六
その部屋には、深い闇が満ちていた。
その闇は、今までの廊下よりもずっと濃く、懐中電灯では追いつかない。
誰かが、それを口にする前に、
「く、……ヴぁぁああああ!」
ロクスケが、何と周囲に火を吐いた。
真っ赤な炎が荒れ狂い、照らし出す。
「う、うわわあ」
「あ、熱い!」
悲鳴を上げる、子供達。
言織達は、平然とたたずむ。
「?」
「……熱くない?」
やがて、その異常に気が付く。
目を白黒させる翔太。
恐る恐る、足元で燃え盛る炎に手を伸ばしてみる亜矢。
「別に熱くないでしょ?」
と、言織。
その通りだった。
撒き散らされた炎は、ただ勝手にそれだけで燃え盛る。照らし出された部屋を燃やすこともなく、もちろん子供達も焼きはしなかった。
幻の炎。
物理的には、何ら影響を及ぼさない――妖気の闇を打ち払う炎。
「で、おめーか」
ロクスケは、すでにそいつと対峙している。
誰かが、悲鳴をあげる。ついで、子供達にも怯えが走った。
そこは、教室だった。ずり下がった黒板。机と椅子が、あちこちに散乱している。
ひびの入った窓ガラスに面した、一本の柱。
――それが、その姿だった。
一見、ただの模様に見えるのは、まぎれもなく人の顔。うぞうぞとうごめく人面は、上下が逆さまになっている。
「逆柱か」
ロクスケは、その妖怪の名をつぶやいだ。
妖怪と呼ぶ存在は、生まれ方からおおよそ三つに別れる。
人が、転じるもの。
目に見えぬ感情などが、形を取るもの。
そして、器物が化けるもの。
逆柱とは、三番目に当たる。
木が本来生えていた状態から、天地逆さまに立てられた柱が、妖気を帯びて化けた存在なのである。
「何を、しに来た? ロクスケ殿」
くぐもった声が、人面から発せられる。一応敬称で呼んではいたが、その口調には敵意しか感じられない。
「あー、このガキどもを迎えにな」
当人はどこ吹く風。翔太達に振り返って、
「ごたごたされて、むかつくのはわかるけどよ。そろそろ許してやれよ。な?」
向き直るロクスケに、逆柱は苦い表情になる。
「妖怪の身で……人間どもに媚を売るのか?」
「いんや、別に」
皮肉を、軽く受け流す。
「まー、古臭い時代でもないしよ。ある程度は、共存しないといけねーだろ? それこそ、たかが人間のガキの悪ふざけに、そこまで目くじら立てんじゃねーよ」
「ロクスケ、挑発してない?」
腰に差した退魔刀の柄を触りながらの、言織のぼやきに、
「いんや、説得だぜ」
だるそうに答えるロクスケ。
宵崎と景は、無言。翔太達は、息を飲んで状況を見守っている。
しばらくしてから、逆柱は言った。
「……断る」
その声には、明らかに怒りがにじんでいる。
「一度は、見逃した。二度目はないと、忠告した」
「二度目?」
言織の視線に、正志はぶんぶんと頭を振る。
「お、俺達は初めてだよ……!」
「五年前も、ワシは言ったはずだ。ワシの眠りを、邪魔するのは許さん……とな!」
「そ、それって、俺達じゃねーよ!」
悲鳴混じりに、反論する正志。
「ずっと前の、卒業生だよ!」
正志達が興味を持つ噂を残した、別の子供達なのだろう。
「知ったことか!」
だが、逆柱からすれば、そんな事情など関係ない。二度も、自分の眠りを人間に邪魔された。それだけで、充分なのだろう。
筋は、通っているかもしれないが――
乾いた音が、周囲に響いた。
「ま、ちょっとかわいそうだよね」
逆柱が飛ばしてきたのは、鋭い枝だった。まるで弓矢のごとく襲いかかってきた数本を、言織が叩き落としたのだ。
右手には、抜身の日本刀。その刃が、うっすらと光を帯びていた。
「で、こうなるとやっぱ戦うのかな?」
「……臨むところだ」
逆柱がの本体が、ぐぐうっと膨れ上がる。四角い柱が、大木となって浮き上がる。うぞうぞと這い出る、何本もの枝と、葉。まるで、無数の手のようだ。
「平和的に行きたかったんだけどなー」
言織は溜め息をつく。
「戦うか」
「仕方ねーな」
とロクスケ。
「宵崎、ガキ達は任せたぜ」
後方の宵崎に振り返る。
「心得た」
宵崎は頷くと、錫杖を掲げる。周囲の闇が応じて、その周りに半透明の壁を作り上げた。
その中に、翔太達を囲い込む。
これで、彼らは安全だ。
「じゃあ、行くよ!」
言織は、一足飛び。
距離を詰めて、一刀を振り下ろす。峰は返した。一応の手加減はしている。
しかし。
ロクスケの炎に払われて、床に飛び散っていた闇の破片がもぞもぞと生き物のように蠢いて――逆柱に向かって収束していくではないか。見る間に全体を覆いつくし、言織の一撃を防いでしまった。
「おっと」
そのまま刃を取り込まれそうになるのを、咄嗟に後ろに跳んで距離を取る。
「もういっちょ!」
今度は横薙ぎ――と見せかけて、途中で剣閃の軌道を変えた。直角に曲げて、切り上げる。
それも、同様に無効化されてしまった。
「むう」
唸る言織に、くぐもった声で逆柱が笑った。
「ぐふふふ……それで、終わりか?」
今度は、こちらの番とでも。闇壁の向こうから、突き出されてくる枝葉の槍。三点同時の切っ先を、言織は右に飛んでかわした。
方向転換。
三本の槍は中空で鋭角に曲がると、着地したばかりの言織に容赦なく向かう。避けるには不利な体勢。その凶悪を、振るう刀で斬り払う。
容赦なく、鋭い刃で。
一本が、浅かった。
まだ攻撃力を残した槍が、言織に向かう。
それを、走った小さな影が薙ぎ払った。
言織の前に降り立ったのは、ロクスケだ。
「……ぐ?」
自身の手足をもがれたようなものか。逆柱が、少しだけ苦鳴の声を上げた。伸ばした枝を闇の向こうに引っ込めて――もう一度、突き出してくる。
あっさりと再生していた。さすが植物の変化か。
千切れて床に転がった枝葉は、もはや用済みとでも。塵と化して掻き消えた。
「なかなか、やるな? それでは、少し本気で行くぞ」
どこか楽しそうな、逆さ柱。
そして、速度を増してくる攻撃。矢継ぎ早の槍に、言織はさばくので精一杯だ。
「言織、その攻撃に退魔刀では不利だ!」
離れて様子を見守っていた宵崎が叫んだ。
確かに、素早い連撃相手に、小回りの利かない刀では限界がある。余程の達人ならばともかく、言織の腕はそこまでではなかった。
「わかった」
素直に従う。言織は退魔刀を鞘に納めて、後ろに放り投げた。使わない武器は、動きの邪魔になる。
宙に舞った納刀を、宵崎から伸びた黒い帯が受け止めた。
そうして、言織は左手を伸ばす。手首に巻かれていた六文銭が、うっすらと輝き始める。
そのとなりに、ロクスケも並んだ。しっかりと臨戦態勢だ。
「さっきは、ありがと」
「こいつは、お前ひとりでは手こずりそうだ」
「すまんね」
ふたりがかり――まあ、仕方あるまい。
逆柱は、強い。
数日前に戦った八郎ぎつねとは、比べ物にならなかった。
これぞ、戦い。
場違いで不謹慎かもしれないが、言織は少し楽しくなってきた。




