推参!槍の炎浄院
「風よおぉぉぉぉ!!」
エナが一声。吹き荒ぶ風がびゅうびゅうと霧を巻き取り、彼女の周囲に幾本もの漏斗状の乱雲を形成していく。やがて上空から垂れさがってきた幾条もの竜巻、その只中に立つエナ。
彼女は、肩にかけたバトンケースの巾着を開け、中身を両手に構えた。
それは、70cm程の銀色の柄に両端の白い重し。一見すると何の変哲もない競技用バトンのようだった。だが……
しゃこん。
金属製の柄が、その内部に仕込まれた伸縮機構によって、大きく、伸びた。
ぎらり。さらに、柄の両端の白い突起の内部から飛び出したのは、銀色に輝く切っ先鋭い両鎌の刃。
見ろ。今やエナがその手に構えているのは、その両端に白刃を煌かせた、長さ3mに及ぶ十文字槍だ。
「炎浄院疾風の槍、参る!」
エナ、空を睨んでぼそりと呟くなり、
「ツイスター・FⅡ!!」
そう叫んで、跳んだ。
ごおおおお。
なんということだ。跳躍したエナの体がそのまま、吹き巻く風に吸い上げられてゆく。
エナが、荒れ狂う竜巻に飛び乗って宙を舞っているのだ。
おお。槍を携え、スカートをはためかせ、風の螺旋階段を轟速で駆け上がってゆく少女。敢然と頭上の敵を仰ぐ燃える眼のエナ。
「コータを、返せぇえええええ!!」
風の螺旋の昇りゆく先、立ち込めた霧の中に蠢く影を認めた少女は、中段に槍を構えて怒号を上げた。
びゅるん。びゅるん。
エナの真上から、その体を巻き取らんと襲いかかる何本もの粘つく触手。その蛸足を、
ずぶり。
彼女の振った鋭い槍の穂先が、突き貫き、抉りとり、次々と切り裂いていく。
びゅうう。あ、勢い余ったエナの槍が触手もろとも、我が身を巻き上げる竜巻をも切り裂いた。
とたんに、内側から千々にちぎれて四散する竜巻。エナの体が空中に放り出された。
だが、ふわり。
次の瞬間には、彼女の体は再び上昇していた。近くをスピンするもう一条の竜巻に飛び乗ったのだ。
竜巻の旋回と逆回転に全力疾走。
X座標を保ちながら、少女はコータの消えた先を目指してまっしぐら。空を駆けていくエナ。
これが、彼女の『秘術』だった。
周囲の気流を自在に操り、生じた竜巻に我が身を委ねて縦横無尽に宙を飛ぶ舞空の技。
嵐の徒。風に乗って歩む者。
エナもまた、代々冥条家と共に世界を破壊者から庇護する『監視者』の家系、『夜見の衆』炎浄院家の末裔だった。その手に構えた両刃槍『疾風の槍』がその証。
「突けば槍、薙げば薙刀、引けば鎌」
そう謳われた炎浄院伝来の十文字槍だ。
びゅるん。びゅるん。
一触即斬。疾風の槍が、襲い来る触手を次々に斬り払っていく。
ぶちゃあ。
切り裂かれた触手から飛び散るどす黒い体液が、竜巻に散り周囲の霧を灰色に濁した。
……この程度の相手なら、私一人でまとめて束ねて、なます切りにしてやる!
空を舞いながら猛り立つエナ。だが……
びしゅ。
突然、彼女の正面から、霧を散らして何かが飛んできた。
絹を裂くような甲高い異音と共に飛んできた『それ』が、エナの乗った竜巻を真っ二つに、両断した。
「なに!」
不意の攻撃に思わず声をあげるエナ。宙に投げ出されるも、すかさず次の風に乗る。だが、
びしゅ!びしゅ!
霧の向こうから矢継ぎ早に放たれる見えない刃が、エナの竜巻を、空駆ける騎馬を次々と切り裂いてゆく。
「これは……『かまいたち』!」
愕然のエナ、彼女と同じく気流を操る『秘術』の使い手が、触れたもの全て切り裂く真空の刃を放って、霧の向こうからエナを攻撃しているのだ。
「ふーん……これが『夜見の衆』、聖痕十文字学園の『選手』の能力か……」
霧の向こうで何者かが嘲笑うように言った。まだ若い、というよりも、子供の声だ。
「く……」
予期せぬ使い手の襲来に眉を寄せて眼を凝らすエナ。霧の中に誰かが立っている。
「あ……!」
彼女は眼前の影に息を飲んだ。この凄惨な空の戦場に、およそ似つかわしくない姿を認めたのだ。
空中に蠢く触手の上で、器用にバランスを取りながら佇んでいるのは、エナよりもさらに小さな、少年の影。
「でも、この程度じゃあ『ゲーム』にならないよ……」
彼女の正面に迫ってきた影がそう言うなり、
びしゅ!
再び放たれた『かまいたち』の一閃がエナの眼前に来た。
「うぅ!」
エナ、咄嗟に疾風の槍の切っ先を、かまいたちの軌道にぴたり。
疾風の槍に斬れないものはない。たとえ真空の刃であろうと。
いける!……とエナは思った、だがその時!
ばちん!
槍の切っ先に割かれた真空波が二つに分裂、片刃がエナの右肩を、片刃が彼女の構えた槍の柄を、同時に両断した。
「ぅぁああ!」
少女の悲鳴。裂かれた肩から噴き出した彼女の血が、周囲の竜巻に巻き上げられて宙を舞う。白い霧を朱に染め上げてゆく鮮血の燦爛。
びょおお。ああ、竜巻から転げ落ちたエナ。柄の真中から断たれた槍を取り落とし、右肩を押さえながら、地上に落下していく。
地面向かって一直線。頭から墜落するエナのすぐ目の前に、アスファルトが迫ってくる。
……だめだ、助からない。と見えたその時。
「うう……風よぉ!」
エナが右肩を苛む苦痛に顔を歪めながら、そう叫んだ。
びゅうう。間一髪、彼女の体は地面に激突する直前、空中でふわりと弾んだ。
エナの体を抱きとめたのは、彼女自身が最後の力を振り絞って作り上げた竜巻のクッションだった。
「ぐうぅ……コータくん……コータくん!」
風のクッションから転がり落ちて、地面を這って行くエナ。
彼女は路面に突き刺さった疾風の槍の一柄に向かってにじり寄ると、なんとか動く左手で、それを引き抜いた。
柄の真中から折れた槍を杖替わりに、震える足で懸命に立ち上がったエナ。
「待っててコータくん……!絶対に……助けるから!」
エナの頬を、後悔と無念の涙が、止め途なく流れ続けた。
かつり。ひとしきりコータの消えた先を仰いだ彼女は、赤い髪留めでツインテールを纏めると、厳しい表情で踵を返した。
彼女の眼の前に聳えていたのは、聖痕十文字学園の巨大校門『冥府門』だった。




