7 教育というのは、長期的な投資である。
りょーちーかーいーかーく。
ピンハネ執事を抱き込んで行った養蜂事業、これが軌道に乗るのは時間がかかる。この貧乏領はおじいちゃんが作る薬の売り上げと、わずかな税収でなんとかやりくりしている、その認識はまだ通用している。
「だから、今のうちに必死になって働いてもらいたいのよねー。」
「今度は何を企んでおられるんですか?」
「うーーん、どうしようか。」
田舎、貧乏といっても、食うには困らないし税金も安い。のんびりとした気質の人間ばかりな上に質素な生活が身についているので金を稼ぐという気持ちが薄いのだ。
日々の生活が安定し、それ以上を知らない。だから都会にあこがれるとか金を稼ぎたいとかそういうことを考えないのだ。
「あっそうか。」
知らないなら、教えてしまえばいいんだ。蜜の味を。
「また悪い顔をしているなー。」
ぼやく執事を無視して突撃したのは我が家の書庫だ。といってもあるのは代々の記録と本棚というにはあまりに小さい棚が一つあるだけだのしょぼい書庫だ。最底辺とはいえ貴族の家がこれでいいのかと思うけれど、文字の読み書きができればなんとでも生きていけるのがこの世界だから、しょうがないといえばしょうがない。
「あったあった。」
見つけたのはそんな最低限の読み書きを学ぶための絵本だ。
「ねえ、これを何冊か取り寄せることはできない?」
「はあ、一般的なものですから可能ですけれど一冊あれば十分なのでは?」
「古いのよねーこれ、最新版が欲しいわ。ジャックが使ってもいいし。」
「なるほど。」
祖父の代からあり、このピンハネ執事や父や母、私もこれで文字の勉強をしてきた一品だ。たびたび補修こそしてあるが大分くたびれた本の表面は絵がかすれている。
「さすがに持ちだせないか。」
仕方なく本が届くまでは別の手で行こう。
そのまま外に飛び出し、ちょうどいい相手を見つけて、飛び蹴りをしておく、
「ねえねえ、ケー兄ちゃん、ちょっといい。」
「いてえ、お嬢いつも言ってるけど蹴ってから聞くな、普通に話しかけろ。」
10歳児の蹴りに大げさなリアクションを返すこの兄ちゃんはケー兄ちゃん。12歳で村の数少ないガキンチョのまとめ役で、本来なら大人扱いされるようになる年なのに、未だに悪戯とか遊びに夢中のヤンキーだ。
「いいからいいから、広場にみんなを集めて。10分以内。」
「無茶言うな―。」
広場に集まった子どもは6人ほど。下は私のほかにもいるが、まだ2歳にもなっていないちびっ子は親と一緒にいるのでここにはいない。なんとトムソンの息子であるジャック君もいる。
「はいはい注目、今日からお前たち愚民どもに、この私が文字を教えてやろう。」
「はあ?文字?」
この世界の識字率は意外と低い。貴族や都市の金持ちは読み書きができるが、うちみたいな田舎では自分の名前と簡単な用語を読める程度でも生活できちゃうから、意外と勉強したがらないのだ。。衣食住が保証されているからこその贅沢な悩み。だが、それじゃあまずい。
「与えられたもので満足するのは愚民よ。愚民になってはいけないのよ。」
「ねえ、愚民ってなに?」
「ケー兄ちゃんみたいなバカで残念なやつのことだぞ。お前もこのままだとそうなるぞー。」
「ええ、やだー。」
「うん、だから勉強しようなー。」
ぴくぴくとしているケー兄ちゃんを横目に、質問してきた5歳の女の子、リリンちゃんにそういって私は全員を座らせる。
「さて、昔々のこと。」
空き地の地面に簡単なイラストと言葉を書きながら私は語り始める。
道具も本もそろっていないこの状況で、できることと言えば読み聞かせだ。
習慣のない人間に勉強をさせる場合は、まずは楽しませることが大事だ。簡単にできる、あるいは楽しいと思わせることで興味を持たせ、ある程度の段階で知識を身に着ける価値に気づかせる。
前世でくそブラックな環境でふらふらになりながらも子供たちの相手をしてきた私にすれば、子どもの興味を引きそうな話で即興の読み聞かせをするなど、朝飯前よ。
「のんびりと歩く亀。」
「亀って何?」
「海とかにいる硬い生き物よ。生半可な攻撃では倒せないけど、この甲羅が重いせいで動きは遅いしひっくり返ると自分では起き上がれないのよ。」
今回はウサギと亀の昔話をこの世界風にアレンジした話だ。
そういえば亀ってみないなー、川とかを探せばいそうな気もするけど。
「なんだ、お前ら知らないのか、村はずれの川を探せば見つかるぞ。川の苔とか虫を食って川をきれいにしてくれるんだ。」
「へえ、そうなんだ。」
ケー兄ちゃんナイス。これで子供たちが川に興味を持てば、合法的に川の調査ができるかもしれない。
この村には川釣りの名人がいるので、時々魚が振る舞われるけど主食は麦や野菜で、ウサギなどの獣の肉を食べることが多い。川には川海老やカニがいる可能性がある。それにガマの穂なんてものがあれば面白いかもしれない。
が10歳である私の思い付きだけではそんなことはできないし、許可も下りない。だが村中の子供たちがそれを望んだらどうなるかな?
そう私が前世の忌まわしい記憶である教育者としての立場になろうと思ったのは、無知ゆえに無欲すぎる村人の意識を改革するためだ。あくまで私ファースト、でも知識は身を助けるからよし。
「そんなわけで、のろまな亀とウサギは競争することになりました。」
勉強と身構えていた子供たちだが、次第に話とイラストに引き込まれて、最後の方は目をキラキラさせていた。
「これがウサギ。これが亀。」
一部の子は自分でイラストや文字を書いていた。
「ははは、勉強なんて言うからどんなもんかと思ったけど、新しい遊びかよ。これなら大歓迎だ。」
ケー兄ちゃんよ。お前はほんとダメな奴だな。
「そうだ、文字が読めれば遊びの幅も広がるし、話が面白くなる。どうだ、大事なことがわかっただろ。」
「「うん。」」
ふふふ、次期領主として日々、子どもたちと交流を図っていたのはこのためだったのかもしれない。
そんなこんなで、読み聞かせを中心とした文字の勉強から始まり、ケー兄ちゃんを筆頭に気になる生き物を探しに探検にいくなど、遊びなのか勉強なのかわからない習慣がハッサム村ではじまったのだった。
のだが。
「へえ、ネズミが餅つきをねー。」
「ふふふ、巣穴の中でそんなになったら素敵ね。」
数日と経たずして子供たちから話を伝え聞いた大人たちが、私の授業、もとい読み聞かせに参加するようになった。
「そうだ、穴は、こう書く。」
「リリンの名前はこう書くんだ。」
2歳以下のちびっ子たちの親たちまで参加して、ついでとばかりに言葉を教える補助をしてくるから、正直助かっているけど。緊張感があるんだよねー。
「ジジジ(面白い話)。」
「ジジ(賢い子は物知り。)」
そして、気づいたらハチたちまで参加して、私の読み聞かせを聞くようになっていた。うん、本が届くまでと前世の記憶からでっち上げた物語がなんだけど、なんか妙に好評なんだよね。母ちゃんからは昼の休憩時間に合わせて読み聞かせをするようにって言われるぐらいだし。
「ストラちゃんはすごいな、これなら話し家としてもやってけるぞ。」
「いや、おっちゃん、さすがに無理があるよ。」
ユーチューバーとか芸人みたいな仕事は安定しないからごめんだ。そういうのはほかの人に任せたい。
結果として、村の人たちと子どもたちは、生活の中に楽しみを見つけてほかに興味を持つようになった。とくに顕著なのはケー兄ちゃんで、自分の遊び場の植物や生き物が子供の興味を引くことがわかり率先して探検に連れ出すようになった。なんかハチたちまで追従するようになったから安全管理もばっちりな探検はもはや遠足である。
やんちゃと言われたケー兄ちゃんが丸くなったと大人たちにはほめられたけど、それ以上に新しい話による読み聞かせをせがまれる。未知の出来事への興味が広がり、学習への意欲が高まり、日々の生活に張りをもつようになってくれたのはいいけれど。
「おかしい、私の仕事が増えているんだけど。」
「こればかりは、私ではお力になれませんねー。」
どこか勝ち誇ったトムソンの顔が腹立たしかった。
チートで楽をしようと色々しているけど、思った方向とは違う結果になっていくストラさん。




