お題:都会の心 必須要素:美しい情景描写
ゲルマン民族に感謝したい。彼らの脅威があったおかげで、人間はわざわざ水路のはびこった干潟地に街を作ろうなんて工夫を凝らした。
美しい街だ。水の流れる音が街全体に優しく響いて、船頭たちは波の合間に沿ってオールを静かに揺らして豊かな表情をした異国の人達をどこにともなく運んでいる。
窓を開けて、湿った風を浴びて――そういった景色を眺めながら飲む珈琲に私は毎朝飽きもせず歓喜する。そして素晴らしい友人を持ったことに感謝もする。
「おきてたのか」
ぐしゃぐしゃの身なりで男が現れる。彼は自分と同じ日本人で、ここヴェネツィアには留学で滞在している。もう二年目になるらしい。彼と知り合ったのはつい先月のことだが。
私は彼と知り合うまで異国の情緒などまったく知りもしないいわゆる都会人であり社会人であった。そのころを思い出せば今でも嫌な汗が吹き出てくる。毎朝に執拗に味わなくてはならない満員電車。圧倒的な業務に忙殺されて日々はいとも簡単に終わる。口にした珈琲なんて自動販売機のものしか記憶にない。
そんな窮屈な都会の景色に未練はない。とはいえ27年あまりも住んできた環境を離れたのだからたまの不便さを覚えることもあるが、しかしそれよりも味わい深い異国の情緒の魅力のほうが当然勝る。
「どうしたんだよ、へんな眼をして」
彼は一瞬不思議そうな眼を浮かべたが、深く探るつもりもないのだろう。そのまま部屋に戻って、おそらく着替えを始めていた。
私は飲み終えた珈琲を片付けると共に、彼の分の珈琲も作り始めた。今ではそういう不便さがこのうえなく気持ちが良い。




