表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/18

風の音、彼女の声 お題:彼女と熱帯魚 必須要素:TOEIC

風を捕まえたいなんて本気で思っていた。


雲は空に浮かべるのに人はその上に立つことができないと知ったのは小学校に入った頃だったか。


当時は今の高層マンションと違う雑居アパートに住んでいて、親も近所の人と仲良くしていた。


ぼくも幼い容貌で愛想を振りまいて、近隣の人に自然と笑顔で接してもらっていた。


でも、そういう子供なりのいわゆる世間渡りの術がまったく通じない人がいた。


難しい名字をしていて、轟という漢字の読み方を初めて知ったのは彼女の表札からだった。


彼女は隣の部屋に住んでいて、おばさんたちの話からすると大学生ということだった。


ある日、そこのドアが空いている日があって、ぼくは好奇心に釣られて無許可で黙って侵入したことがあった。


一人暮らしの女性の部屋。


ぼくは驚愕した。


部屋の四方を取り囲む水槽の数々。


天井から色とりどりのライトに照らされて、水中では小さな魚たちが輝かしい光彩を放ちながらちろちろと泳いでいる。


さらに嗅いだこともないかぐわしいお香の匂い。


まるで水族館のような景色を目にして、ぼくはすっかり舞い上がってしまった。


それは当時、ろくなセンスも持ち合わせていない両親のレイアウトした家の景色と別世界のように違っていた。


部屋の中央にあるテーブルの上には、乱雑した筆記用具と参考書が置いてある。


そのころにはTOEICなんて縁もなく、意味すらも理解できなかったものだ。


そんな時、轟京子さんと出くわした。


「なにしてるの?」


彼女はさして驚きもせずに悠然とした態度でそう聞いてきた。


ぼくが子供だったからだろう。


半時間ばかりも水槽に夢中になっていると、ぼくと彼女は自然と仲良く話すようになっていた。


彼女はどんな大人とも違った。


ぼくが風を捕まえたい話をすると、彼女はそれが当然できることであるかのようにうなずいてくれた。


それどころか


「私は風をつかまえたことがあるよ」


そんなことを言い出した。


一か月もしたころ、ぼくは彼女が大学生というのはうそだと知った。


彼女はまもなく退去して、その去り際に教えてくれた。


「風はつかまえられるんだよ、本当に」


ぼくは、そのことを今でもわすれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ