122/アレックスとノエル
「――ふう」
窓から夕日が差し込み、宿の一室を茜に染めていく。
もうこんな時間か、と椅子に腰掛けたアレックスは眼前の書類を前に小さくため息を吐いた。
それは此度の復旧作業に関するモノであり、そして新たに連合軍に所属するエルフの名簿である。
それらを目を通し、サインをする作業をアレックスは行っていた。事務作業は専門の者が居るものの、最終確認は団長であるゲイリーや副長である自分がやらなくてはならないのだ。
その事実が、少しばかり鬱陶しい。
入団直後は剣の腕さえ磨いていれば良かったというのに、腕が認められて出世すると事務作業をする時間が否が応でも増えてしまう。
ゲイリーは「早く慣れてボクに楽をさせてくれ」と笑うのだが、正直なところ慣れる気がしない。この手の作業が苦手なワケではないのだが、しかし決して好きなワケではないのだ。
「好きなことばかりやれるワケではない、というのは分かっているのだがな」
剣で敵を倒すだけなら楽なのにな、と椅子に体重を預けている時だった。
こんこん、と扉をノックする音が響いたのだ。
「失礼します。副長、新たに志願した者をお連れしました」
その言葉に僅かに疑問を抱く。
志願者は試験により選抜する必要がある。エルフの若者の多くは実戦経験が無く、実戦での痛みや恐怖にどれだけ耐えられるか分からないためだ。
そして、アレックスの手元にはその試験を突破したエルフについて書かれた書類がある。実際に顔を合わせる必要は、基本的に無いのだ。
「分かった、入れ」
ならば、理由はおおよそ二つに分けられる。
一つはここまで迎え入れた騎士が先程の前提を忘れていた場合だ。その場合は、後で徹底的に絞ってやる必要がある。
そしてもう一つは――試験の必要が無いほどの強者が志願してきた場合だ。
「失礼する」
現れたのは細身の――しかしエルフとしては屈強な男であった。
白い肌に白い髪、整った顔立ちでありつつも表情は薄く鉄面皮を保っている。
眼前の彼は慇懃に頭を下げると、硬い表情を僅かに緩めた。
「ノエル・アカヅメだ。エルフの戦士の指南役をしている」
「ああ、噂は聞いている」
椅子から立ち上がり、ノエルと目線を合わせる。
この国に入国した際に、実力者の情報はいくらか調べリストアップしてある。ノエルの名も、そこにあった。
霊樹の剣の管理者にして、魔王大戦の生き残り。その技術と経験は確かなモノであり、現在オルシジームを守るエルフの戦士の多くが彼に鍛えられたのだという。
「初見だというのに転移者を数名倒したようだな、実力は申し分ないようだ」
「経験と鍛錬の時間だけはあってな」
力自慢ではあるが、人間やドワーフと比べれば貧相極まりない。
そう言って笑うノエルの言葉は自虐染みていたが、しかしそこに暗く鬱屈とした感情は見受けられない。だからどうした、それでも自分は強いぞ、という自負があるのだろう。
実際、アレックスから見てもノエルの佇まいには隙がない。
何気ない立ち姿ではあるものの、今ここで剣を抜いて斬りかかっても何かしらの手段で防がれるという確信があった。
「こちらとしても貴方のような実力者が志願してくれるのは助かる――が、いいのか?」
彼は強いのは一見にして理解できる。
けれど、だからこそ現状のオルシジームから抜けても良いのか、と思う。
天然の城壁であったストック大森林の一角に穴を穿たれた現状、動物やモンスターなどの対処に人員が必要だ。
そんな中、霊樹の剣を扱えるエルフの戦士――即ちオルシジームのシステムで『実力者』と定義出来る人員を引き抜いていいものか。
アレックスの思考に気付いたのか、ノエルは小さく首を横に振った。
「問題ない、私は国に仕える戦士ではないからな。それに本来の仕事だが――ここ数十年、教えを請いに来る若者もめっきりと減ってな」
アースリュームのドワーフに鉄剣の使い方を学ぶ者も多くなった、とノエルは小さく吐息を吐く。
それはドワーフと交流したばかりの古いエルフの感覚と、ドワーフとの交流が当たり前となった新しいエルフの感覚の相違なのだろう。
何十年もかけてゆっくりと剣士としての体と技術、心構えを学ぶエルフの修行よりも、厳しくはあるが一年でそれらを学ぶドワーフの修行の方が肌に合うのだろう。
「かつては大人たちに『ドワーフかぶれの愚か者』と揶揄されていたのだがな。そんな私も、今の若者から見れば他のエルフと同様に頭の固い大人だ」
「あまり良い言い方ではないが――仕方のないことだろう。どの時代、どの種族も、年齢が離れれば理解が難しくなる」
「然り――だが、まだ若者の貴様が言う言葉ではないだろう」
「若造ではあるが、大人に噛み付く程の子供ではないからな。向こう見ずな自信と共に走る子供と、積み重ねた経験と共に歩む大人、どちらの気持ちも多少は理解できるさ」
二十代は世間一般では大人扱いされるものの、人間の寿命で言えばまだ長い道の半ばすら越えてないひよっこだ。
経験を積み子供らしさは薄くなったとは思うものの、しかしまだ十代の若造だった頃と地続きで、少年だったころの気持ちが忘れられない。
「そういうモノか」
「ああ、そういうモノだ――志願の話、承った。これからよろしく頼む、ノエル」
「ああ。アレックス・イキシアだったな、こちらもよろしく頼む。これより共に剣を振るう仲間だ、なにかあれば相談に乗ろう」
人間については詳しくはないが、無駄に齢を重ねているのでな。
彼の言葉に、アレックスは「ふむ」と小さく呟く。
「……なら、少しばかり良いか?」
「構わん。だが、答えられないことも多いだろうがな」
「それならそれで構わない。……女を食事に誘う場合、どう切り出せば良いと思う?」
ノエルの目が驚きで見開かれた。
その驚きはたぶん、「私にそれを聞くのか」ということなのだろう。アレックス自身、少しばかり相談相手を間違えた気がする。
だがしかし、恋愛対象かどうかは判別出来ないものの気になる女性――マリアン・シンビジュームを食事にでも誘うか、誘うならどう誘うべきか、と悩んでいたのも事実である。
無論、親しい友人や上司には相談した。
だが、ゲイリーは「若い頃は倒した女戦士とかに惚れられたことはあったけど、そういうことはやったことないな」と言われ、
ブライアンは「ちまちまやるより夜這いかけろよ夜這い。大丈夫だアレックス、お前のツラなら行ける! 場合によっちゃ殴り殺されるかもしれねえけど」と全く参考にならないアドバイスを吐かれ、
ならば女性のキャロルならと相談したら、無言かつ凄い不機嫌な顔で睨まれてしまった。
「……――貴様とその女性がどのような関係かは知らぬが……友人を誘うような軽さで誘い、選ぶ店は互いに落ち着ける場所を選んだ方が良いな」
しばし無言だったノエルが、ゆっくりと語りだした。
「そんなことを悩んでいる時点で、まだ恋人関係でもないのだろう? ならば下手に気取った言動、場所を選ぶのはやめておけ。緊張してロクに会話にならん。その中で、その女が好きな料理を出す店を選ぶのが良いだろう」
気取るなら必要な時にしろ――そうスラスラと語るノエルに言葉を失う。
「仲良くなりたいなら安くても話しやすい店に、関係を進展させる話題を出したいのならば少しばかり背伸びをしてみるといいだろう。ずっと背伸びをしてみろ、途中で転んで無様を晒すだけ――どうした?」
口を半開きにしたまま固まるアレックスに対し、ノエルが怪訝な声を漏らす。
それによって意識が戻ってきたアレックスは「ああいや」と口を開く。
「……言葉は悪いが、非常に意外だった。詳しいなノエル」
「貴様が相談したのだろうが。それに、これは私の経験に基づく主観だ。後は自分が実践しやすいように改良しろ。それに――失敗した方が距離が縮まることも、無くはないからな」
この手のことに完全な正解などない、という言葉に何度も頷く。
正直、非常に助かるアドバイスだった。これが正解かどうかは分からないが、少なくとも動くための指針は出来る。
「ありがとう、助かった。……しかし、恋人でも居るのか? 噂では妻は居ないようだったが」
この手の女性経験のないアレックスが言うのも難だが――実感の篭った言葉だったように思えるのだ。
その問に、ノエルは「いたさ」と短く答えた。
「魔王大戦終結後しばらく経った後――人間からすれば大昔の話だ」
「――すまんな、失言だった」
「構わんよ、エルフの私が若造だった頃の話だ。人間で言うほどの大昔ではないが、しかしこの歳で引きずるほど女々しくはない」
そう言って背を向けたノエルは、「ではな」と扉を開けて部屋から退出しようとする。
「そういえば」
その背中に、アレックスが言葉を投げかけた。
「なぜ今、志願したんだ? 昨日は来る様子はなかったようだが」
「少しばかり気になる若者が居てな。彼らを鍛えつつ、その歩む道を見てみたくなった」




