五話 「青年が見た夢Ⅰ」
白ウサギは夢を見ていた。幸せに満ちた夢を。
紅茶と菓子の匂いがする庭園で、幼い少女の笑顔が目に浮かぶ。普段泣いてばかりの彼女が笑うと、こっちまで嬉しくなる。たまに友人達もやって来て、面倒を見てくれたりもした。
けれど、幸せな毎日はそう長くは続かなかった。我に返り目に飛び込んだ光景は、彼女が震えていた。
あんなに可愛かった顔がみるみるうちに恐怖と絶望に染まっていく。涙があふれ、怯えている。
どうしたの、と手を差し伸べれば自分の手にべっとりと血がついていることに気づく。よく見れば、自分自身の身体は返り血だらけだ。
どうしてこんなことになったんだろう、なぜあの子は怯えているんだろう。思考がまとまらない。視界が歪んでめちゃくちゃになり、やがて呼吸困難になる。
――意識が途切れる直前。あの憎たらしいあいつの笑い声が聞こえた気がした。
◇◇◇
時は流れ、昼下がりから夕暮れへと差し掛かるエタンセル王国の街にある店の一角。
帽子屋はある理由で落ち悩んでいた。アリスはそんな気は微塵も湧いてこなかったが。
「なかなか起きませんね……。もう結構な時間経ってますよ」
「ふん、いい気味だわ。日頃の行いが悪いのよ、きっと」
「貴女が彼を無理にさせてるんですよ。大人は子供と違って回復が遅いんですから」
「そういうあんたは何歳よ」
最初は白ウサギを気にかけていた二人だが、話はどんどん脱線していく。こうもなると白ウサギが哀れに見えてきた。
「十七です。今年で十八になります。女性に年齢を聞くのもアレなんですが……。アリスは何歳ですか?」
「多分あんたと同い年か一つ違いよ。背丈はあんたの方が高いのが気に食わないけど……」
「あはは、僕はどんな女性でも好みですよ。たとえ背が低いのがコンプレックスだからってぇ!?」
帽子屋は間一髪でアリスの蹴り技を避けた。やはり庶民とは違う暮らしを受けていたのか、護身術も教養しているようだ。
「あんた……意外とやるわね」
「これでも避けれるものは避けれるんですよ。基礎的なものしかできませんけど」
苦笑する帽子屋を見て、アリスは帽子屋に少しだけ関心した。しかし、アリスは帽子屋のことを不思議に思っていた。
護身術を身につけられるくらいなら、白ウサギのことだって運べたのかもしれない。アリスはそのことについて尋ねた。
「ただサボってただけですよ。こんなに華奢で可愛い僕にムキムキの筋肉なんか付いてたら、マドモアゼル達に気に入られないでしょ?」
「あんたのそういうところ直したほうがいいわよ」
「そうですか~?」
「気持ち悪い」
「えへっ」
アリスは帽子屋に若干の拒絶反応と嫌悪感を抱き、自分の周りにはまともな人間が一人もいないということを再確認した。
◇◇◇
もう一つ、白ウサギは夢を見た。
金髪の少年が、けたけた、けたけたと笑う。白ウサギがよく知っている人物だ。
ある日、手が付けられないから、と言われて同僚達が押し付けた少年。
濃い金髪は短く切りそろえられ、三つ編みをしている。服装は黒のセーラー服に赤いリボン。セーラー服に合わせたのかズボンも黒で、膝元が隠れるくらいの短パンだ。そして、白の長靴下に黒のローファーを履いている。
白ウサギのことを『兄さん』と呼び、笑顔が似合うなかなか可愛らしい少年だが、簡単に解決できない問題点があった。部屋を駆け回ったり、いつもべったりと後ろをついていくのはまだ許せた。
気がふれている。
時折りくすくすと笑ったり、気に入ってると言っていたぬいぐるみをジャックナイフでぼろぼろに引き裂いたりしていた。
何度言ってもこの性格だけは治らないので、もう彼の好きなようにさせた。
するとどうだろう、重りがなくなったかのように体がすっきりと軽くなる。困っていた同僚達の気持ちも分かる気がした。
白ウサギは施設の中にある中庭で寝転がると、青空が目いっぱい広がった。
仕事では夜空ばかり見ていたせいもあって、余計に美しく見えた。
しばらくすると、仕事の疲れのせいか少しずつ睡魔が襲ってくる。たまには昼寝もいいかもしれないと、白ウサギは眠ることにした。
少し寝るつもりがもう夕方になっていた。しまった、寝過ごした。早く部屋に戻らないと、あの少年がご飯はまだかとうるさくなる。
それに秘密の場所で預かることになった、あの子のことも白ウサギは気になっていた。透き通った金髪に、まるで女の子みたいに華奢で可愛い男の子。
どちらを優先するのが迷ったが、白ウサギは気のふれた少年のことを優先することに決めた。
白ウサギは仕方なく立ち上がり部屋に戻ろうとすると、ぐい、と服の裾を誰かに引っ張られる。
「兄さん、一緒に遊ぼう?」
狂気に染まった少年の笑顔と赤い目を、夕焼けがさらに赤く照らし出していた。




