んで、悪魔用の戦車とバズーカとミサイルでも作って貰おうかな。
神流は精霊紅魔鉱剣させないの精霊の力とべリアルサービルの刻印性能だけで十分だと高を括っていた。
剣を満足に使えない自分には、近接攻撃の幻想の剣の使い処は無いだろうと想定すらしていた。
実際は【幻想の剣】を使用しなければ、手首を折られ胸を焼かれ呪いを掛けられて狂わされて心臓をくり貫かれ生け贄にされていただろう。
「はぁ痛すぎるわんわん泣きたい。もう脱水症状になる位に涙と涎は流したな」
━━超カッコ悪かったけど子供達とレッドの仇は取れたと思う。反則みたいな強さだったな。ゴリンチョガラスこと総裁マルファス。……しばらく焼き鳥は食べるのやめとこう。
べリアルリングをマルファスが焼失した場所で渦を巻き滞留している残滓に向けると漆黒の大量の霞と靄がマルファスを形作る。
「残すなよ。言わなくても、お前が残す訳無いよな」
マルファスの塵も魔力の残滓も残らずべリアルリングに呑み込まれ吸収されていった。ついでに出血した神流の血液も残さず指輪に呑み込まれていく。
ふらつきながら、ダマスカスルージュを床から拾って鞘に納めべリアルサービルを焼け爛れた胸と骨が突き出た折れた左手に向ける。
「【自然治癒】【快活】」
活性化した細胞が、胸の火傷と折れた手首を修復し回復していく。腰袋からポーションの紅い小瓶を出すと火傷して火脹れした胸と完全に折れた手首に振り掛けて残りは飲み干した。
胸は皮膚が再生していき手首は、少しづつ血が通い黒紫から肌色に戻って痛みが引いていく。
「ううっまだ全然だ。あちこち痛いよ。ちゃんと治るのかなぁ? 後遺症とか本当に心配だ」
ボヤきながら部屋の奥へと歩いていく。
ーー圧倒的に邪悪な存在感を醸す像の全体は、脈動する心臓で埋め尽くされ、頭蓋骨を周囲の祭壇に飾られ奉納されていた。
神流は、目的である本物のアスモデウスの石像と対面を果す。
「宝探しのダンジョンでも無いのに此処まで来るの、とんでもなく大変だったぞ」
神流が、刃を石像に向けて精霊紅魔鉱剣を床に突き刺すと、ーー左手の小指に装着しているアスモデウスのリングがキツくキツく絞めてくる。
「ぐっ魔力遮断してるのに気付いたのか? 往生際が悪いんだよ! お前、これから魔力貰ってたんだろ? こんなボロボロになってんのに止めるかよアホデウス」
ダマスカスルージュの柄を強く握る。
「《岩石杭強》!」
床が大きく大きく隆起していく。大きくせり上がる質量のある岩石杭の渾身の一撃が、アスモデウスの石像を粉々に粉砕して破壊した。断末魔の悲鳴のような声が響くが、無視して即座にべリアルリングを翳した。
「……べリアル、吐いてもいいから跡形も残さず呑み干せ」
砕けた石像から、膨大に立ち昇る邪悪を顕現した漆黒の靄が奔流となりべリアルリングに向けて流れていく。
1分程で吸い込み終わるとべリアルリングは、彫金されたシジルマークが少し浮き出てきた。
「俺を殺した罪は鉄アレイより何倍も重い」
━━アスモデウスに仕返しが出来た事と達成感が相まって胸が楽になりスーッとしてくる。
「さてと、待たして悪かったな」
神流は静寂に支配された室内に目を戻して語り掛けた。




