261/水族館
――雪の舞うトンネルを歩む。
室内だというのに、はらはらと舞い落ちる雪華たち。
その中を、ふよふよ、と泳ぐモノが見えた。
半透明の白色のそれは、雪が降り注ぐ空を漂うように泳いでいる。
生き物というよりも独特な形をしたきのこのようにも見えるそれは、クラゲという生き物らしい。全身がゼリーのような材質で出来ているそれを見て、ニールはスライムを連想する。
「すげえな、こっちにはこんな生き物いるのか……いや、俺が知らねえだけであっちにも居るのか? まあいいかどっちでも!」
水族館が水に関する生き物を鑑賞できる施設であることは語感からなんとなく察していた。
そう、水族館の中である。ゆえに、降り注ぐ雪は天井、壁、床に映し出された映像に他ならず、空を舞うように泳いでいるクラゲもまた壁に埋め込まれた水槽の中を漂っているに過ぎない。
だが、装飾を否定しありのままを感じるだけというのもまたつまらないだろう。雪道を歩く中で宙を舞うクラゲを見たとまではさすがに思い込めないが、凄いと思ったり綺麗だと思ったりして楽しめば良い。
「しっかし……こいつは本来は海の中で泳いでやがんのか。俺は陸専門だが、海洋冒険者が海にロマン感じるのも分かっちまうなぁ……」
水中を器用に泳ぐ半透明の生き物、クラゲに対して『良く分からない気持ち悪い生き物だな』と思う心も確かにあったが、それ以上に『綺麗』と思った。
透き通った姿の異形であり、触手のようなモノをひらひらとさせていると言えば気色の悪さすら感じるというのに――実際に目にしたら幻想的とさえ思うのだから不思議だ。
海洋冒険者は何が楽しくてあるかどうかも分からない新大陸を探すのかと思っていたが、一度でもこういうモノに出会ったのなら、新たな出会いに期待して船を出してしまう気持ちも分かる。
「意外ね……ニール、そういうちんまいのって興味ないとばかり」
少し屈んで水槽を眺めていると、背後から意外そうな声が響くと共に肩の辺りに連翹の顎が乗った。
小さく溜息を吐きながら後手で顎を押しのける。わぶう、という変な声を漏らして一歩下がる連翹。
「ま、小魚よりでけえ魚の方が見るなら迫力あるだろうとは思うぜ? けどそれはそれだ、このクラゲってやつは初めて見たが、奇妙だってのに綺麗で見ていて楽しいしな」
見たことのないモノである以上、比較など出来るはずもない。
そんなことを考えながらニールは周囲を見渡した。
瞳に映るのは先程と同じような雪――否、雪を模した仕掛けによって彩られた情景だ。
地面を見下ろせば雪が積もった地面。無論、それもまた虚構なのだが、試しに足を雪が積もった部分に載せてみると足跡が刻まれる。
さすがに雪を踏みしめるような感触こそないが、それさえ除けば本物のよう。だが、寒くもなければ足も取られないので、偽物は偽物で悪くない。それどころか雪の綺麗な部分だけを堪能出来るのだ、降り注ぐ雪を見て楽しむという一面においては偽物の方が優れていると言っても過言ではないだろう。
「雪景色とクラゲという催しモノらしいな。期間中であり、かつ開始直後でも終了間近でもない時期だ。人こそ多いが、過剰な程でもない。運が良かったな」
「ガラガラ過ぎても寂しいけど、あんまり沢山いると見るのも一苦労だものね」
ニールたちから僅か後方で桜大と茉莉がそう言って微笑む。
二人の視線に思わずニールは体の動きを止める。だいぶテンションを上げていたため、悠然とする二人に見られると少し恥ずかしい。自分が非常に子供っぽく思えた。
「そういう時に恥ずかしがる方が子供っぽいと思うわよ。どうせお父さんやお母さんからすればあたしたちなんて二十年も行きていない子供なんだから」
「それはそれで開き直りな気もするけどな」
得意気な顔で言う連翹にツッコミつつ、茉莉たちのペースを考慮しつつ前へと進む。
クラゲたちが舞う雪景色を抜けて、サンゴ礁エリアという場所に辿り着いた。
「サンゴって言われてもな。連翹、お前なんだか知ってるか?」
「え? ええっと、海の底とかに生えてる森の海バージョン? 森の中に動物がわんさかいるみたいに、サンゴ周辺には海の生き物がたくさん――って待ってニール。貴方、港町を拠点にしてたって言ってた癖に、どうしてこうも海のこと知らないのよ?」
「んなこと言われても、船で冒険してたワケでも海に潜ってたワケでもねえからな……」
連翹に破れてから北部を出て、流れに流れて東部の港町へ行った。だがそれは海に興味があったワケでも海洋冒険者になりたかったワケでもなく、ただただ陸の冒険者として仕事を求めた結果。漁師や海洋冒険者の話を小耳にはさむことはあったため、ずっと内陸で暮らしている人間よりは海に詳しいのだろうが、それでも知識量は素人に毛が生えた程度でしかない。
(だが、ちっとばかし勿体なかったかもな)
海のモンスターは剣で戦えないから、剣士として興味を持てなかったのだが――水槽の中で泳ぐ見たことのない魚たちを見ると、漁師や海洋冒険者から話を聞いてたら楽しかったろうなと思うのだ。
もっとも、昔の自分はあまり余裕がなかったから、思ったところで実行出来なかったかもしれない――そのようなことを考えながら水槽を眺め、先程の連翹のざっくりとした説明をなんとなくだが理解した。
サンゴ――葉の無くなった木や蓮、キノコなどを連想させつつもどこか石のような質感をしたモノが水槽の中央に座している。その周囲をカラフルな小魚たちが己の色をこちらに見せつけるように泳いでいた。
「あ、凄い! なんか昔見た3D映画の魚そっくり! ほら、ネズミの国の会社が作ってるアレ!」
「逆よ連翹、それは逆。あっちがこれに似せてるの」
はしゃぐ連翹の後ろで恥ずかしそうに窘める茉莉。
逸れぬよう皆の気配を感じ取りつつ周囲をぐるりと見渡す。先程と違い特別な映像効果は使われていないが、しかし小さくて鮮やかな魚が多いからだろう、女子供が多いような気がした。
先程のクラゲを綺麗だとか神秘的であると形容するならば、こちらはストレートに可愛らしいとでも言うべきか。小さくも逞しく泳ぐ色とりどりの小魚たちに連翹や茉莉も心奪われているようであった。
「……っと、そういや桜大さんはどうした?」
さすがに良い歳した大人だ、逸れているとは思っていないが少し気になる。
先程感じ取った気配を辿って歩くと、程なくして桜大の背中を発見することが出来た。
「……」
水槽に反射するのは普段通りの厳しい顔――そう見えて、少しだけ緩んでいるように思えた。
何を見ているのか気になり、ニールもまた他の客の間をすり抜けながら水槽の前に行く。
すると発見する。砂から顔を出す複数の小さく細長い魚らしきモノたちを。
力強く泳ぐでもなく、愛想を振りまいて舞うでもなく、砂から半身を出しふらふらと揺れる存在。水槽の下に書かれている文字を読む限り、どうやらそれはチンアナゴと言うらしい。
「……グラジオラス、お前も見に来たのか」
「いや、俺は桜大さんが何やってんのか気になっただけなんだが――好きなのか? このチンアナゴとかいうの」
「うむ。一時期流行ったらしいので話のために一度、程度の考えだったが……中々愛嬌がある」
「愛嬌……?」
いや、何匹も顔を出してる姿って正直気持ち悪くねえかな? そう思いながらも一応、チンアナゴを観察してみる。
水槽の中のチンアナゴ、その一匹と目が合った。なるほど、こうして見るとつぶらな瞳をしている。時折ぱくぱくと動かす口の動きも、確かに愛らしいと言えば愛らしい。
「なるほど、こうして見ると確かになぁ……」
「だろう?」
あんまり沢山いると気持ち悪く感じるのは変わらないが、こうやってじっくりと鑑賞してみると、確かに愛らしい。
納得したと頷くニールを横目で見ながら桜大が小さく、しかし確かに得意げに笑う。
「家は娘が一人だからな、こうやっていると息子が出来たようで新鮮だ」
「礼儀知らずの息子で悪いがな。……今回はそれで苦労したし、後でカルナに頼んで教えて貰わねえとな」
「そうすると良い。奴も奴で完璧には程遠いが、教える側になれば成長するものだ」
「そこら辺は剣と一緒だな。誰かに教えてると自分が無意識になあなあでやってた部分が突きつけられて気が引き締まる」
「……なんでも剣に関連付けるな、グラジオラスは」
「よく言われる。ま、俺にとって一番分かりやすいからな」
剣が好きだからというのももちろんあるのだが、一番の理由は自分が一番真剣に打ち込んでいるモノだからだろう。
ゆえに、色々なことを剣に置き換えて考えるのが一番分かりやすいし納得出来る。
剣も魔法も奇跡も礼節も、他の何であっても努力をし習慣にし毎日続けなければ身につくはずもないのだから。努力の方向性やすべきことが違うだけで、必要な熱量はどれも同じだろう。
(……そう考えると、剣と同じくらい礼節についても頑張らねえといけねえんだよなぁ)
正直、面倒だしやりたくないというのが本音だ。
だが、苦しくとも始めなければ今のまま変わることはない。それが嫌ならやるしかないだろう。
「ま、これも剣の鍛錬と一緒だ。習慣にしちまえばどうってことねえさ」
どのようなことも車輪と同じだ。最初の一回転こそ重いものの、勢いさえ乗ってしまえばなんとかなる。
無論、人によって回し辛かったり、歳を重ねたら車輪そのものが錆びついたりするものだが――言い訳をして何もやらなければいつまでも出来ないままだ。
「耳が痛いな」
「桜大さんの場合は、まあ連翹の方にも問題はあったからなぁ。今ならともかく、昔のあいつじゃ多少歩み寄ったところでどうにもならなかったろ」
片方が不器用ながらに歩み寄ったところで、もう片方が離れてしまえば距離が縮まるはずもない。
だが、時を経て互いに歩み寄ることが出来た。
それは普通の家族から見れば遅すぎるくらいなのだろうが、世の中にはすれ違ったまま二度と交わらない家族も存在するのだ。ならば、これはベストではないがベターなのだろう。
「あー! こんなとこに居たー!」
そうか、と小さく呟く桜大の声をかき消すように連翹の声が響いた。
他の客をすり抜けながら駆け寄ってきた彼女は、ニールたちの前で腕を組む。
「男同士でぼそぼそと何やってんの? ホモってるの? 現在進行系なの? HOMOingなの?」
「進行云々どころかそもそも始まってねえよ」
「そうだったのか? グラジオラス」
心外だ、とばかりに言い放った桜大にニールと連翹の視線が突き刺さる。
賑やかな水族館内で局地的に訪れた静寂――その中で、桜大は眉にシワを寄せた。
「理解は出来んが、会話内容から察するに若者特有の冗談だろう? ならば無闇に否定するのではなく、最低限その流れに乗るべきだと思ったが……」
違ったか? と問いかける桜大の様子にニールは安堵の息を吐く。
真顔であんなことを言うものだから、本気だとは思わずとも「もしかしたら」と思ってしまった。
連翹もまた同じだったのか、「あー」と言葉を選ぶように小さく声を漏らす。
「その、ごめん、普段と同じ表情でそういうこと言われると冗談か本当か分かんなくなるの」
「そうか?」
「うん、そう」
「……そうか」
若干気まずい空気。
そんな中、連翹の後ろから茉莉がひょこりと顔をだす。
「桜大さん、そういうのに慣れてないんだから無理に合わせようとしなくていいの。連翹もあんまりネタ振ってあげないでちょうだい。この人は、その、なんというか、昔からこういう人だから」
「あー、うん、大体想像出来たわ。お母さん大変だったんじゃない? 話聞く限り超面倒くさそうなんだけど」
「うーん、大変は大変だったけど娘を育てるよりは楽だったわよ。それに比べれば全然面倒じゃなかったわね」
「そ、その節はご迷惑をおかけしましたぁ……」
「よろしい」
調子に乗りかけた連翹を一刀で黙らせる茉莉。やはり強い。
だが、そんな強者に物申す者が一人。桜大である。納得できぬとばかりに鋭い眼で茉莉を見下ろす。
「しかしだな茉莉。歩み寄らねば近づけんだろう」
「だからってまともに運動してなかった人が突然マラソン大会に出ても途中で倒れるだけでしょう? 頑張るのと無謀なのは全く別問題よ」
「――なるほど、道理だな」
返す刃で桜大は納得し沈黙。やはり強い。
上手く噛み合った結果、三人のコミュニケーションも円滑に行われているようで何よりだ。
「まあうん、昔からこういう部分も多かったんだけど――ずーっと厳しい顔してるから、実はけっこう天然だって中々気づかれなくてね」
「勘違い系主人公かなにか?」
「今時はそういうモノもあるのか……」
(……しっかし、マジで俺は居ないほうがいいんじゃねえか?)
楽しげな三人を見ると、ニール・グラジオラスという男が酷く場違いに感じるのだ。
連翹に誘われたから同行しているが、親子三人の間に自分が入るのはどうかと思ってしまう。
気を使って距離を取ろうと一歩距離を取った――その瞬間、高速で間合いを詰めてきた連翹に腕をがしりと掴まれる。
「そうだくだらない話してたら忘れてたわ! ねえニール、下! あっちから降りる場所の下見て下! 下! ペンギンいる! ペンギンいるの!」
「お、落ち着けよ連翹、語彙力溶けてんぞお前……おっ、あれか」
未だかつてない連翹のテンションに若干引きつつも、桜大たちと共に道なりに進み――下の階に白黒の鳥らしき生き物が岩山の上をぺたぺたと歩き回っているのが見えた。
つぶらな瞳に丸みを帯びたシルエットは、なるほど、確かに女子供に人気になりそうだ。ぺた、ぺた、というのんびりとした動きも確かに愛らしい。
「……飛ばねえ鳥もいるんだな」
鳥か、タレつけて焼いたら美味えのかな? という思考が伝わったのかそうでないのか、ニールが見つめていたペンギンは即座に水の中にダイブ。こちらから離れるようにすいすいと水の中を泳いでいった。
なるほど、なぜ鳥なのに魚がメインの場所に居るのかと思ったが、飛ぶより泳ぐ方が得意な鳥のようだ。
よくよく水中を観察してみると、陸地よりもずっと軽やかな動きで移動するペンギンたちが見える。陸地ののたのたとした動きを見てどうやって生き延びるんだこいつらと思ったが、彼らにとっての空は水の中のようだ。
「お父さんお母さんニール! あたしもっと近くで見たいから下に行ってくる!」
「構わんが、走って迷惑をかけるなよ」
分かったー! と早歩きで移動を開始する連翹の背を、桜大が小さく溜息を吐きながら追う。
「茉莉さんはいいんすか? 女子供が好きな感じの生き物じゃないっすか、あれ」
「実を言うと鳥類ってあんまり好きじゃないの。漫画とかぬいぐるみみたいにデフォルメされてたら大丈夫なんだけどね」
クチバシとか足元がちょっと気持ち悪くない? と言いながらゆっくりと下の階へ。
多少苦手意識はあるようだが視界に入れたくないほど苦手というワケではないらしく、下の水槽に張り付いていてペンギンを見つめている連翹を愛おしそうに見つめていた。
「そういえばグラジオラスくんには何か苦手な生き物とかあるのかしら? 魚もクラゲも大丈夫だったみたいだけど」
「正直あんま無いっすけど、強いて言えば室内に出てくるネズミとかゴキブリっすかね」
「あら意外」
そういうの気にしないタイプだと思ってたわ、と微笑む茉莉に「まあ、悲鳴を上げるほど苦手じゃないのは確かっすね」と頷く。
「けどあいつら、どれだけ掃除してもちょくちょく出没しやがるんすよ。部屋で完全に気ぃ抜いてる時に突然横切られるとビビるし、部屋を壊しちまうから剣で殺せねえし、かといって放置しておくワケにもいかねえしで面倒なんすよ」
実家の手伝いをしていた時はまさしく天敵だったし、冒険者になったばかりの頃に安宿に泊まっていたらよくエンカウントしたものだ。
後者に関しては自分に害が無ければ放っておけば良かったのだろうが、実家での癖が抜けないせいかなんの対処もしないと落ち着かず、結果寝る間も惜しんで部屋のゴキブリやネズミを退治しまくるハメになった。
「ああ、触れたくないとかの嫌いじゃなくて、びっくりとか面倒だから嫌いなのね」
「そうなんすよね。どうせなら二、三十倍くらいデカけりゃ堂々と剣でざっくりと……いや、変な汁とか出そうでそれはそれで駄目か」
「ねえやめてグラジオラスくん、想像しちゃうからやめて」
顔を顰める茉莉に謝りながら歩き、下の階に到着する。
やはりペンギンは一番人気なのだろう。特別なことをしている様子もないというのに、先程イベントが行われていたクラゲのエリアに勝るとも劣らぬ繁盛っぷりだ。
近くにカフェも併設されていることから、運営側もここに人が集まると認識しているのだろう。
「よし、せっかくここにしかないモノがあるんだし、休憩がてらちょっと飲み物買っちゃいましょうか」
「あ、それなら俺が――」
「いいの」
実質無限に金が使える自分が金を出そうというニールの言葉に、茉莉は静かに首を振る。
「こういうのをするのも、今日くらいでしょう? だから、わたしがやりたいの」
「ん……そういうことなら。でも、俺の分くらいは」
「遊びに来てくれたお友達にだけ自腹切らせるのってどうかと思うの、わたし。そのお金は自分が欲しいモノとかお土産用に使って」
和やかに、優しく、けれどきっとこれ以上何を言っても揺らぎそうにない茉莉の笑みに、ニールは黙って頷いた。
よろしい、と満足気に頷いた茉莉は、そのままカフェに向けて歩き出す。ニールもまた、荷物持ちくらいはと思ってその背中を追った。
まだ朝なためか並ぶ客もまばらなカウンターで四つのドリンクを注文。
連翹用にペンギンの氷が乗ったフロートを買い、ニールはクラフトビールという言霊に心を惹かれまくるものの『俺は未成年……こっちじゃ酒を飲めねえ年齢……無理に頼んでバレたら迷惑かけちまう』と心の中で呪文のように唱えながら青くて光るという触れ込みのジュースを頼む。茉莉は自分用にカフェラテを、桜大ようにホットコーヒーを頼んだ。
程なくして出来上がったドリンクを手にペンギンの水槽へと近づいて連翹たちを探す。
すると、あちらもまた近くに居ないニールたちを探していたのか、こちらの姿を認めると他のお客の邪魔にならない範囲の小走りでこちらに近づいてきた。
「良かった、もしかしたら迷ったのかと思ったわ。ニールはスマホ持ってないんだから迷子になったら合流に苦労するんだから気をつけてよね」
「真っ先に単独で突っ込んだお前に言われたかねえがな、つーかスマホ持ってねえのはお前も同じだろ」
「……あ、そっか。やっばい、完全に自分は持ってる気で話してたんだけど。お母さん、あたしのスマホってどうなったの?」
「ごめんね、一年くらいはずっとお金払ってたんだけど、それ以降はさすがに解約しちゃったわ。一応、捨てずに置いてはあるんだけど」
「た、大変申し訳なく思ってます……どうしよニール、超きまずいんだけど……!?」
「そりゃお前、自分が居なかった時のこと聞いたらこういう流れになるに決まってんだろうが」
小さく溜息を吐きながら手に持ったドリンクを手渡す。
咄嗟に受け止めた連翹は「冷たっ!?」と小さく悲鳴を上げ、手元のそれをまじまじと見つめ――
「ふわあああ、なにこれ凄いペンギンが乗ってる……!」
「なんだかんだでこういう普通に可愛い生き物も好きなんだな、お前。黒服にシルバーアクセサリと剣、みてえなのしか興味がねえのかと思ってたぞ俺は」
言いながら自分の分のジュースを啜る。
グレープフルーツの柑橘系の爽快さとサイダーめいた爽快な甘みが程よく乾いた喉を潤した。
しかし、混ぜてあるのはグレープフルーツとブルーハワイとメニューに書かれていたが、結局この青い味の液体はなんなのだろうか。
「ニールだってお肉も卵もお酒も好きでしょ? つまりはそういうことよ――ってニールが飲んでるそれなんなの? なんか光ってるけど何の光? チェレンコフ光?」
「なるほど、すげえ的確な説明だな――あと、そのチェレンなんたらがどういうもんなのかは知らねえが絶対違ぇだろ。ほら、氷に似せた光るヤツが入ってるだけだ」
茉莉や桜大からの『いや、その説明はきっと的確ではない』という視線を受け流しながら自分のジュースを見せびらかす。
それを羨ましがった連翹が光る氷型ライトキューブを奪い取ろうとするので、手が届かないギリギリの辺りで見せつけながら悠々と中身を飲み干してみせる。ああっ……、という声と共に恨めしそうな表情を浮かべる彼女をあざ笑うように口角を上げて楽しんだ後、隙を突いてライトキューブを連翹のドリンクに突っ込む。
ドリンクの上に乗ったペンギン型の氷を崩さないように入れたため、少し溶けかけたペンギンがライトに照らされ輝いた。
「あ! そうそうこれ! こんな感じでやって見たかったのよ、ありがと! ……あれ、でもじゃあなんで回避しまくったの?」
「だってお前、俺のカップに直接手ぇ突っ込むつもりだったろ? それにもう一つ、欲しけりゃまずはちゃんと頼めって話だ」
ノータイムで奪いに来るんじゃねえよ。そう言うとようやく自分の行動が客観的にどう見えるか想像できたのか、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ま、次から気をつけりゃいい。今回は楽しくてテンション上がり過ぎて馬鹿になってただけってことで見逃してやるよ」
「わ、分かったわよ。ごめん、ちょっとペンギン分摂取し過ぎてたわ」
「どんな成分だよそれ」
「なんかテンションが上って微笑ましい気持ちになる成分? ちなみに子猫分とかでも同じ効果があると思うの」
やべえ薬打ったみたいな説明だな、と大きく笑った後に氷を噛み砕く。ほとんど味はしないが、さっきまでジュースの中に入っていたせいかまだ甘いような気がしないでもない。
そんな様子を見た連翹は「ジュース深追いしてる小学生じゃないんだから」とくすりと笑う。
そんな会話を続けていると、ペンギン型の氷は溶け出し小さな楕円形と化した。連翹は少し名残惜しそうな顔をしてそれを潰して一息に飲み干す。
「最後はあっさり潰すんだなお前」
「もうほとんど形も分かんなくなっちゃってたし、完全に溶けるまでカップ持ってるワケにもいかないしね」
「それもそうか――っと、悪い! 俺らだけで話し込んじまって」
ペンギン型の氷が溶けてしまうぐらいだ、思ったより連翹と話し込んでしまったらしい。
慌てて茉莉と桜大を探すと、少し離れた場所に設置されたテーブルに座り、こちらに向かって手を振る姿が見えた。
「なに、構わんさ」
「そうそう。仲が良さそうで安心してたところだしね」
ねえ? と桜大に向けて微笑みかける茉莉だが、返答はない。
ただ、表情の大部分に安堵を、そして微かに寂しさを浮かべるのみ。
(……まあ、思うところがないワケねえよな)
なにせ、翌日には連翹は旅立つ――ニールたちの世界へ、異世界へ。
そこに寂しさを感じるのは当然のことだろう。子供はいつか巣立つモノとはいえ、異世界と関わらなければもっともっと先の話のことだったはずなのだから。
「よし、そんじゃあ別の水槽も見るか! それともまだペンギン見てくか?」
だが、そんな思考を表情に出さず、ニールは笑う。
そういう感情を表に出したいのは連翹の両親の方だろう。少なくともニールではない。
ならば、観光客の一人として普通に楽しみ賑やかしになろう。幸い、思考を切り替えるのは得意な方だ。先程の思考など、デカイ魚の一匹や二匹を見ていれば自然に頭の隅に追いやられる。
その後、悠然と水槽を泳ぐサメの大きさに驚いたり、オットセイなどを観察しつつ奥へ進み――残念ながら出口にたどり着いてしまった。
始まりがあれば終わりがあるという理屈は百も承知だが、それでもやはり寂しさを感じてしまう。もっと見ていたい、もっと沢山いろいろなモノを見たかったのに、と。
そんな感情が伝わったのか、連翹がこっちを指差して笑う。
普段なら頬をぐいっ、と引っ張って黙らせるところだが――今回ばかりは自分でも子供っぽい自覚はあったので、笑われるまま黙々と歩く。
「――っと、ここは……土産物屋か」
薄暗かった水族館内から明るい土産物屋へ。室内の内装も水槽を目立たせる黒から清潔感のある白がメインとなったため、未だ室内だというのに『外に出た』という言葉が脳裏に過る。
「あっちの世界の仲間からすれば俺らって突然消えたようなもんだからな。心配してるだろうし、侘びも兼ねて土産くらい買わねえと……さすがに一人一人に買ってらんねえし、これからまだ色々巡るワケだし荷物はあんま増やせねえが……一箱に菓子が複数あるようなのをいくつか買ってくか」
魚とかクラゲ、オットセイの形をしたクッキーが収められているらしい缶を手に持って思い悩む。
これはこれで可愛らしいしあちらの世界では見ないものだが、甘いモノが好きな人ばかりではない。こちらのマカロニアクアリウムとやらを買うべきか。女王都への帰り道での野営の時に渡せば、食べ飽きた干し肉のスープに彩られるだろう。
いや、せっかくの別世界、形に残るモノの方がいいかもしれない――そう思ったが、さすがにかさばり過ぎと諦める。店に設置されたガチャガチャ程度の大きさだったとしても、皆に行き渡る量はかさばり過ぎる。
「基本阿呆だというのに真面目だな、グラジオラス」
「色々世話になった人らだからな、あんま不義理はしたくねえんだよ」
まあそれはそれとしてあのガチャ超やってみてえなぁ――そんなことを考えながら桜大の言葉に「真面目って程じゃねえだろ」と首を振る。
突然異世界転移した上に帰ることなく観光している身分で何を言っているんだとニール自身も思うが、だからこそこういう部分を疎かにしてはいけないだろう。
連翹と被らないように相談するか、そう思って土産売り場をぐるりと見渡すと、こちらに駆け寄ってくる姿が見えた。
お前もちゃんと土産を選んどけよ、とそう言おうと口を開き――
「見てみてニール! あのガチャ回したらクラゲの置物出てきたの! あたし要らないしニールにあげるわね!」
「ちいっ、先を越されたか……! すまねえな、それは当然ありがたく貰うとして、俺も一発回してくる……!」
――連翹の言葉に常識的な思考は融解し、ガチャを回したいという欲が一気に膨れ上がった。
なにせランダムで置物が出てくるのだ。それもけっこう出来が良いモノが、ちょっとした運試し感覚で手に入れられてしまうのだ……!
物欲とギャンブル欲を同時に満たせるとか凄まじいなと思いながら硬貨をぶち込み、連翹がさっき回していた『アースピース / オーシャン』ではなく『水族館フィギュアコレクション』を回す!
力を込めすぎてハンドルをもぎ取ってしまわぬよう、良いのが出ろと祈りを捧げる。
ニールも連翹も現在無限に金を使える財布を有してはいるものの、だからといって金の力で回しまくるというのも美しくはない。一回限りの勝負だからこそ手に汗を握るのだ……!
ごろり、と排出口からカプセルが転がり出てくる。そっとそれを拾って、中身を確認。
「……なんたらウミガメ、か。正直微妙か……?」
「あ、あたしそっちの方が好き! ちょうだいちょうだい!」
「いや、喜んでくれるなら渡すけどな――お前の喜ぶモノがぶっちゃけ分からねえんだが」
「えー、なんか甲羅の模様とか細かくて凄くない? というか、あたしはクラゲの置物を喜ぶ方がよく分かんないけどなぁ」
「クラゲは、ほら、あれだ。泳いでた姿が、なんか神秘的で凄かったろ?」
「なるほど、とても頭の悪そうな説明ありがとう」
なんだとお前、と脳天にチョップを叩き込みながら先程のクラゲの礼としてウミガメを手渡す。
その動きを読んでいたのか、チョップを回避しつつもウミガメのフィギュアを受け取る連翹。その様子を、少し離れて桜大と茉莉は微笑ましそうに眺めるのであった。




