第12話 面倒なパーティーへ
翌朝――。
朝日が差し込む窓の隙間から光が漏れて、俺はゆっくりとベッドから起き上がる。
昨日の騒動のせいか、館はやけに静かだ。
廊下を歩いても、妙に気配が薄い。
メイドや執事たちが遠巻きに見ては小声で何やら囁いている。
昨夜の大音響は屋敷中に響き渡ったのだろう。
――まあ、どうでもいい。
朝食を済ませて、さっさと学園に向かう。
いつも通り、星流を巡らせて全力で駆け抜ける。
脚に意識を向けるだけで、地面との摩擦が消えるような軽やかさだ。
前世でもそうだったが、強くなった身体は何をしても楽しい。
シキの身体も、鍛えれば鍛えるほど素直に応えてくれる。
通学路の途中で、ふと気づく。
今日は義弟のシリウスの姿がない。
(まあ、休むのも当然か)
昨夜は派手に壁にめり込んでいたし、医務室で寝ているのだろう。
自分から仕掛けてきたのだから、しっかり反省してほしいものだ。
まあ、あの性格では反省なんて無理かもしれないが。
学園の門をくぐり、F組の教室に向かう。
ザワザワと賑やかな教室。誰も俺の顔を見てこない。
最近は噂になっているようだが、みんな俺のことは腫れ物のように扱っている。
少し前まで無視されていたのが、今では逆に過剰に警戒されているのがわかる。
その日の二限目、担任の岩教師が前に立つ。
生徒たちはまばらだが、一応全員席についている。
「お前ら、知っていると思うが――」
岩教師は淡々と告げる。
「数日後、学園主催の社交パーティーが開かれる。F組も一応、参加の権利はあるが……まあ、好きにしろ」
そう言って、机に書類をバサッと投げ出す。
「どうせ出ないやつがほとんどだろうし、成績優秀者だけは親が見に来たり、縁談が決まることもある。優秀なやつはスカウトされることもあるが、F組には関係ない話だな」
岩教師がふっと笑い、あからさまに冷ややかな視線を送ってくる。
社交パーティー。
――貴族階級の子女や親が集まり、上位クラスの生徒たちは成績や家柄を誇示する場でもある。
F組が行けば、きっと晒し者にされるだけだ。
魂が死ぬ前のシキも、一度も参加したことがなかった。
出ても嫌な思いをするだけだから、避けていたのだろう。
けれど――。
(俺は行こうか)
理由は明白だ。
エリナ・ベルフェルト。
どうせあいつはパーティーに現れる。
俺の悪評を広めるのも、あの場が最適だと考えるはずだ。
実際、もう根回ししているかもしれない。
俺は、自分の悪評などどうでもいいと思っている。
前世でもそうだった。
どれだけ変人だと言われても、強ければ勝手に名前が上がっていく。
――だが、この身体は元々シキのものだ。
この身体で生きてきた“本来のシキ”のことを考えると、彼の人生をここでさらに貶めたくはない。
……まあ、あとは。
エリナが調子に乗っているのが、ただただイラつく。
嫌いな奴が俺の知らないところで俺の悪評を流したら、イラつくから対処するだろう。
(パーティーにはパートナーがほぼ必須だったな)
男も女も、ペアで参加しなければならない。
俺が誘えるのは――二人だけだ。
放課後、いつものようにノエルの家の鍛錬場に向かった。
ここ一カ月ほど、鍛錬は毎日続けている。
今日もまた、星流の巡りを確認しているノエルの姿が見える。
隣でリサが無表情にストレッチをしている。
しばし軽く身体を動かしてから、俺は二人に向き直る。
「なあ、二人とも。パーティーに行くつもりはあるか?」
唐突な質問に、ノエルとリサは同時に目を丸くした。
「パーティー?」
ノエルが聞き返す。
「あの、社交パーティーのことですか?」
「ああ。学園で数日後に開かれるやつだ」
「うーん……」
ノエルは渋い顔をして頭を掻いた。
「行くつもりはないです。ああいうの、苦手なので……」
「私も、ないけど」
リサも首を横に振る。
俺は「そうか」とだけ返した。
「困ったな。どちらかにパートナーを頼もうと思ったんだが」
「え、シキさんが行くつもりなんですか?」
ノエルが驚いた様子で聞いてくる。
「ああ。ちょっとやりたいことがある」
正直、くだらない理由だが、俺なりに筋を通したい。
だがペアで行けないとなると、入場の時から目立って馬鹿にされる可能性があるな。
「じゃあ、私がパートナーになる」
「い、いや! 私が先に言います! 私が!」
すると、二人がいきなり手を挙げて立候補しだした。
「行かないんじゃないか?」
「シキが行くなら行く」
「私もです! シキさんのパートナーで!」
「それは私がなるから、ノエルは一人で鍛錬してて」
「リサさんこそ!」
なんだこの流れは。
どうやら二人とも、譲る気がないらしい。
「私が一緒に行きます!」
「私です」
目の前で二人が睨み合いを始めた。
――いつもこうだな。
鍛錬の内容でも、料理の分担でも、何かといえば張り合っている。
まあ、パーティーのパートナー争いなんて、正直どっちでもいい。
「どっちでもいいから、決めてくれ」
俺がため息をつくと、二人は何やらヒソヒソ相談し始めた。
「じゃ、じゃんけんで決めましょう」
「わかった」
二人は拳を握り、ジャンケンを始める。
「最初はグー、じゃんけん――ポン!」
勝ったのはノエルだった。
「やった……!」
小さくガッツポーズを決めている。
リサは、あからさまに残念そうな顔で肩を落とした。
まあ、これで決まりだ。
「じゃあ、ノエル。パートナーを頼む」
「は、はい! よろしくお願いします!」
リサの方を見ると、じっとこちらを見つめている。
「悪いな、リサ。また今度、頼む」
「別にいい。次は私が勝つから」
この無表情な負け惜しみが、妙に可愛い。
ふと、俺はリサに聞いておきたいことを思い出した。
「そうだ、リサ。お前の家――クローディア家は情報を扱う家だったよな」
「うん」
「盗むだけじゃなくて、流すのも得意か?」
リサは少しだけ首を傾げてから、親指を立てた。
「もちろん。なんでも得意」
「じゃあ、頼みたいことがある。パーティーの前に、ある噂を流してほしい」
「いいよ」
リサはあっさりと快諾した。
ノエルが興味津々に身を乗り出す。
「どんな噂ですか?」
「それは――まあ、パーティー当日を楽しみにしてくれ」
俺はニヤリと笑う。
これで、社交パーティーの準備は整った。
悪評を防ぐだけじゃない。ここからが本番だ。
「さて、今日も鍛錬をするか」
「はい! ……今日はその、手加減してください」
「シキの鍛錬は激しすぎる」
「鍛錬が厳しいのは当たり前だろ。そろそろ定期試験みたいなものがあるんだから、それまでにもっと強くならないとな」
「うぅ……今日はしっかり歩いて自分の家まで帰りたいです」
「激しいのも好きだけど、身体がもたない」
――もちろん今日も厳しくしたし、二人は鍛錬が終わって一時間ほど休憩してから馬車で帰っていた。
数日が経ち、ついに社交パーティー当日となった。
自室でパーティー用の服に着替えながら、俺は無意識にため息を吐く。
濃紺の上着にシルバーの刺繍が施され、無駄に高級感がある。
身なりだけは一人前の伯爵家の嫡男だ。
鏡に映る自分の姿を見て、ふっと苦笑する。
(正直、俺には似合わないな)
だがまあ、こういう場では目立ってナンボだろう。
準備を終え、部屋を出ようと扉を開けると、ちょうど廊下の向こうから足音が聞こえてきた。
案の定、義母のクラリッサと義弟のシリウスだ。
クラリッサは昼間から香水の匂いをぷんぷんさせ、金髪を完璧に巻き上げている。
シリウスはいつもの癖のついた前髪を整え、まだどこか顔色が悪い。
まあ、俺のせいだろうが。
二人とも、俺の姿を見るや否や、あからさまに顔をしかめる。
「まあ……シキさん、まさか社交パーティーに行くおつもり?」
クラリッサが冷ややかに言う。
「F組の分際で、よくも恥知らずな真似ができるものですこと」
「本当にそうですね、母上。兄には羞恥心というものがないらしい」
俺は無言で廊下を進み、二人を横目で見る。
「行かない奴は黙っていろ。怪我人が喋ると治りが遅くなるぞ」
淡々と返すと、シリウスが一瞬ギクリとしたような顔をした。
「兄上こそ、場違いな振る舞いをして家の恥を晒さないようにしてくださいよ」
悔し紛れの一言だが、声に覇気がない。
まだ先日の後遺症が残っているのか、杖なしで歩くのもやっとのようだ。
俺は、わざとらしく大きく肩を竦める。
「大丈夫だ。お前みたいに廊下の壁をぶち壊したりはしない」
「……っ!」
シリウスの顔が真っ赤になった。
クラリッサも無言で取り繕っているが、目の奥は怒りでぎらついている。
会話はここまでだ。
相手をする気もないので、そのまま馬車の用意がある玄関ホールへ向かう。
「シキ様、ご準備できました」
執事が馬車の扉を開けて待っている。軽く礼を返し、乗り込む。
外の風景が流れ出す。屋敷の重苦しい空気を離れると、心が幾分軽くなる。
――今日は、いろんな意味で面倒で、だが楽しい日になりそうだ。




