108/王冠に謳う鎮魂歌/2
白い男と連翹の背中を、カルナは見ている。鉄咆と魔導書を持ち、すぐさま的確な行動が出来るように。
足元には草花が焼け焦げた痕と、そこに隠れるように散らばる骸たち。
それを見て連翹は申し訳なさそうな、僅かばかり悲しそうな表情を浮かべ――しかしすぐに表情を引き締めた。
転移者の群れは、居ない。この辺りの転移者は全て倒したのか、この惨状に怖れて逃げ出したのか、別の場所に集中しているのか。情報が少なすぎて判断が付かない。
けれど、確かなことはある。
今、自分たちに敵対している転移者は視線の先の白い男だけであること。
そして――複数の転移者よりも、ずっとずっと強敵である可能性が高いということ。
「行くわよ、必殺、飛ぶながら叩きつけるワザ――!」
連翹が剣を構えながら突貫し、カルナは距離を取りながら鉄咆から球をばら撒き、杭を撃ち出す。
魔法は使わない。最初は牽制し、相手の情報を得るつもりなのだ。
こちらの攻撃に対してどう行動するか? 回避、防御、相殺、もしくはカウンターを狙うか。どれにしろ相手の戦闘技術の根幹が、基礎が見えてくる。
「ふっ――」
そして連翹とカルナの攻撃に対し、王冠に謳う鎮魂歌が選んだのは回避であり、退避であった。
たんっ、と軽やかに地を蹴り連翹の『ファスト・エッジ』を回避すると、その勢いのまま外套と髪を靡かせながらこちらから距離を取る。
その動作を見て、カルナは確信した。
(やっぱり、この男はスキルの中でも魔法に重きを置いている!)
間合いの取り方、稼いだ距離、そして動作の淀みの無さ――それらが今の行動が彼にとって慣れ親しんだモノであり、彼の必殺の距離は遠距離であるとカルナに告げている。
無論、剣が使えないワケではあるまいし、接近戦が不得手というワケでもあるまい。なにせ、彼は転移者だ。技名を叫ぶだけで達人の剣を操れる以上、『魔法使いだから接近戦は弱い』と思うべきではない。
思考する。相手の動作から情報を蓄積し、大まかな行動パターンを予測していく。
ニールなどの前衛は剣を交えつつ、経験と勘で相手の動きを予測するらしいが、カルナは後方で戦う魔法使いだ。戦場を俯瞰し、至近距離で剣を交える前衛には見えぬモノを観て、理解する。
「ちょこまかと――『ファイア・ボール』!」
苛立った声音でスキルを発動させる連翹に対し、王冠は笑みを崩さない。ああ、可愛らしい可愛らしい――甘噛してくる子犬や子猫を愛でるように。
「ほら、雷が行くぞ。頑張って避けろ――『ライトニング・ファランクス』」
立ち止まりながら放った雷槍の群れは、火球を食い破りながら連翹へと殺到する。
「あ、わっ、と、と、と……!」
風を切りその柔らかい体を穿たんとする槍たちを前に、連翹は狼狽の声を漏らしつつもサイドステップで避け、そのまま疾走する。
連翹を追尾し切れず地面に突き刺さり、雷が爆ぜる。帯電する空気の中、地面を踏みしめ間合いを詰めていく連翹。
「ふむ、よく避けた。無能を囲って賞賛させているだけの劣等ではないようだな」
王冠は微笑みを崩すどころか、パチ、パチ、とゆっくりと拍手して賞賛を送る。
よくやった、褒めてつかわす――そんな風に最上段から、尊大に。
己の勝利を確信し、だというのに健気な抵抗をする連翹を慈しむ。ああ、初い初い、熟しきっていない青さは好ましいと。
「無双し、蹂躙し、略奪し、陵辱する――これらは決定事項だが、物事には適度なスパイスが必要だ。あらゆる『力』で屈服させるのは慣れているのでね、歯向かう愚者も度し難くはあるが愛おしい」
「そういう薄い本案件はノーサンキューなのよ、ダイスで臭い飯表でも振ってなさい……今、カルナ!」
王冠の言葉に耳を貸さず、連翹は叫ぶ。
「我が望むは、鳴り響く雷光。雷鳴よりも疾く駆け抜け、我が敵を穿て!」
言われるまでもない、と返事を省略し詠唱を開始した。
スキルを放った後の硬直と、スキルをもう一度使用出来るようになる時間。それは強力なスキルであればあるほど長くなる。
ならば、ここで攻める。炎や氷や風よりも素早く標的を穿つ雷で、王冠の身を貫いてみせよう。
宙に紫電を纏った雲が生成される。誘導性は低いが、威力を高めた一撃だ。いくら転移者とはいえ、直撃すれば耐え切れない。
「ふむ、悪くない……『ファイアー・ボール』」
淡々と、師が弟子に伝授した技の習得具合を褒めるように。
自身が上であり、カルナたちが下だというスタンスを崩さぬまま、彼はスキルを発動した。
だが、遅い。
連翹を狙うにしろ、カルナを狙うにしろ、更に後ろに居るデレクたちドワーフやノーラたちを狙うにしろ、雷は止まらない。
それに、王冠の直線上には転移者が、連翹が居る。苦し紛れのスキルも彼女が防げることだろう。
そう、確信していた。その時は。
「――なっ」
爆ぜる。
王冠の足元が。
雷ではなく、爆炎で。時間差で雷が地面に突き刺さり、大地を抉る。
自爆か? スキルの狙いを誤ったのか? 否、どちらも違うはずだ。
なにせ、死骸が見当たらない。炎に巻かれ焼け焦げた白い衣服を黒く染めた死体が。自身の魔法の直撃を受けて爆散したとしても、死体の一部くらいは見つけられるはずだ。
だが、それらは一欠片として見つけられない。爆炎の痕に雷が突き刺さるのを見ながら、辺りを見渡す。どこだ、どこに居る――?
「普通の転移者程度であれば、それで終わっていただろう」
たんっ、という足音が上から響く。
その方向に視線を向けると、大樹の枝の上から涼しい顔でこちらを見下ろす王冠の姿があった。
その体には魔法によってダメージを受けた痕跡は無い。完全に回避されている。
「おかしい。あの状況でスキルを使ったら、硬直時間のせいで逃げる隙なんかないはずなのに……」
怪訝そうに呟いた連翹が、油断なく王冠を見据えた。
転移者にとって、スキルの硬直時間と再使用までの時間は絶対だ。だからこそ、多くの転移者は『ファスト・エッジ』や『ファイアー・ボール』などの低威力のスキルを愛用する。現地人に対しては威力は十分であり、硬直も再使用までの時間も短いからだ。
だが、いくら時間が短いとはいえ硬直時間は存在する。
だから、不可能なはずなのだ。雷の魔法が放たれる直前にスキルを使った上で回避するなど。
「さて、ではこちらから行こうか――簡単に死んでくれるな、楽しめんからな……『クリムゾン・フレア』」
ひらり、と枝から跳び下りた王冠がスキルを発声する。
「ちょ、ま――ずっ!」
聞き慣れないスキルに訝しむ暇もなく、連翹は反転し全力で駆け出した。
そしてその勢いのままカルナに体当たりをし、互いにデレクたちが居る辺りまで転がった。
「レンちゃん! カルナさん!」
「痛……ぼ、僕は大丈夫――でもレンさん、一体どうし――」
理由なくこんなことをするはずない、そう思い問いただそうとした言葉は、耳を貫く爆音によって遮られた。
灼熱の破壊が荒れ狂う。地面が捲れ上がり、草木は燃え、土や石が溶解する――先程、カルナが居た辺りまで。
転移者の死体なども残らず焼け落ち消滅し、今は巨大なクレーターだけがそこに存在している。
それを見て、ぞわり、と背筋が凍る。初めて見るスキルだったため威力も効果範囲も不明だったのもあるが、知ってても回避できなかったことは想像に難くない。
「――ありがとう、僕の足じゃ逃げきれなかった」
「うぁあ、や、やばかったぁ。ギリギリセー……え? あ、ああ、いいのいいの、超楽勝よ楽勝! それほどでもない!」
はふう、と吐息を漏らしていた連翹が、慌てて上っ面を取り繕う。
互いに立ち上がり、クレーター付近に視線を向ける。王冠の姿は、見受けられない。
ノーラやデレクたちも視線をさまよわせるが、あの白い人影を見つけることは出来ないようだ。連翹が怪訝そうに顔を歪める。
「今度こそ自分のスキルに巻き込まれたのかしら……? クリムゾン・フレアは初動はそこそこ早いけど、硬直時間は長い魔法だし」
「……レンさん、それってどのくらい?」
「え? あー……あたしはあまり使わないからうろ覚えだけど――大体十秒近くは体を動かせなかったはずよ。昔、モンスターの群れに叩き込んで、動けない間にタコ殴りにされた覚えがあるもの」
少なくとも、落下しながらそのスキルを使ったら、体を動かせないで地面に激突するのは確定的に明らかよ――連翹が辺りを見渡しながらそう教えてくれる。
しかし、現実には王冠が落下するであろう地点には人影がない。あるのは白煙を放つクレーターだけであり、やはり信じがたいが、自分のスキルに巻き込まれて死んだのか――
(いや――待て)
先程も、このようなことがあった。
『ファイアー・ボール』を放った瞬間、魔法を回避した上に大きく距離を稼いだあの時だ。
規模は違えど、今の状況は先ほどと同じ。理は同一だと、カルナは思った。
魔法のスキルを発動し、本来体を縛る硬直時間を無視した移動。それを可能とするのが、『ファイアー・ボール』と『クリムゾン・フレア』であり――
「どちらも、炎で、爆発――――レンさん、デレクたち遠くまで蹴り飛ばしてっ! どこか遠くに!」
――思考が答えに結び付こうとした瞬間、カルナは無意識にノーラを抱き上げ、叫んだ。
きゃあ、という声が腕の中から響くが、それに対して謝罪する時間も惜しい。言葉にするほど答えは纏まっていないものの、悠長にしていたら全滅する、という冒険者としての直観が働いた。
「『ライトニング・ファランクス』――ふむ、これで終わりと思ったが」
瞬間、雷槍が閃光と共に降り注いだ。位置は――真上から!
それはカルナにとっては想像通りで、しかし他の皆にとっては予想外の位置。
しかし、カルナの指示の方が速かった。ギリギリ間に合う!
「うえ、えぇ!? あわ、ごめんね! えっと、蹴りやすい小柄な感じでありがとう!?」
「おい黒髪姉ちゃんそれ絶対褒めてねぇ――!」
カルナが駆け出し、連翹がデレクたちを回し蹴りで蹴り飛ばしながら剣の柄を上に放り、雷槍に叩きつけた。
瞬間、雷槍の一本が爆ぜ、紫電を撒き散らす。それと連鎖するように、宙が極光で満たされる。
「に、ニールがやってたの真似てみたけど、ギリギリ成功した感じ……? こういうぶっつけ本番とかマジでストレスで寿命がマッハだから止めて欲しいんだけど……」
「よく気付いたな。仕組みは単純なれど、初見の戦闘で気付く間もなく死ぬのが大半なのだがな」
「……それはどうも」
地面に降り立った王冠が感嘆の声を漏らす。
「ちょ、カルナ――あたし今理解不能状態なんだけど。なんであいつ、上から落ちて来たの? そんな時間無かったはずでしょ?」
どう考えたって間に合わないんだけど、と連翹が問う。
確かに、連翹の言葉は正論だ。
落下しながら硬直時間の長いスキルを使い、カルナたちの上空に跳躍し、新たにスキルを使う――そんなことは不可能だ。硬直時間中に自身の魔法スキルに巻き込まれるだろうし、それを免れたとしても着地した姿勢か跳躍するところをカルナたちに視認される。
では、どうして?
「簡単な話だよ。あの外套は防具でも装飾品でもない――翼なんだ。風を受け止めて、空を駆けるための」
体を自由に動かせないなら、外的要因で無理矢理移動させればいい。
爆風を外套で受け止めることで硬直時間中に飛び上がり、自由に動けるようになれば空中で進行方向を調整する。後は滑空しながら眼下へと魔法を放つだけでいい。
理屈は単純だ。力技、とすら言っても良い。
(だけど、だからこそ僕には真似できないな)
魔法を使うために詠唱が必要なためワンテンポ遅れるし、そもそも直撃ではないとはいえ魔法を体で受け止めるなど自殺行為だ。
スキルという力を持ち、かつ頑強な体を持つ転移者だからこそ可能な技なのだろう。単純だからこそ、小手先の技術で真似る余地がない。
「良く見抜いた――竜印章飛翔爆撃<Dimension.Destruction.Dragoon>――DDD、それが我の力だ」
外套を靡かせ王冠は微笑する。
「こちらの世界では実在の脅威であるようだが、我の世界では竜は空想の生物であり、王室が紋章に刻む権力の象徴であってな。」
――ゆえに技の名に竜があるのだ。
武力、権力、財力、全て全て凡夫を上回ることの象徴。そして彼が名乗るのは王冠に謳う鎮魂歌という名である。
それは――全ての権力者を竜の力で殲滅し、亡骸を前に嘲りながら鎮魂歌を謳うという宣言だ。
「竜の証を持つ者――尊き『力』持つ者は我だけで良いのだよ。であるが故に、この大陸に存在する国、その全てが邪魔だ。地を這う虫どもめ。我は、貴様らなんぞに統治を許した覚えはないぞ」
その言葉自体は、転移者が良く言うフレーズに近い。
レオンハルトにしろ、名も知らぬ転移者にしろ――この世界に転移し、圧倒的な力を振るう者の多くはそんな言葉を口走る。
けれど、多くの転移者は『この世界に来てから』その思考を抱き行動していた。
だが、この自信に満ち満ちた王冠の声からは、そんな急造の自信めいたモノを感じられない。
ずっとずっと昔からそんなことを考えていて、元の世界でもそのように振る舞っていた――そんな風に思えるのだ。
恐らく、元の世界でも恵まれた人間だったのだろう、とカルナは思う。自信とは、一朝一夕で抱けるモノではない。
連翹が良い見本だ。
規格外を得て自信に満ちた立ち居振る舞いをする彼女だが、時々不安そうな顔をする。人間、上っ面を取り繕えても、積み重ねてきた人間性というのは中々変わらない。変われない。
ゆえに、彼の尊大さはこの世界に来る以前からのモノ。
「――そのわりには、レゾン・デイトルの王は君じゃないんだね。そんなに凄い人なのかな?」
だからこそ、解せない。自分よりも上の存在を容認している事実が。
この尊大な男が誰かを王と崇め、従う姿が想像できないのだ。
カルナの言葉に、王冠は声音に僅かな苛立ちを混ぜ、答える。
「――……まさか――あのような男、ただ棒振りが得意なだけの劣等に過ぎん。いずれは玉座から引きずり下ろし、亡骸を前に鎮魂歌を謳おう。だが――奴は貴重なサンプルだ。その特異性を解析するまでは玉座を暖めていてもらうさ」
やはりプライドの高い男だ。
自分が誰かの配下――そう思われるのが我慢ならないのだろう。苛立ちを殺しきれず声から漏れているのもそうだが、レゾン・デイトルの王についての情報を饒舌に語っているのも証拠の一つだ。
そして、レゾン・デイトルの王が特異な力を持っていることも、事実なのだろう。
でなければ、この尊大な男が幹部などの器に収まることを良しとするはずもない。その力を解析し、自身が得るため、今の地位に甘んじているはずだ。
「喋りすぎたな――だが、良い。どうあれ、男はここで死に、女は我に飼われるのだ。情報を他者に渡すこともあるまい」
「それはどうかしらね、ドラゴン気取りのワイバーン男!」
連翹が叫ぶ。お前の思い通りにはならない、自分が居るのだから、と。
「わたしは任されたの! あいつらのこと、頼むって! カルナのこと大好きなあの男が、あたしに、頼むって!」
カルナを、ノーラを、デレクたちを自身の背中で隠すように立ち、連翹は絵として映えない不格好な形で剣な構える。
ニールという剣士を間近で見てきたカルナにとって、その構えは不格好なモノだった。しょせん、素人がそれっぽく見せているだけ、そう見えるのだ。
けれど、想いは素人であろうと本物だと思える。歌劇のように派手な構えではなく、見よう見真似で剣士の真似事をしているのだ。見栄えを放り出して、友の、ニールの言葉に応えようとしている姿を疑うことなど、出来るはずもない。
「だからね、貴方の言うとおりにしてやるつもりなんて――」
「今」
噴火前の火山を見上げている。
カルナは、王冠の顔を見て、そう思った。
「たかが装飾品風情が、今、我のことを、なんと言った――――?」
煮えたぎるマグマが湧き上がる。
下から上へ、上から外へ。全てを溶かす熱量を外へ外へと放出していく。
「『ワイバーン』と、『翼竜』と、『紛い物』と――――我に、そう言ったのか……ッ!?」
瞬間、王冠は『ファイアー・ボール』を唱えた。燃え盛る火球は連翹やカルナに対してではなく、王冠自身の足元に叩きつけられ――爆ぜた。
「この世界に来る前は、モニターの前で無双を夢想していた劣等風情が――ぁ!」
爆風、爆炎、そして殺意。
爆ぜたそれらを自身の体で受け止めながら、王冠は宙を駆け、こちらに右手を突き出した。硬直時間が終わった、次の魔法が来る――!
「惑え――『ファイアー・ボール』……『ファイアー・ボール』……『ファイアーボール』……!」
しかし、その魔法はカルナたちには届かず、辺りにデタラメに放たれる。森が焼け、枝が砕け、草花が燃え尽きていく。
怒りに任せ、手当たり次第にスキルを放っているのか――?
(……いや、違う……! デタラメなんかじゃない!)
爆風をその身で受けながら、王冠は加速していく。魔法の爆風で隼の如く宙を飛ぶ彼は、木々と枝の間をすり抜けながら、しかしカルナたちを囲うように移動している。
ちい、と舌打ちをする。ここまで素早く、そして障害物と障害物の間を動かれては、魔法で狙うことが出来ない。無論、鉄咆でも。
「なら! 囲って焼いてあげる! 『バーニン――」
「――ッ!? レンさん、駄目だ!」
バーニング・ロータスは炎の檻を作り、相手を閉じ込めるスキルだ。
自分たちの近くに居ることを確信し、しかし目で追えない速度で移動する相手に対する選択としては間違いではない。獣のようなモンスターを相手にするのなら、合格点と言っても良い。
「ああ――――使うと思ったぞ、馬鹿め」
問題は、相手が本能のままに生きる獣ではなく、知恵持つ存在であるということだ。
スキルの発声が終わるよりも疾く飛び込んで来た王冠は、連翹の喉を強く強く握りながら地面に押し倒した。ズン、と鉄咆を放ったような重低音が鳴り響く。
「ああ、弱いな、君は。この程度であのような大口を叩いていたのか」
「あ――く、ぅ」
ぎちぎち、ぎしぎし、指が首に食い込み、骨が軋む音が響く。
舌打ちしながら王冠に対して鉄咆を向けるものの、動きが止まる。
(駄目だ――鉄咆じゃあ引き剥がせない。でも、魔法を使うには王冠とレンさんが近すぎる!)
威力が低い魔法では転移者には意味がないし、下手に威力の高い魔法を使えば連翹に命の危険が出てくる。
では、近づいて引き剥がす? 馬鹿な。相手がそれを許すとは思えないし、仮に近づけたとしても引き剥がす腕力がカルナには無い。
なら、どうする? 考えろ、考えろ、考えろ――
「スキルの使い方は知っている、適当に乱発するだけの阿呆どもではない――だが、それだけのようだ。我々のように独自の使い方を編み出したワケではない、王のような特性を持っているワケでもない。力を持ったから調子に乗っているだけの、ただの凡人だよ、君は」
考えている、けれど。
遠距離に特化した自分では、広範囲の攻撃を得意とする自分ではどうにもならないという結論が出る。出て、しまう。
(一か八か、身体能力強化の魔法で――無理だ。なら、その魔法を使ってノーラさんを担いで、あいつの力を奪う――駄目だ、ノーラさんの近くに行った時点で気付かれるに決まってる!)
思考が空回る。
なんとかして連翹を助けようと思うのに解決策が出ず、無駄な思考ばかりがぐるぐると回っていく。
「無能な女は許そう。それなりに見目がいいなら、多少の無礼も許すのが男の甲斐性というモノ。だが――逆鱗に触れた痴れ者を許す道理もない」
だが、カルナの空回りなど王冠は気にも留めない。
腰から剣を抜き放った彼は、連翹を押し倒した姿勢のまま逆手に持つ。
「死ね。その血を以って、その罪を贖え」
刃が突き出される。狙う場所は喉だ。転移者にとって重要な発声器官が存在し、人間の急所。
まずい――焦りの感情と共に、振り下ろされる剣に向けて鉄咆を撃つ。
だが、射撃は当然の如く空を切る。元々、カルナは狩人でもなんでもないのだ。大きな的ならまだしも、振り下ろされる剣などという小さく、そして動く的を狙い撃つなどカルナには不可能なのだ。
「レンちゃん!」
ノーラの声が響くが、カルナには何もできない。
自分たちを助けた連翹の窮地を救うことも、ノーラの悲鳴を安堵の吐息に変えることも。
「――人心獣化流、犀貫ぃ……!」
振り下ろされた刃を半ばで遮るように、木目の刀身が滑り込んできた。
それは王冠の剣を半ばで切断。断ち切られた刀身は乾いた金属音と共に地面に転がり、もう半分は割り込んできた刀身の腹に遮られ連翹の喉には届かない。
「新手か――」
王冠は連翹のトドメに固執せず、跳躍して距離を取る。
その姿を見つめながら、乱入者は荒々しく舌打ちをした。
「その服、あん時の幹部か。……連戦はちいと辛いな。だが、構わねえか」
木剣を振るった男は淡々と語る。
否、あれは木剣ではない。そのような修練用の道具で転移者が振るう刃を半ばで断ち切ることなど不可能だ。
それは霊樹の剣。力を持った大樹の一部を研いだ鋭い剣であり、前衛のエルフが使う武器である。
だが、今ここでそれを握る男は、エルフではない。
人間だ。茶の髪を僅かに逆立たせた、鋭い瞳を剣呑な色に染める人間の男である。
ニール・グラジオラス。
カルナの相棒であり、信頼する剣士だ。衣服は血に濡れズタズタに切り裂かれ、鞘に両手で抱える程の荷物を吊るしていた。
◇
(なんとか見つけられたか……)
魔法と魔法がぶつかり合う場所――ニールはそこをカルナが居る場所と当たりを付け、ここまで来た。
だが、ここはエルフの都市であり、彼らは魔法に特化した種族だ。魔法が放たれる戦場は数多に存在し、だからこそ真っ直ぐここに来ることは出来なかったが。
それでも、間に合った。
「に――る、ごめ――げほっ」
咳混じりの声がする。連翹の声だ。
ニールはそれに対し、僅かに表情を柔らかくしながら首を振る。気にするなと。よくやってくれたと。
「カルナもノーラも、ドワーフの連中も生きてんだろ。なら十分過ぎるぜ――ノーラ、連翹の治癒を頼む!」
「は、はい! 今すぐに」
辺りを見渡せば、カルナとノーラ、そしてドワーフたちのみ。連翹を除き、接近戦をしかけて足止めする役割が皆無だ。
もし彼女が救援に来ていなければ、もっと早く全滅の危機が訪れていたことだろう。
ニールの言葉に嘘がないと分かったのだろうか。連翹は僅かに微笑み、ゆっくりと立ち上がった。
「そっ――か、うん、なら、良かった……」
「レンちゃん、大丈夫ですからね。このくらいなら、わたしでも十分癒せますから――創造神ディミルゴに請い願う。失われ行く命を守る力を、癒しの奇跡を……」
淡い光が連翹を包むのを確認せず、ニールは視線を前に向けた。
「ふむ――」
思案するように呟く王冠が、辺りを見渡し――小さく嘆息した。
「引き際か――命拾いしたな、貴様ら」
「あ? なんだテメェ、逃げる気かよ?」
「勘違いするな、血と汗に塗れた劣等め――肉壁どもが思った以上に役に立たなかった、それだけだ」
その言葉で辺りから戦闘の音が少なくなっていることにようやく気付く。
連合軍やエルフが打ち倒したのだろう。その事実を理解しつつも、王冠は悲しむ様子はない。役立たずが死を以って己の無能さを証明しただけだと思っているのだろう。
そして、この男も気付いているのだ。いくら転移者であろうと、実力者に袋叩きにされたら負けかねないことに。
転移者と転移者と戦い慣れた者、そして神官――倒すことは不可能ではないだろうが、倒すのに時間がかかってしまう。その最中に連合軍の面々が集結したら勝てない。
ゆえに、敵が分断されている間に撤退する。合理的な考えではある。
「もっとも、追いたければ追うと良い。我は止めんよ」
「……冗談。自殺志願者じゃないんだよ、僕らは」
カルナが吐き捨てるように言い放つ。
ニールたちも逃げる敵を無闇に追うことは出来ない。ニールたちも万全な状態ではないからだ。
体力も、精神も、披露し摩耗している。こんな状況で下手に深追いしても、反撃で蹴散らされる可能性が高い。
「逃げる前に聞いてけ――遺言だ」
背を向けて歩き始めた王冠を呼び止め、ニールは腰に吊るした袋を開いた。
そこにあったのは――生首だ。黒髪をショートボブに整えた少女の頭部だ。
「――死神……? 貴様、まさか――」
「想像の通りだ――『ごめんなさい、お膳立てされたってのに、無駄にして』――だとよ。確かに伝えたぞ」
「――そうか」
淡々と、王冠は呟いた。
「死んだのか、あの装飾品。しょせん虐められた程度で縮こまる程度の小物か」
少しばかり気に入ったアクセサリーが駄目になった。
だが、問題ない。また買えばいい――そんな響きの言葉。
「……なに言ってやがんだ、テメエ」
昨年の今日の天気が雨だったと教えられた――そんなどうでも良いことを聞かされたような顔をする王冠を強く強く睨みつける。
「こいつは死ぬ直前、恨み言でも命乞いでもなく、お前を想って死んだんだぞ――? それで、言うことがそれだけかよ」
「当然だろう、我の気遣いを無に帰したのだから。そもそも女風情が他者に遺言を伝えさせるという時点で甚だ間違っているのだよ。我を愛しているというのなら、這ってでも我の下に来て口頭で謝罪するのが世の道理だろう」
そして死ぬ時は我の手を煩わせないように身を清め、一人でひっそりと死ぬべきだ、と。
「我は王冠。至高の王冠。いずれはその他の王冠を引きずり下ろし鎮魂歌を謳う者であり、あらゆる力の象徴である竜そのものである。その我が、なぜ他者を想いなどを与えなくてはならないのだ? 逆だろう。ありとあらゆるモノは、我に献上されるべきだというのに」
そう言って、王冠は森の中に消えていった。
高笑いと共に、自身を愛した少女の亡骸をそのままに。




