紅いルージュ
べリアルは、自分の左の肘に当てたダマスカスソードの刃を迷いなくスラッと引き抜いて腕を切り落とした。
━━!?
神流が持つべリアルの腕は、天秤のように傾き濡れる切断面から紅く流麗な血液が大理石の床に滴り落ちる。
「何をやってんだよっ!! 意味解んねーーーーーーッ!!」
驚きと軽い狂気に精神を揺さぶられた神流は、止めどなく血を流し続けるべリアルの手を離す事も出来ず持ちながら大声を出して慌てふためく。
『フフ、心配してくれてるのかい? その腕は大事に抱えて落とさないでくれ。大切な僕の物だ』
「嫌だ! 何なんだよ? 早く、早く治せよ!戻せよ!」
べリアルは、喚く神流を気にもせず残った腕でダマスカスソードを大理石の床に刺した。神流は、既に軽いパニックに陥っている。
『僕の腕から流れる濃厚で芳醇な血を、このオモチャに満遍なく垂らしてくれ』
「全くなんなんだよ! んへ? こっちの持ってる腕は、ずっと出血してるのにお前は出血していないのは何故だ?」
べリアルの肘からは一切の出血も見られない。
『衣裳が血で汚れてしまうのは好まなしくない。さあ、しっかりと剣が浸かる位に僕の血を贅沢に浴びせるんだ』
言い知れぬ嫌悪感と罪悪感を抱えた神流は、ベリアルの手を両手で持って嫌々丁寧にダマスカスソードの柄と刀身に血液を垂らして掛けていく。
「この作業、拷問かよ。おえぇっ! 見てるだけで貧血を起こしそうだ」
『血が足りなければ僕の血を口にして絡め芳醇な果実のような匂いを味わいながら飲む事を許そう』
「嫌だよ! 想像させんな気持ち悪い、吐くぞ。よく分からんが、もういいんじゃないのか? どうすんだ、この腕と血塗れのダマスカスソード」
血で染められたダマスカスソードの刺さる床には、深く紅い血溜まりが広がっていた。
『十分大人しくなった。もういいだろう。僕の腕をいつまで持っているんだい? やはり欲しくなって仕舞ったのかい? 新しい契約次第で譲るのもやぶさかでは……』
「うるせぇ! 要る訳ないだろ! 大体、お前が持てと言ったんだろ! 捨てて良いなら外に投げ捨ててやる!」
持っているだけで精神的なダメージを受ける腕をべリアルの所に嫌々持って行く。すると、近付くにつれ切られた腕の出血がみるみると治まりピタリと止まった。
『僕の腕に優しく沿わせるようにゆっくりと合わせてくれ』
神流は、出血の治まった腕を両手で持ってべリアルの肘にグンッと合わせる。
『ンンッア~~!』
「キメエよ。声だすな」
一瞬で傷も消え何も無かったように元の綺麗な腕となった。
「おお、流石スーパーデビル」
『僕は堕天使だ。記憶力の足りないその頭に、僕の血液を掬って流し込んで補う事を勧める。高潔の証である、傲慢で高慢な僕の血が欲しいなら、いつでも言って欲しい』
「一生言わない、死んでからも言わない。それで何でダマスカスソードを血でビチャビチャにしたのか、俺にも解るように教えてくれ。鬼みたいな白髭の爺さんに言い訳するから」
べリアルは問い掛けに答えず、床に刺さるダマスカスソードを抜くように神流に促す。
べリアルと噛み合わない神流は、憮然とべリアルの血溜まりが出来た大理石の床からダマスカスソードを抜き取る。
━━!!
抜き上げた剣の刀身へ血溜まりの血液が全て吸い上げられていく。周囲に散らばる血液の飛沫すら1滴残らず吸い込むと刀身の木目調の模様が、深い血の色に変わりリィーンッと空気と振動し怪しい輝きを放ち始める。柄までも真紅に変化したダマスカスソードの刀身の紅い輝きが、妖艶に反射して神流の顔を紅く染める。
「これは!?」
『君は死ぬほど魔力が少ない。魔力操作も全く出来ない。その剣に宿る岩精霊の力を微塵も感じ取れない。剣の持つ土精霊の力を魔力の粒子程も行使する事が出来ない。そのままでは、もはや、その剣は只の刃物だった。更に言えば君の剣の腕前は生まれてきたことを後悔して泣きたくなる程拙い』
━━ムカッ。
「全部は否定出来ないが、言いたい放題にも限度があるだろ! 酔いどれ悪魔! 毒でも飲んでろ!」
『事実だ。それに僕は堕天使だ。「身の程を知る」という言葉を人間が使うが、君も知るべきだ』
「……………」
神流は、紅く輝くダマスカスソードを持ったまま目を線のように細め眉間に皺を寄せた。不快感を顕にして非難の視線をべリアルに向ける。べリアルは神流の不快感など雨粒程も感じる事は無く、そのまま発言を続ける。
『その剣に錬成され込められた土精霊の力と岩精霊の力が、気高き血に染まり僕の支配領域となった。君の喉にある刻印で、この力を使役出来る。僕の靴をねぶるように舐めて喜ぶ事を赦そう』
「えっ……なんか凄そうだな。お前のクソデカい態度と同じ位に。そして、お前のクソデカい態度と同じ位に。また簡易詠唱とか要るのか?」
怒るに怒れない神流が、軽い嫌味を混ぜてアンニュイな顔でべリアルに質問する。風も無いのに揺れるべリアルのスカートは、更に変化していく。ピンクトパーズであしらったフリルが装飾されていた。
『基本的に特別な簡易詠唱は必要ない。力を具現化し使用するのは、あくまで精霊だ。君が立体的なイメージを強め言葉にすれば、剣を通して精霊達が反応するだろう。精霊の力に僕が変換した豊潤な魔力を上乗せする事も出来る。ノーブル エペ デ ベリアルとでも名付けよう』
「無理。剣が更に凄くなったのは解るが、覚えられない。名前がクド過ぎるし長い」
べリアルは、カウンターテーブルにある闇の聖杯を手に取り、神流に向けて掲げながら呟いた。
『精霊魔紅鉱剣、名をルージュとしよう。君には過ぎた剣の銘だ』
「名前に圧倒されるわ。剣で何か凄い魔法でも使えるのか?」
『それより、僕のベリアルサービルも出して渡すといい』
いつも通り神流の質問を完全にスルーして告げる。納得いかない顔でべリアルサービルを手渡したが、扱いの悪さに我慢出来ず、皮肉混じりに神流は声を荒げる。
「俺に所有権が無いのかよ?」
『その剣の名称は?』
悔しい気持ちを押さえ付けて神流は鉄アレイを付けられたような重い口を開く。
「……………………べリアルサービル」
『名前にべリアルと付いてるだろう。僕のだ』
━━そんな事ってあるのか? 本体はミホマさんから貰った俺の所有物だ。先程からのバカにしてくる言葉許して良いものか。今こそ最高裁まで戦う時なのだ。男には言わねばならぬ宿命がある。己を超えるんだ、息を吸え、目の前の悪魔を打ち倒すほどの強い言葉を声にしろ。
「おいっ!!!」
『直さなくていいのかい?』
「……………今日の宮殿と月は綺麗だな。あっ流れ星だ」
神流は忍耐特性を収得した。
べリアルは、べリアルサービルを手に持つと|闇の聖杯を脇に置いて神流に手を差し出す。
「何だよ? 言わないと解んねぇよ」
『腰に付いてる枝を渡すといい』
「枝? ああ、これだろ? ヤマナラシとかいうらしいぞ」
神流が、背中側の腰に差していたヤマナラシの枝を手渡す。受け取ったべリアルは、枝をタバコのように指で挟むと切断面を口に持っていく。
枝の先にべリアルサービルの柄を差し込むとヤマナラシの枝の切断面を深く咥え熱い息を吹き込んだ。
━━!
ヤマナラシの全ての枝が、膨張するように一気に伸びてべリアルサービルの柄、鍔、刀身の根元に絡み付いては次々と同化していく。あっという間にヤマナラシの枝は、べリアルサービルと完全に同化して根元を少し残して消えた。
べリアルは、残った割り箸位の枝を脇に置いてあった闇の聖杯に差し込んでかき混ぜる。黒い靄のとろみが付いたヤマナラシの割り箸をべリアルサービルの柄頭にキンッと差し込んだ。べリアルサービルが、軽い震動を始めると折れた刃先が楕円形の刃先へと変形し震動が収まる。
『大事に使用してくれ。君の命と同じように』
べリアルサービルを受け取った神流は、無視されると思いつつも質問する。
「深読みすると命を軽んじたりせず、慢心することなく準備万端にして戦いに挑めと言う事か?……」
べリアルは薄く北叟笑む表情をつくった。
『僕は、その顔を見たかっただけだ。抑止力を効かせる意味でね』
「抑止力?」
神流は首を傾げ聞き直す。
『対価は?』
「はっ?…………お前、白牛悪魔メンの装飾品の宝石とかを猫ババしてるだろ? 致命傷与えたのは、俺だから半分の権利は俺にある。それをやる」
べリアルが唖然とし顔から血の気が下がっていく。
「…………と言いたい所だが欲しい物を言ってみろ」
べリアルは、嗜めるように目で訴える。
『僕が欲しい物は━━━━━━』
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『召喚、後は君次第だ』
「ああ、色々ありがとな。死なすなよ俺を」
神流が、目の前に揺らめくシジルゲートに拳でノックするように触れると一瞬で引き込まれて消えて行った。
べリアルは扉を消さずに眺めながら闇の聖杯を掲げる。
『君に出て来られると色々不都合だ』
べリアルは、闇の聖杯に溢れた酒気の漂うブラックワインレッドの液体に炎を灯し思慮深く見詰め瞳に映す。
『ーーそれも愛』
べリアルは牙を出して嗤うと喉を一気に濡らすように闇の聖杯を呷り飲み干した。




