行き場をなくした家
伯爵アレスは、もはや見栄も誇りも捨てていた。
商会の応接室で、汗をにじませながら机にすがる。
「ど、どうか……期日を……期日を延ばしてくれないか……!」
向かいに座る商会の男は、書類をぱらぱらとめくりながら無表情に言った。
「はぁ……では、いつまで?」
「で、できれば……一年……」
男の視線がぴたりと上がる。
鋭い“値踏み”の目。
伯爵は慌てて言い直す。
「い、いや……半年! 半年で返す!」
男は肩をすくめた。
「では、担保を増やしてください」
伯爵の顔が苦悶に歪む。
「……担保。もう……屋敷も土地も、売れるものは……」
男はにっこりと、営業用の笑みを浮かべた。
「ありますよね?」
伯爵の喉が鳴った。
「……む、娘を……
娘を二人……二人いる……二人を担保に、追加融資を……!」
涙声だった。
数ヶ月前まで誇り高く振る舞っていた男の面影はない。
男は淡々と書類を整える。
「承知しました。では、追加担保としてサインを…」
それは、娘たちを商会へ
“売り渡した”ことを意味した。
「…大丈夫だ。金は返せる。返せるはずだ…」
伯爵は震える手でサインした。
――同刻、公爵家。
影が契約書を持ち込み、跪いた。
「こちらが契約書です」
レオは一瞥し、鼻で笑った。
「ふっ……まさに外道だな」
影が遠慮がちに続ける。
「ただ……二人の娘を差し出しておりますが、いかがいたしますか?」
レオは椅子に深く腰を下ろし、冷たく答えた。
「そうだな。色を使うことが好きらしいルキナには
癖の強い娼館へでも放り込め。
さぞ、劇場でみせてくれたような声でよく働くだろう」
影(…まさかあの娼館か…何日もつかどうか)
影の背筋がガタガタ震える。
だがレオの意識はすでに別の場所――
机の上の姿絵へ向いていた。
指先で、深緑の瞳の縁をそっとなぞる。
「……あと少しで迎えに行くよ。俺のフローラ」
その声音は、氷の刃を包んだ絹のように静かで甘い。
影は思わず思案した。
(……あの、レオ様。
フローラ様用のお部屋……
鎖や格子窓などの下準備しておいた方が……よさそうだな……)
静かに、崩落の音が伯爵家に迫っていた。
フローラを迎える、その日のために。




