第九話:怒らせると、アヴァロンで一番怖い少女
エンシェント・エルフが立ち上がり、魔力を高めていく。
完全な臨戦態勢。
彼女は周囲の状況を確認する。
まず、自らの主武装であるアンチマテリアルライフルは、今なお水槽の中に沈んでいる。
服に隠してあるサイドウェポンの自動小銃は粘液が入り込んで使い物にならない。
この場は素手で切り抜けないといけない。
「ああああああああああああ、私の手が無くなったのですな。許さない、許さないんですな!! 悪い子にはお仕置きですな。たっぷり可愛がってやるんですな!!」
【邪】の魔王モラクスは叫ぶ。彼は猛りすぎて、ズボンを突き破って股間から触手が顔を出していた。
理由はわからないがエンシェント・エルフに対する薬の効きが弱かった。とは言え影響がゼロというわけではないだろう。戦闘力は落ちているはず。
なら、手持ちの魔物でも勝てるはずだ。痛めつけて、命乞いをさせながら犯してやる。
彼は【収納】している魔物たちを取り出す。
いずれも、冒険者の女戦士や、獣人、野良のエルフ、魔術師をとらえて孕ませてできた魔物たちだ。
強さは全員Bランク程度であり、彼の近衛兵でもある。
「相手は手負いの貧弱なエルフ。距離を詰めればどうってことはないのですな!」
強力なエルフの上位種だろうが、薬で弱っており、武器を奪われ得意の遠距離戦はできない。
四体がかりで、弱点である近距離戦を挑むのだ。負けるはずがない。
生意気なことに、エンシェント・エルフはこちらを恐れるようすがない。
ただ、注意深く、冷静にこちらの戦力を分析しているだけ。
そこが気に障る。
「いけ、おまえたち!!」
先陣を切るのは戦士の女に産ませた魔物と、虎の獣人を孕ませてできた魔物だ。
【邪】の能力は凶悪かつ強力だ。悪魔の性質を持つ魔物の子を雌に孕ませることができる。
そして、魔物は母体の特徴を色濃く受け継ぎ、母体と同格以上の力を持つ。母体が強力であればあるほど、生まれてくる子の能力は高い。
とはいえ制限がないわけではない。
一つは、【邪】の魔王が心の底から欲情しないといけないこと。
もう一つは、出産時の負荷が高すぎて、いちど出産した母体は、よほど頑丈な個体でない限り、一度で壊れて使い物にならなくなること。
今回、【収納】から取り出した魔物たちは、知性が高い人間や亜人を母体にしているだけあって狡猾だ。
前後から挟み撃ちにしようとしていた。
「あなたは、三つほど勘違いされているようです」
エンシェント・エルフが嘲笑する。
正面から斬りかかってくる一体目の戦士型の魔物が剣を振り下ろす前に自分から距離を詰め、掌底を放つ。手の平には風の塊があった。台風を圧縮したような圧倒的な力。
掌底が決まるのと同時に風が解き放たれ、胴体が真っ二つになり吹き飛ぶ。
二体目の虎の獣人型の魔物は背後から母親譲りの自慢の爪で襲いかかった。
「見えてますよ」
背後からの攻撃を振り返りもせずに紙一重で躱すと、そのまま風を纏った裏拳を虎の獣人型の悪魔に叩き付ける。獣人の顔がザクロのようにはじけ飛ぶ。
【邪】の魔王が、エルフに孕ませた魔物が弓を放とうと矢をつがえていたが、結局それが放たれることはなかった。最初の魔物が持っていた剣が投擲され眉間に突き刺さり絶命。
最後に残った魔術師型の魔物は詠唱の途中で急に苦しみだした。顔を紫にして崩れ落ちる。エンシェント・エルフが周囲の酸素をすべて追い出してしまったのだ。
全滅。
一分にも満たない間に、【邪】の魔王の親衛隊は倒れた。
「ひぃっ」
モラクスは、尻もちをつき、少しでも距離を取ろうとあがく。その光景を見て確信する。自分は完全にこの魔物の力を見誤っていた。
逃げないと。
転移を使って水晶の部屋へ。
「転移するつもりならやめたほうがいいです。あなたが馬鹿面を晒している間に、圧縮した風の塊を口の中に放り込みました。私の制御を離れた瞬間、風がお腹の中で爆発します。あまり気持ちのいい死に方はできませんよ?」
エンシェント・エルフが、【邪】の魔王に微笑みかけた。
その一言で転移を踏みとどまる。
「うっ、嘘ですな」
「試してみればいいじゃないですか。転移してみてください。その瞬間死にますから」
その一言で完全に、【邪】の魔王は自分が逃げられないことに気付く。
それどころか、エンシェント・エルフを傷つけることすらできない。
完全に詰んでいる。
いや、待て。まだだ。戦略目的を生き残ることに絞ろう。
いくら強力な魔物とはいえ、少女だ。いくらでも隙はある。
彼が黙りこむと、エンシェント・エルフは口を開いた。
「逃げることができないとわかっていただけたみたいですね。少しお話をしましょう。戦闘が始まる前に、あなたは三つ勘違いをしていると私は言いました」
エンシェントエルフは、指を三つ立てた。
「一つ目、あなたは罠にはめたつもりですが。逆ですよ。ご主人様があなたを罠にはめました。実は、あなたの魔物が潜んでいることは気付いていました。あなたの性癖と能力を考えると、私を孤立させ目の前に連れて行こうとすることは明白です。なら、長い迷路を抜けるより、こっちのほうが早い」
その一言は、【邪】の魔王に残ったわずかなプライドを砕くのには十分だった。【創造】の魔王プロケルに負けたのは、あくまで従えている魔物とユニークスキルの差であり、戦略では負けていない。そう思っていたのに、その思い込みが崩れる。
プロケル側も情報収集はしていた。
【邪】は特にその特徴的な能力で印象に残りやすい上、暴れすぎた。彼の情報を集めるのは容易だった。エンシェント・エルフが第六感で自分を見る邪な視線を感じており、それを知ったプロケルが立案した。
エンシェント・エルフは万が一、潜んでいた魔物が自分ではなくプロケルを狙っていたら、即座にその魔物を滅していただろう。
【邪】の魔王が視覚と聴覚でしか、エンシェント・エルフは周囲を監視していないのは、そう思わせる演技をしていただけにすぎない。
「二つ目、確かに私は長距離戦がとても得意です。ですが、近距離戦が苦手というわけではありません。近距離戦も得意ですよ」
風により全方位が見えている。ありとあらゆる攻撃の入射角、速度を感じ取り、即座に対応することで、接近戦では常の後の先をとれる。さらに風の鎧を纏い動きの加速、攻撃力の増加ができる。
エンシェント・エルフは近距離でも優れた能力を発揮するのだ。
そもそも、酸素を必要とする生き物が相手なら、周囲の酸素すべてを逃がせばいいし、逆に濃度をあげて酸素中毒にもできるので相手にすらならない。
その結果がさきほどの蹂躙劇だ。
「最後に、あなたの毒、まったく効いてません。私を弱らすために毒を使うのは想定内でしたので、あらかじめリンゴを食べてました。そうでなくても私は毒に強い耐性があります」
アヴァロンにある始まりの木のリンゴ。毎日エンシェント・エルフが強大な魔力を注ぎ込んだ【生命の水】を与えられ、もはや世界樹並みに成長した木からとれる果実を食べることでありとあらゆる耐性を一時的に上げることができる。
つまり、最初から最後まで、【邪】の魔王モラクスは【創造】の魔王プロケルとエンシェント・エルフの手のひらで踊っていた。
それを知らされて、【邪】の魔王は狼狽する。
失敗した。欲に目がくらんでけして手を出してはいけないものに手を出してしまった。自分が勝てる相手ではなかったのだ。
「さて、長々と話しましたが本題に入りましょう。問題です。どうして私があなたを生かしていると思いますか? いつでも殺せるのに」
「そっ、それは、【創造】の魔王プロケル”様”が私に、交渉相手としての価値を認めているからですかな? いやはや、実は私もかねがね【創造】のプロケル様とは話してみたいと思っておりました。この【戦争】は脅されて、仕方なく協力させられたのです。本心ではずっとプロケル様と同盟を結びたいと思っておりました。私とプロケル様が組めば、無敵。ぜひ、協力させていただきたいですな!!」
【邪】の魔王は自分が生き残るための足掛かりを見つけたと確信する。
そのためなら、【鋼】も【粘】も切り捨てる。もともとあれらは駒だ。良心は痛まない。それに、【創造】に取り入れば、この圧倒的な強さを持つ魔物たちに正体不明だが強力なスキルを持つ彼の後ろで、うまい汁も吸えるし、どこかで裏切って寝首をかいてやれば、【創造】の魔王のすべてを奪える。
しかし……。
「随分と自分を過大評価されているんですね。ご主人様があなたごとき必要とするわけないじゃないですか」
その考えは、何を言ってるんだこいつは? と言いたげな目と口調で放たれたエンシェント・エルフの一言で打ち砕かれる。
【邪】の魔王は拳を握りしめ、奥歯を噛みしめる。
自分の目論見が崩れただけじゃない。その一言は彼のプライドを深く傷つけた。”ごとき”だと? 内心の狂いそうになるほどの怒りを、表に出さないようにしながら、【邪】の魔王モラクスは精一杯の笑顔を作った。
「そっ、そうですな。いやはや、【創造】の魔王プロケル様は素晴らしいお方です。私のような矮小な魔王の力、必要とはしないでしょう。では、いったい何が目的ですからな? なんなりと協力をさせていただく所存ですな」
「もっと単純なことですよ。迷路が鬱陶しくて水晶を砕きに行くのが面倒なんですよね。だから、あなたに消してもらおうと思いまして」
魔王は死ねば、この戦争から脱落する。
だが、水晶を砕かない限り、魔物もダンジョンも消えない。すでにアヴァロンに攻め込んでいる【邪】の魔王の魔物が居るかもしれない以上、プロケルたちは、きっちりと水晶を砕く必要があった。
そのためには、時間稼ぎのために【邪】の魔王が作った迷路が邪魔でしかたない。
【邪】の魔王は必死に頭を回転させる。
この提案を断ることは初めから考慮していない。別に時間稼ぎができなくなって【鋼】が困ろう知ったことか。生き残るのが優先だ。
彼が考えているのは少しでも生き残る確率を上げる方法だ。
「わかりました。ですが、条件がありますな。迷路をすべて消す変わり、命だけは助けて欲しいんですな」
きっちりと先手を打っておく。こうすれば、殺されることはない。
それは、自分が見下していた【粘】の魔王と同じ行為だった。
「そうですね。では、こうしましょう。全てのフロアすべて更地にすれば、あなたのお腹の中の風の塊を取り除いてあげます」
「交渉成立ですな」
【邪】の魔王は自らの完全敗北を受け入れ、こんな小娘にしてやられた屈辱を噛みしめながら、魔王の書を操作し、フロアを更地にしていく。ここで変な小細工はできない。そんなことをすればここを切り抜けたとしても確実に殺される。
頭の中は怒りでいっぱいだった。
彼にとって、蹂躙し、屈服させる存在である雌が、上から目線で自分に命令しているにもかかわらず、結局どうすることもできなかった。
犯して、孕ませて、壊して、殺す。その決意は今も変わっていない。
だが、今は耐えるときだ。
無事、生き残りさえすれば、どれだけ時間がかかろうと、どれだけ労力を払おうと、どんな手を使っても、いずれこの少女を殺してくれと懇願してくるまでぐちゃぐちゃにしてやる。
「これで終わりましたな」
そう、【邪】の魔王が言った瞬間、周囲の景色がただの広いだけの更地になった。
「ありがとうございます。これで、簡単に水晶を壊せますね。あなたを信じて他のフロアの確認はしません。では次が私が約束を果たす番ですね」
彼女がそういうと、恐ろしい勢いで彼の口から風が流れ始める。
それが一分ほど続いた。
もし、これが腹の中で解放されていたら、風船のように膨らんで、彼は死んでいただろう。
「私は水晶の部屋に戻らせてもらいますかな」
四ツ子の悪魔を通して、真の協力者に顛末を伝えないといけないのだ。水晶が砕かれて、四ツ子の悪魔が消える前に。
隙だらけで、背中を晒しているエンシェント・エルフを襲いたくなるが、手を出すわけにはいかない。あれが常に全方位を警戒していることは、知っている。
彼は転移を起動する。
いや、それは叶わなかった。
彼の首が胴体から離れる。風の刃が切断したのだ。犯人は一人しかいない。
だましたな。そう呟こうとしたが、その声が放たれることはなかった。
しかし、その意図は相手にちゃんと伝わっていたようだ。
「私はちゃんと約束を守りましたよ。お腹の中の風の塊はちゃんととってあげました」
それが【邪】の魔王が生涯で最後に聞いた言葉になった。
エンシェント・エルフは、誠実に契約を果たした。初めから風の塊を取り除くとしか言っていない。
エンシェント・エルフはクイナやロロノほど甘くはない。
ある意味、彼女がこのダンジョンの攻略に来たのが【邪】の魔王最大の不運だった。
「だいたい、生かして帰すわけがないじゃないですか。ご主人様に恨みをもっている魔王なんて。それに、気持ち悪かったです。私に触っていいのは、可愛い女の子と、ご主人様だけですよ」
その言葉を放った彼女は自分の胸元に手を入れる。
胸の谷間から取り出したのは、カラスの魔物。
プロケルの指示で、転移が使えるカラスの魔物を保険として連れてきていたのだ。
転移陣は階層を突破するごとに仕掛けてあるのでいざというときはこのカラスの力で逃げるつもりだった。
しかし……。
「あっ、この子にリンゴ食べさせるの忘れてました」
かわいそうにカラスは媚薬付けになって、びくんびくんとなっていた。
彼女は転移を使うのを諦め、カラスを胸元に戻す。
ふと、自分が転移させられた水槽を見る。
自分の耐性とリンゴの効果、にもかかわらず、ほんの少しだけ影響を与えてきた強力な薬だ。我慢できないほどではないが、今も少し下腹部が熱い。少し興味がある。
水筒の水を飲み干し、かわりにピンク色の粘液を詰める。
「さて、いきましょうか」
早く合流して、敬愛するご主人様にいっぱい褒めてもらおう、そして名前をもらう。そのことを想像すると、自然と顔がにやけてきた。
弾む気持ちを抑えて彼女はプロケルの元へ走り出した。
ついに、ついに、累計101位!! あこがれの累計100位まであと一つ! 皆様の応援のおかげです。本当にありがとう。累計100位目指してがんばります!




