039-2
不意にテーブル脇に置いてあった携帯電話から着信音が聞こえてきた。
こんな時間に電話してくるなんて誰だ? と訝る間も無く画面の表示を見た彼はげんなりした表情を浮かべる。
――またお得意の思い付きか。
声には出さないが苦りきった表情を浮かべたあと通話に出る。
「はい、芹沢です。こんな夜遅くどうしました?」
「用件の前にだ、俺からの電話にはワンコール以内に出ろ。そういつも教えていたはずだな、芹沢」
その声に自宅で作業をしていた芹沢は、さらに顔をしかめる。
形の上での定時は18時までのRudibliumCapsa本社で、20時55分まで仕事を続けていた。
芹沢は抱えている仕事を自分の部屋、社員寮に持ち込んで作業を続行していた。
忌々しそうに壁の時計に目をやると23時49分を指している。
――よくもまあこちらのやる気を削ぐような台詞ばっかり出てくるぜ。どこかに『社員の勤労意欲減退マニュアル』でも売ってるのか?
心の中で毒づきながらも芹沢は勤めて冷静に通話相手に告げる。
「申し訳ないです社長。ご用件はなんでしょうか」
「今ふと気になったんだが例の技術、『チェインジリング』の進行具合はどうなっている?」
芹沢の通話相手、Rudiblium Capsa本社社長の伊澤は呂律の回らない大声で芹沢に尋ねる。
「あれですか、理論は組みあがっていましたので今設計図が完成しました。明日夕方くらいには試作品が仕上がると思います」
「明日の昼、期限はそこまでだ。明日は紹介したいのがいるんでな」
「どなたでしょう?」内心うんざりしながらも通話を続ける。
「前に話したことがあったろう。俺の娘婿、大叢君だ。 言っても技術開発のトップのお前に会わせておきたいと思ってな」
「そうでしたか、ではこれで失礼します」
芹沢が通話を切ろうとしたその瞬間、伊澤が遮る。
「そうだ、まだある。ソーイングフェンサーのことだが、お前なにかつかんでいないか?」
「その相手なら社長がご自身で出向いて『縛られた棺』で封印したのでは? 彼女の変身アイテムトランスフォンの回収なら、後日改めて五十嵐に向かわせますが」
「いや、どうにも悪い予感がする。俺が放った『縛られた棺』は完璧だが、万が一という事もある。本当にあの小娘が廃人になっているか確認しろ。用件は以上だ」
一方的に切られた携帯電話をテーブルに置き芹沢はひとり考える。
――チェインジリングの実用化はともかく、伊澤の娘婿だと? 嫌な予感しかしないのは俺だけか?
グラスにウイスキーを注ぎ一気に呷る。伊澤に仕事を頼まれるたびに酒の量は増える一方だ。
「ソーイングフェンサーについては……どう対応するかな」
今は直接あってもいない少女についての事を考えると、気分が晴れてくる自分がいる。それに気づいたことが彼にとっては大きな発見だった。
◆
自分を包み込んでいる振動が止むのを感じて、りおなは目が覚めた。
アイマスクを上にずらすと、見覚えがある石造りの街が見える。ノービスタウンに来たのだ。
運転席に目をやるとチーフの姿が無いため車を降りる。
街の入り口には町長のメイヤーと、なんにんかのぬいぐるみが集まっていた。
「では、リバーシープとトリマーを連れて行きますので、あとはよろしくお願いします」
チーフがメイヤーに告げる。
りおなさん、これを持って行って。
猫の老婆メイプルグランマと、バーバリアンライオンのテオブロマがお揃いのエプロンをしてりおなに紙袋を渡してきた。
中を見ると、銀紙にくるまれた小さなチョコレートが大量に入っている。
「ありがと、テオブロマにメイプルグランマ。遠慮なくもらっとくわ」
――おお、子猫型チョコがこんなにいっぱい。助かるわーー。
チーフはぬいぐるみがキャンピングカーに乗るのを確認すると運転席に乗り込んだ。
「あれ? 他は連れて行かんの?」
「ええ、あまり大人数では動きづらいですから」
メイヤーに別れを告げた一行はノービスタウンを後にする。
「この世界、っちゅうかノービスタウンに住む方法ってどんな感じ?」
「日本と違って、身元保証人や戸籍等は必要ありませんね。
ノービスタウンに限って言えば、町長に頼んで書類にサインをすれば住人登録は容易ですし、住居や仕事の斡旋は冒険者ギルドが担当しています。
税金などはありませんが、街の内部の問題は住人の有志が協力して解決します」
「なるほど」
「住人が街を離れる場合は町長に一言告げるだけですから、現代日本の社会機構に比べるとはるかに単純です。
もっとも性善説という言葉自体存在しないくらい、この世界の表にいる大多数の住人は善良ですからね。トラブルはまず起こりません」
やがて雲一つない星空が、漆黒から濃い紺色を経て次第に青みを増していく。それと同時に地平線の端が白み始めた。
強い曙光を浴びてりおなは目を細める。
夜露で湿っていた草原から水蒸気が立ち昇ってきた。チーフが車を停めたのでりおなは車を降り、両手を挙げ深呼吸する。
「もう朝かー、異世界の夜明け見るのは初めてじゃわー」
トランスフォンの画面を確認すると6時を少し回っている。
――朝ごはんにはまだ少し早いけどおなか減ったーー。
「朝ごはんってどこで食べんの? 次の街着いてから?」
「せっかくいいパンをもらったんだから表で食べましょう」
後ろから声がしたので振り向くと課長がいた。
「りおなちゃんおはよう。昨夜は眠れた?」
「うん、車で寝るのは初めてじゃけど。それよりあの食パンちょっといい?」
りおなは麻袋から大ぶりの食パンを二斤取り出し、ナイフで恐る恐る慎重に切り分ける。
端から数枚切り出すが、中は真っ白い普通の食パンで(どうやらコオロギ食パンではないらしい)、りおなは胸をなでおろした。
そのあと改めてパンの香りを胸一杯に吸い込んだ。
一時間後、一行は広げたシートに座り一斉に朝食を食べだす。
メニューは鶏の唐揚げ、ウインナー、ほうれん草入りの卵焼き、ミニハンバーグ、ポテトサラダ、プチトマト、筑前煮。
それにりんごとバナナのバターソテー、水ようかんに抹茶のババロアなど色とりどりだ。
りおなはその行楽気分全開の献立てに、緊張感が削がれる思いだった。
だが気を取り直してちぎったバターロールにフルーツのバターソテーをつけて一口頬張る。
パンの香ばしさとフルーツの甘さが何とも言えない。他のぬいぐるみたちも楽しそうに食事している。
「今でどれくらい進んだの?」
唐揚げを小皿に取り分けながら陽子がチーフに尋ねる。
「そうですね、ノービスタウンからだと大体半分くらいですね。次の街に着くとしたら夕方以降くらいになります」
「そっかー、まだだいぶあるねー」
陽子は言いながら、隣で一心不乱に朝食にありついているソルに朝食を取り分けている。その様子は息子をしつける母親のようだ。
「そういや、イルカのヒルンドじゃけどごはんとかはどうしてると?」
「居場所はヒルンドの方で私の位置が分かるらしいし、こっちも生態電波で位置確認できる機械もあるからあんまり心配してない。
ソルも大食いだけどヒルンドはねーー、一日でお魚20kgぐらい余裕で食べちゃうから自分で取れるとこでは取ってほしいかな。
チーフさんに聞いたらここいらの海域にはそんなに危険な生き物いないって言うから」
りおなはそんなものかと考え、これから進む道に目をやる。
荒れ地ことウェイストランドとは違い周りには草原が広がり遠くには小高い丘や林が広がる。
たまに地球にはいない姿の動物の親子や群れが車道を横切っているので、あまり飛ばせないのが少しもどかしい。
現に夜明け前も二回ほど謎生物に遭遇した。
――チーフの話じゃと地球にはいない謎生物がいっぱいいて独自の生態系? とかを構築さしてる、とかじゃったな。
もっとも調査が行き届いていないのも多くいるらしく、本社でも把握しきれていないのが現状らしい。
食事が終わるとりおなが創ったクマたちや部長の孫ふたりは遊びだした。タイヨウフェネックのソルは赤土を掘り返して木の根や虫を探している。好奇心の塊のようだ。
ふと気づくとヒツジのリバーシープが身に着けている白い着ぐるみから、ものすごい勢いで羊毛が生えていた。
とこやのトリマーが慣れた手つきでバリカンを使い羊毛を刈り取っていく。
――創ってすぐの時も見たけんど、こんな短時間でウールの山ができるのは……複雑な気分にさせられるにゃあ。
今度はトリマーが白い麻でできた身体の上に薄ピンク色の着ぐるみを着ると、食器用スポンジから泡が出るように着ぐるみからもこもこした毛が生えてきた。
それをリバーシープが鋏を取り出して、器用に刈り込んでいく様はやはりシュールな絵面だった。
食休みをしていた陽子も口を半開きにして様子を眺めている。あっというまに頭や足先がトイプードルのように丸く刈り込まれた。
ふたりはそれぞれ刈った毛を麻の大きな袋に詰めていく。
りおながチーフの様子を見ると気にも留めない様子でノートパソコンの画面に集中している。
りおなは頭を振るとキャンピングカーの助手席に戻る。満腹も手伝ってか目を閉じて再び眠りについた。
「さあ、みんなそろそろ出発するわよ」
課長が手を叩いて皆に告げるとひとり、またひとりとキャンピングカーに戻っていく。
これ、あげるね。
はりこグマは自分の前掛けの内側から何かを取り出し、トリマーとリバーシープにそれぞれに何かをひとつずつ渡す。
だが、りおなはもちろん、チーフや課長もその光景に気付くことがなかった。
◆
「それでは朝のミーティングを始めます」
トイプードルの顔をした女性型のグランスタフ、安野の凛とした声でRudiblium Capsa本社の重役会議が始まる。
社長の伊澤が大きな会議室の最奥部に座り各部門の責任者が20人程参加している。
とはいえ内容は判で押したように同じものだ。
大陸南部が進行具合が激しいウェイストランドの拡大の度合い、それについての対策が小太りの重役から告げられる。台詞はたった一言「最善を尽くします」
――まあ、これは軽んじられても仕方がないか。
と芹沢は下を向いてため息をつく。
Rudiblium全体で言えば由々しき事態だが、この会議の中ではなんら価値を見いだせないらしい。
「続いてヴァイスフィギュア量産について芹沢課長、進行状況の報告をお願いします」
名前を呼ばれた芹沢は立ち上がり手元の資料を読み上げる。これもセオリー通りだ。
いつもと違うのは社長の隣で座っている体格のいい社員だろう。
――だいたいの見当はついているが、今は気にしないでおこうか。
「現在のヴァイスフィギュアの量産体制と進行速度について報告します。
廉価版のヴァイストルーパーが当初の予定の45%、従来型については34%程に……」
「遅い」
途中まで言いかけた所で割って入る声があった。この会社、Rudiblium Capsaの経営者伊澤が声を荒げ芹沢を叱責する。
「人間世界攻略にヴァイスフィギュアの量産は必須だ。それが解らんお前じゃないだろう、ええ? ――――」
芹沢は目の前で大声を張り上げる伊澤の罵声を無言でやり過ごす。
頭の中にあるのは、
――こんな無駄話をさっさと切り上げてくれた方が作業がはかどるのににな。 という声には出さない反論だけだ。
10分以上同じ内容の話が続いたが、それも途切れたので芹沢は表情を変えずに返す。
「社長が有能な社員に無理難題を吹っかけて、どんどん自主退職に追い込んでいったからです。進捗状況もノルマが当初の二倍になりましたからね」
その言葉を受けて伊澤はさらに激昂する。
「なんだと? じゃあ今残っているお前は無能だとでもいうのか!?」
「かもしれませんね」
間髪入れずに返された伊澤は、さらに罵声を浴びせるが槍玉に挙げられた本人は無表情に聞き流す。
他の幹部たちは、自分に矛先を向けられるのを避けて黙ったままだ。
ミーティングとは名ばかりの社長による悪口大会が小一時間程続いてから、芹沢は自分の腕時計を確認する。
「早く切り上げて仕事に行かせてくれ」という合図のつもりだったが自分の演説に酔っている社長には気付いた様子もない。
ちらりと安野に目をやるとうんざりした表情で芹沢をにらむ。「これ以上余計なことは言うな」とでも言いたげだ。
芹沢は窓の外に目をやる。外は相変わらずの曇天模様だ。社長はしゃべり疲れたのか、隣にいる大柄なグランスタフに声をかけた。
「さて、俺が発破をかけたおかげでここにいる全員だいぶ勤労意欲が増しただろう。ミーティングもそろそろ終わりにしようか。
最後に一人紹介したい者がいる。既に知っている者もいるだろうが俺の娘婿の大叢君だ。
まずは様々な部署に入ってわが社の全貌を把握してもらいたいが、ゆくゆくはこのRudiblium本社を継いでもらいたいと思っている。
よろしく頼むぞ大叢君」
名前を呼ばれた大叢は、灰色の猟犬の顔をほころばせ立ち上がって皆に一礼すると快活そうに話し出す。
「ご紹介にあずかりました大叢です。皆さんよろしくお願いします。縁故入社とはいえ実力でのし上がって社長になりたいと思っています。
でもあなた方より短い時間で僕が実力で抜いちゃった場合は、その人たちは永久に休んでもらおうかな。
ああ、今のはもちろん冗談ですよ、皆さん仲良くやっていきましょう」
芹沢の目の前にいる、見た目だけは剛胆そうなグランスタフの笑い声が会議室に虚ろに響く。
彼にとってはガマンの最たる時間がようやく終わりを告げた。
「この義父にしてこの義理の息子ありか。類は友を呼ぶとはよく言ったもんだぜ」
大叢の査定は芹沢の中でとっくに終了していた。彼の興味はすでに大叢には無くまだ会っていない人間界の少女に意識が移っていた。




