239話 ありがとう
乱れた白衣のシワを伸ばすように裾を払うと、どこか詰まらなさそうな目と視線が合う。
「ふぅん……随分と手ひどくやられてるようだけど」
出血の勢いを増す脇腹の裂傷を見て、ミヤコは言う。
「……そっちも、無傷って風には見えないが」
姿を改めて見ると、白衣の襟元はまだ新しい血痕がこびりつき、内側に纏う衣服の胸元は獣の爪痕のように裂かれ、僅かに肌が露わになっていた。
見たところ、今は傷も出血も見られないようだが……
「ちょっと。その無神経な視線止めなさいよ」
胸元の肌を見られるのを……恥じらっているのか。
「――それは、悪かった」
こっちとしても無配慮ではあったが、この状況で随分と余裕と言うか、悠長と言うか。
「……なに?」
「いや……」
一瞬見せた毒気の無い表情が、俺の知る『美弥子さん』と重なる。
催眠という虚構の中に存在した女に意識を持っていかれるなんて。自分自身も大概、緊張感に欠ける。
「それはそうと――」
忘れろ。隙を見せるな。
この事態は想定できていただろう。
「その恰好はどうした? どこぞの頑固な爺さんにでもやられたのか?」
牽制程度に言うと、小さく舌打ちしたのを聞き逃さなかった。
「……そ。私がここに来てるって、って知っていたってわけね」
「ああ。お前が催眠を潜ませた、共通のお友達が教えてくれたよ」
多少の嫌味を込めて遠回しに言う。
「この山で、術を掛けたのは一人だけ……そう、あの鬼の坊や」
口元に指を添え、一間。
何やら思案する素振り。
「ねぇ。あなた気付いてる? あの坊や――」
途端、落ちる影。
「なぁんか、雰囲気あるような会話してるけどぉ――」
「……邪魔な女」
「ディグワーム! また宙から……!」
再び虚空に出現した巨蟲。
その敵影は数十。先程よりさらに多い。
「お二人さんは、大人な関係~? どんな仲~?」
一瞬、その問いに。
ミヤコと視線が交差した気がした。
「「――殺し合う仲」」
女の問いに答えが一致すると、双方に殺気が満ちるのを互いに察知。
「……ふんっ」
一転して、吐き捨てるように鼻で笑い、張り詰めたものを弛緩。
ミヤコは近くにいた朱音の首根っこを掴み。
「み、美弥子さ――」
「邪魔よ」
朱音が抱える唯火とフユミちゃん諸共、無造作に放り投げた。
「助けに行ったら?」
「……」
ディグワームが高密度に降り注ぐ範囲から、脱するように投げ捨てられた三人。
遅れて、空から襲い来る蟲の牙をいなし、躱し、両断しながらその後を追い――
「朱音。大丈夫か?」
「ワルイガ……ごめん」
背を支え着地を補助する。
多分大丈夫だったとは思うが、美弥子の出現に戸惑いを隠せてはいなかった。
事前に可能性を知らせてはいたが……
「シャンとしろ。まだ修羅場だ」
「う、うん」
自分の手についた唯火の血を見て持ち直したようだ。
(それにしても、ミヤコ。どういうつもりだ?)
タイミングとしては突然。
けど、完全な想定外ではない。だがそれは存在そのものの有無程度の想定。
決して味方ではないミヤコが――
「今、あたしたち……助けられたんだよね?」
「……」
朱音たちを、救ったこの構図。
「手放しにそう判断するのは、早計だ。なにより、あいつの目的や行動に意識を割いてる場合じゃない」
「……そうよね」
再びミヤコへ目を向けると、ディグワームたちがその姿を覆い隠すように折り重なるところだった。
「――っ!」
「朱音。集中しろ」
数十の蟲の体に埋もれたミヤコ。
その光景は朱音に僅かな迷いをもたらすが、即座にその迷いを断ち切らせる。
「……そうそう死ぬような女じゃない。優先順位を割り切ってくれ」
「――まったくね」
ややくぐもった風に聞こえた声。
直後には、積み重なったディグワームは弾けるように肉片を散らす。
「この期に及んで、他人の心配なんて。子どもの駄々も行き過ぎると救いがないわ」
その言葉を聞いて、内心、舌打ちした。
狙ってか無自覚か。『美弥子』を慕う朱音の動揺を誘うような言葉選びに。
「あぁ、そうだ。死にかけの子のサイドバックの中。使いなさい」
「……? 唯火の?」
それを聞き、朱音が革製のサイドバックを探ると。
「これ、って?」
「――回復薬だ」
「回復薬? この調味料の小瓶みたいのに入ってるやつが?」
間違いない。俺は見覚えがある。これは、銀髪のエルフに俺が持たせた回復薬。
「どこかのおじいちゃんは、出来損ないって言ってたけど。理想が高すぎるのかしらね。体がつながってる外傷なら多分治せるんじゃない?」
遠回りはしたみたいだが、お望みの相手に渡ったみたいだ。
「ワルイガ! 2人分あるよ! これなら――」
「ああ。2つ使えば、唯火の傷もなんとかなる」
「え? あんたも一個づつ使えば……」
続く言葉をやんわり収める。
「唯火の状態を見るに、一つの効力じゃ足りない。わかるんだ。俺が作ったからな」
そんなこと、正確にわかるわけもない。
あるいは、職業の研鑽を積めば分かるるのかもしれないが。
(万に一つでも、後遺症の一つでも、唯火の体に残したくはない)
今できる最善の治癒策をもって、唯火を救う。
「それに、俺の傷は見た目より損傷は激しくないからな。問題ない」
池さんが打った業物の傷だ。
変な話、ずいぶんときれいにぶった切ってくれた。
「――わかった」
それからの朱音は早かった。
取り出した回復薬を割り、即座に唯火に使用。
「傷の治りを見届けてる余裕はない。行ってくれ」
「ええ」
最低限の処置だけを済ませて、唯火とフユミちゃんを抱え走り出す。
俺が残る理由も聞かず、行ってくれた。
「……呆れた強がりね」
「放っとけ」
「今からでもあの子たちと逃げてれば?」
「少し前から、俺の目的は獣人種を蟲から守ることに変わった。お前こそ、場をかき乱す気ならどこかに行ってくれよ」
「……はぁ。だったら、私の目的もこの場に留まる事になるもの。あなたの指図は受けない」
依然として、狙いは読めないが。
「邪魔する気は?」
「無いわよ。別に」
ひとまず、敵対の意図はないらしい。
だったら――
「だったら、今のうちに言っておく」
「は? まだ何か――」
「さっきは、助かった。ありがとう」
地中に湧いた気配に警戒しながら、横目にミヤコを見ると。
険の無い、呆けた顔のまま――
「――おい?」
「……」
「あれれ~? その感じ、もしかしてぇ~?」
この場にそぐわないほどの、大きな隙を晒していた。
「お、おい! 来るぞ! 下!」
地中から突き上げるディグワームの捕食行動。
一足先にその場を飛び退く。
が。
ミヤコは今だ茫然としたまま――
「何やってんだ、あいつ……!」
「ちょ。おもしろすぎぃ~」
地中から突き出たディグワームに、吞まれてしまった。
丸吞みが癖なわけでは、無いです




