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ファッキン・ティーチャー お題:記憶の踊り 必須要素:京都

たまらなく人の言葉がわずらわしくなる時期があった。


その時、ぼくは一人で京都に訪れていた。


どうしても哲学の道を歩きたかったからだ。


たった一人で旅をして、いろんなしがらみから解放された気分だけにでも浸りたかった。


だってそうだろう。


いつの世もくだらない大人は勝手なことしかいわない。


勉強をしろ、成績をあげろ。


悪いことはするな。人様に迷惑をかけるな。


こんな決まり台詞には逆に言いたい。


じゃあ、どうしてアンタらは勉強をしてこなかったんだ。成績をあげてこなかったんだ。


悪いことをしていない大人なんているのか。人様に本当に迷惑をかけていないのか。


なあ、先生よ?


仮に勉強をして成績をあげてきたなら、どうしてその叡智をさらなる社会に役立てない。


こんな場末の古びた校舎の片隅で無知の子供相手に大人気取ってる人生で満足なのか。


教科書ごときの読めばだれでも分かる程度の知恵を教えるだけで偉ぶって、必死に自分を保っているんだろう。


そんなテンプレートの知識になんの生産性があるっていうんだ。


そして大体の場合、塾の講師のほうがよっぽど分かりやすい授業をする。


それでも給与は学校の教職員の方がはるかに多い。


このことを微塵にも悪いことだとは思わないのか。肥えた豚の発想だ。


まったく何十年も生きてきて、めでたい頭にしか育たなかったものだ。


ぼくはいくら記憶を遡っても、学校がいわゆるスペシャリストな空間だと感じたことはない。


ずぼらな堕落とうすっぺらな驕慢さ、そこに醜い競争が起きているだけだ。


少しでもまともな考えを持っていれば、この空間は腐敗していると感じ取れる。


そうした世界で目立って踊っているのは、やはり決まったような馬鹿面ばかりだ。


体が大きく、声の大きい者が得してしまう社会。


でも、そんな野蛮な世界にも終わりはしっかり訪れようとしている。


人生には選ぶ権利がある。


子供にも大人にも同じようにある。


そして子供にも大人にも、それを止める権利はないのだ。


川面から涼しい風が舞い上がった。

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