65話 黒と黒の
混乱と喧騒が周囲を包む中。
『私を人間として死なせてくれてありがとう』
あの男が言った言葉を思い出していた。
「レジーナ・・・」
私は彼女に浅ましい感情を抱いていた。
検体に対して禁忌的な感情、恋慕だ。
自分にこんな感情があったことに大層驚いた。
彼女は美しかった。
その美貌も、同じ異種族のハーフエルフの少女を案じるその心根も。
私は彼女を丁重に扱った。
研究所も一枚岩というわけではない。
必ず私の目の届く状況で実験を行い、彼女の健康状態を最大限考慮していた。
彼女とは実験以外でも言葉を交わした。
幾度となく。
そのたびに私は満たされた。
ある日、彼女は上層部の目に留まり検体を提出しろと指令が出た。
それは、検体にとって死刑判決に等しく、
その実験内容は結果として検体の肉体を細かいパーツに分けるものなのだ。
恐らく彼女も自分がどうなるのか気づいていただろう。
彼女には『抗魔錠』による拘束は行っていなかった、彼女の『力』なら他者の思念を読み取るのはたやすい。
私は苦悩した。
だが提出の期限が迫る中、研究所の側にある完成間際の『屍人迷宮』の攻略に失敗したという一報を受けた。
無残な結末から彼女を救うにはこれしかないと、私は決断した。
そして彼女は死んだ。
この術式と引き換えに、その命を対価にして。
私が殺した。
美しい彼女を傷つけないために。
この術式が、彼女の生きた証なのだ。
だが、私の心は、喪失と自責に耐えきれなかった。
『精神耐性』をもってして、引き裂かれそうだった。
感情を反転させ、異種族を呪い。
彼女の死のきっかけを与えた『ハーフエルフ』へ行き場のない負の感情をぶつける。
そうやって、絶望を分散させることで私は自我を保った。
醜く、歪んだ自衛。
変換した感情が、あの男の口から発せられた私宛の、『彼女』が遺した言葉により復元されてしまった。
喪失が、再び全身を埋め尽くす。
「レジーナ・・・」
あの男のような力があれば、彼女と共に組織を抜ける未来もあったのだろうか?
いや、恐らく私は国を裏切れない。
この引き裂くような胸の痛みも、国の礎たる代償。
「―――落ち込んだ様子の所悪いね、眼鏡のアンちゃん」
「!」
地を見つめ茫然としていると、突然影が落ち、目の前には一人の老人が立っていた。
「なん、だ?お前は?どうやってここに・・・?」
指揮系統を失いあの男が放った奇襲で部隊の陣形は大きく崩れてはいる。
だがそれにしても、隊員達に囲まれているこの場所へ侵入してくるなど不可能。
「・・・『回帰勢』さ」
「!? 貴様・・・!そちら側の・・・!?」
「「「ぎゃぁぁああぁあ!!?」」」
包囲の後列から悲鳴が上がる。
「た、隊長!謎の勢力からの襲撃です!」
「貴様!この領域でこのような暴挙・・・!生きて帰れると思うな!」
降って湧いた強襲。
それを先導しているらしき目の前の老人に憎悪をぶつけると、煩わしそうな様子で頭を掻きながら言う。
「先に事を起こしたのは、眼鏡のアンちゃん。あんたらだろう?悪いが、今回関わったそっち側の人間は全員皆殺しだよ・・・いや、運がいいよ。ワシらの公園に来た連中も、お前さんらの研究所とやらも、この場のアンタらも、何者かの襲撃を受けて無防備な状態だからね」
おかげで楽できるよ、と。
「何を・・・!」
詰め寄ろうとすると、背中に軽い衝撃が伝う。
「まず大将の首を取るのが、戦場じゃ基本、ってね」
「がっ!?」
背中から、刺された?
いや、隊の陣形はまだ突破されていない。
狙撃?
だが、矢の重みを感じない。
となると、考えられるのは―――
「何を、した・・・?」
いつの間にかナイフを握っている目の前の老人の攻撃としか考えられない。
「背中を刺したのさ。さっきの兄さんとやりあっているのを見るに、あまり長くお前さんと向き合っていると色々見透かされちまいそうだからね。早々に退場願うよ」
「き、さま・・・」
手足にしびれを感じる。
膝をつくが地の感触も伝わってこない。
「察しの通り。毒だよ」
「・・・なに、が、目的・・・」
人の良さげなシワを歪めて、溜息を吐く。
「さっき言ったろう?因果応報、報復だよ。欲を張るからこうなるのさ。こっちはさ、懐古しながらほそぼそと暮らしてるってのに」
「過去に・・・捕らわ、れた・・・亡者・・・どもめ」
「まぁ、わからんだろうね。『探求勢』のお前さんらには・・・まぁ、あとは」
握り込んだナイフを振り上げ。
「知人の、尻ぬぐい―――かね」
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二つの勢力がダンジョンの扉の目の前で戦いを繰り広げているのを。
「おーおー。怖いねぇ・・・噂通り、一切容赦ねぇじゃねぇか」
遥か上空を旋回する巨大な鳥の陰から見下ろす者がいた。
「こりゃ、後から来たあちらさんが完全に優勢だわな」
直前の閃光で扉を包囲していた陣形は大きく乱れ咄嗟の襲撃にロクに対応できていない。
戦いと言うよりは一方的に蹂躙されている。
「あの眼鏡の旦那ももうだめだな・・・仲介はしてもらったが、こっちが危険を冒して助けてやる程の義理もねぇ」
「ピュイ」
「おめぇもそう思うか」
あの鑑定士野郎の情報を土産に、『探求勢』の傘下に入った今。
もう用済みだ。
「しかしまぁ、あの熱心な眼鏡が鑑定士野郎を追い詰めたところで、漁夫の利を狙っていたんだが・・・」
まさか、あの人数相手に囲まれて逃げおおせるとはな。
「それに、あの短時間でダンジョンから出てきやがっただと?」
あのダンジョンは中から扉があかねぇと聞いている。
つまり、野郎は化け物がひしめく巣窟の、さらにその化け物の頂点に立つ怪物を倒したってことだ。
「俺とやりあった時とは比べモンにならねぇ程強くなってやがる」
このままじゃ勝てねぇな。
「俺は俺で目的はある・・・が、どうにもてめぇは邪魔だ」
確信めいた予感がある。
奴は俺の邪魔になる。
「まずは、なににおいても力をつける」
しがみつき、取り入って、登ってやる。
「まってろ、鑑定士野郎」
猛禽の甲高い鳴き声が空に木霊し、男は雲の隙間に消えていった。




