浮上
「いや……裂花は『監視者』ではない、正確に言えば……人でもない」
そう答えるせつなの声はこれまで以上に固くて冷たかった。
「『無明一族』……かつて、『秘術』を授かった我ら人間が、この世界から放逐した妖魔の末裔だ」
少年の声には苦々しさと、ある種の畏怖があった。
「人間以上に様々な秘術に通じ、齢をとらず、男女の別なくたぶらかし、血を啜る魔性……『吸血花』、学園の徒花……」
少年が虚空を見つめて誰ともなしに呟く。
「そ……そんなやばい奴がなんで普通に学園の図書室で自習してんのよ……」
どん引きの琉詩葉。
「理由は分からんが、奴もまた『ルルイエ学園』と戦っているのだ、五十年前の戦も、裂花の率いる援軍がなければ勝てなかったと聞く、それに……」
せつなは皮肉っぽく笑った。
「奴が『学園』に棲む理由、それはお前の祖父が……まあいい」
せつなは言葉を濁して琉詩葉を向いた。
「冥条琉詩葉、ここでいつまでも話している暇はない!蠱毒房の行は終わった、さあ地上に戻れ!なにしろ……」
少年が頭上を仰いで言う。
「今、学園は『戦』の只中なのだから!」
「でえ!戦?いつの間に!」
呆然の琉詩葉に、
「闘いに夢中で気付いてないのかも知れんが、お前は闇蜘蛛一族と三日三晩果し合いを続けたのだ」
凄い事をさらりと答えるせつな。
「でも戻るって、どっから、どうやって?」
大広間の真中で、琉詩葉は天井を見上げた。
黒曜石の巨大な腕が屹立するその先、何十メートルも彼方の天井から、一筋、光が漏れている。
陽の光だろうか。
「くく……冥条琉詩葉、お前のその手に在るのは何だ?」
少年が笑う。
「あ……」
琉詩葉は気付いた。
彼女の体力の回復と共に、右手の『招蠱大冥杖』が、ナメクジを召喚した時よりも、さらに眩い紫光を放っているのだ。
「蠱毒房の行を修めたお前ならば、還る手段は蠱術の他にあるまい!琉詩葉、これを使え!」
せつなが掌中の何かを琉詩葉に投げてよこした。
「これは!」
キャッチした琉詩葉が目を見張る。
琉詩葉の手に在るのは、先程少年が封じた『プルートウ』のなれの果て。
金色に輝く、小さな甲虫のブローチだった。
「わかった!ありがとー!せつな君!」
琉詩葉は金のブローチをブレザーの襟元に留めると、大冥杖をかざして叫んだ。
「冥条流蠱術、『ダーク・ビートル』!!」
びゅーーーーん!
ブローチから溢れ出した光の奔流が錫杖に吸い込まれていく。
琉詩葉の影が、石畳全体に広がった。
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「電磁郎、天幻寺、いよいよだな……」
冬の朝だ。登校する生徒の影もまばらな聖痕十文字学園の校庭の朝礼台に、獄閻斎が立っている。
傍らには生徒指導主事の電磁郎、老人の背後に立つは影執事天幻寺。
「生徒達は?」
そう訊く獄閻斎に、
「教員と『夜見の衆』以外の者には皆、自宅待機を申しつけております」
答える電磁郎の声は、迫りくる危機を予感してか、固い。
その朝の学園の光景は、異様だった。
まるでミルクを流し込んだような真っ白な濃霧が、小高い聖ヶ丘に建つ学園とその周囲にぶ厚く立ちこめて、十メートル先もおぼつかない。
はあ、はあ、はあ。
息を切らせて、『冥府門』に誰かが転がり込んできた。
霧で覆われ、誰かもわからぬ人影が、校庭を突っ切って校舎むかって走ってくる。
「どうした!?」
駆け寄る電磁郎。
近づいてみれば人影は肩で息をしたツインテールに眼鏡の少女。
琉詩葉のクラスメート、炎浄院エナだった。
「霧よ!霧の中にいる何かが、コータ君をさらって行ってしまった!!」
恐怖で竦んだ眼をした少女が、震えながら金切声を上げた。




