176話 霧中の毒
結界内へと侵入すると、全身が霧に包まれるひんやりとした感覚。
どうやらエミルの『ブロウミスト』と違って、本来の霧としての特性も持ち合わせている様だ。
「……もう後戻りはできないってことか」
「結界を境にまるで別世界ね」
試しに振り返ると唯火達の姿は一切見えなくなっていた。
暗闇ではなく、まばゆさすら感じるこの視界、不明瞭な距離感。一人だけだったら心細さもあったかもしれない。
「ワ、ワルイガ……!いる、よね?」
「ああ、いるよ」
朱音もそんな考えがよぎったのか、先程の勢いとは裏腹にこちらに手を伸ばし裾を掴む。
一応互いに視認出来る距離にはいるわけだが……
「随分としおらしいな」
湿気を含んだあまりに濃い霧の結界は、全身にまとわりつくような不気味さがある。不安になるのも無理はない。
「う、うるさいっ!思ったより見えないからちょっとびっくりしただけ」
「まぁ確かにな。はぐれるとまずい、羽衣で互いの体を結んでおこう」
竜鱗の羽衣を操作し朱音の手首に結びつけると、霧の中を進んでゆく。
「……どうやら、結界の境目は特別霧が濃かったみたいだな」
「そうね。大分マシになってきた」
程なく進むと、数歩先も白んでいた霧が大分緩和されてきている。
「……ていうか、思ったんだけど」
視界が晴れて冷静さを取り戻した様に朱音は言う。
「マンティコアがこの結界から出られないってことは、あたしたちも出られないってことなんじゃ?」
「………」
「だ、黙らないでよ!」
「是が非でも、『ご意見番』に合わなくちゃな」
「下手したら一生出してもらえなかったり……」
「………」
「だから黙らないでってば!」
エミルは分かっててこのことを伝えなかったんだろうな。
まぁ、知ったところで結果は同じだったと思うが。
「そういえばさっき荷物に色々入れてたけど、何に使うの?」
「ん?ああ……視界もマシになってきたし、ちょうど頃合いか」
タイミングよく、そびえ立つ大樹の根元の立派な幹が視界に入る。
「……キノコ?」
「ああ。キノコだ」
そこから複数生えているのは見るからに毒をもったような見た目の、色鮮やかなキノコ。
「なにそれ。よく知らないけど、そんなの見たことないんだけど」
「俺もだ」
そんな会話をしつつキノコを選んで摘み取っていく。
「ちょ、何いきなりキノコ狩りしてんの!?それ絶対毒でしょ!?」
「朱音。さっきエミルの矢から毒を受けたって話しただろ?」
「え?ええ……」
「実はそれ、今メチャクチャしんどい。毒が回ってきたんだろうな」
「え!?大丈夫なの?何でそんな状態で―――」
話しながらも淡々とキノコを摘み、バックパックを下ろし、ザルとボウル。すり鉢、すりこぎ棒を出す。
「ま、まさか。その毒キノコ食べる気?」
「そんなところだ」
キノコを細かく裂いていくすり鉢へ放り込む。色とりどりのそれらをすりこぎ棒ですり潰し練り合わせる。
「え、どういうこと?や、やめた方がいいって!絶対体調悪くなるわよ!」
「まぁ見てろ。こいつを布巾で包んで、水を少し」
水分を含ませたら、同じく小麦粉を包んだ布巾をザルに広げ。こいつの中にこの絞った汁を投下。
「ぅっ!何この臭い……!」
「きついな」
朱音は思わず鼻をつまむ。俺は両手が塞がっているので無理だからしんどい。
「……よし。こんなもんか。抽出した液から、小麦粉で不純物を取り除いた液体をもう一度すり鉢へ、と」
そして、結界内に入る前に道中採取したよくわからん葉を混ぜすり潰す、と―――
「あっという間に、固まった?飴玉みたい」
「これで完成だ。あむっ」
迷いなくそれを口に放り込むと、がりがりとかみ砕きながら水で流し込む。
「……不味いな、これ」
「あ、当たり前でしょ!?そんなわけわかんない塊!」
「まぁ、でもこれで『毒消し』完了だ」
「……え?今ので?」
「マンティコアは尾にサソリの毒を持つらしいし、効くかわからないけど予備で作っておくか」
同じ工程を開始しようとすると。
「ちょっと!いい加減説明しなさいよ!なんでそれで毒が治ったの!?ていうかどこでそんなの憶えたの?」
「さっき、歩いている時毒の回りを自覚して解毒の方法を探り始めた時だな。【薬剤師】の職業を獲得した」
「えっ?」
【薬剤師】
【解毒薬調合LV.1】
【回復薬調合LV.1】
【状態異常耐性LV.1】
「そうしたら知らないような知識というか、既存の知識と合わさってみたこともない植物や材料、作業工程が頭に浮かんだ」
ついでに言うと、この見たこともないキノコたちも世界が変わってから出現したんだと思う。
今さっき作り出した即座に毒を打ち消す即効性成分を持つ植物。そんなとんでもキノコ、そうとしか思えない。
それでも正しい工程と【薬剤師】のスキルで加工しないといけないわけだが。
いずれにせよ、モンスターや異種族がいるんだ。未知の植物が生えてたところで驚きはしない。
ここに来るまでに結界の外でも同じキノコが生えているのを確認していたから、きっとこの結界内にもあると踏んでいた。この山はこれらの群生地なんだろう。
「はぁ……あんたのそのメチャクチャさは今に始まったことじゃないし、謎だけど……は・や・く・い・い・な・さ・い・よ!」
二の腕をぶすぶすと爪の先で刺しながら不服を申し立ててくる。
「悪い。エミルがいる手前あまり警戒はされたくなかったからな」
「まぁ……そうだけど」
朱音たちだけなら問題ないが、俺に敵意を向けるエミルに知られると余計な警戒心を与え妙な詮索をされかねない。
『里きっての腕利きの『鬼人族』に勝った『人間』が戦闘職でない【薬剤師】?』
そんな疑念だ。
だからこれは、仕方のない事。
(………悪いな)
自分に言い聞かせるように理由を並べ。朱音に、仲間たちに対する『偽り』。
その後ろめたさから目を背け。
自己満足の謝罪を心中で呟いた。
・・・・・
「とりあえずこのくらいか」
『解毒薬』は全部で5個作ることができた。
LV.1からLV.2に上がり数分でこしらえることができた。
「【薬剤師】って『回復薬』も作れるんじゃなかったっけ?作らなくて大丈夫なの?」
「作りたいところだけど、今のところ材料がな」
なかなか珍しいものらしい。
かつて『小鬼迷宮』で唯火が持っていた回復薬。あれは公園の皆の中にいた【薬剤師】の人に作ってもらったと言っていた。よく材料を調達できたものだ。
「そっか。確かにうちのメンバーも言ってた。素材集めが大変だ、って。あれば心強いけど仕方ないわね」
「ああ。今は解毒できただけで良しとするさ」
身体が帯びていた火照り、器官が締め付けられる息苦しさ、手足の虚脱感。全てがウソみたいに消し飛んだ。
エミルの矢に仕込まれてい毒が殺傷目的でなく、動きを封じる程度のものだったのもあり一瞬で打ち消せたようだ。液体の飲み薬より効果が現れるのが遅いとも思っていたが、もはやそんな民間療法的な知識はスキルの前には無意味なのだろう。
「いこう。『ご意見番』とやらを探しに」
健康な体に感謝しつつ再び霧の中歩を進める。
「「………」」
視界が悪い中の捜索、自然と互いに言葉少なになっていく。
もしこの霧も『ブロウミスト』の様にこちらの索敵能力を阻害する効果があったとしたら、マンティコアの襲撃に数手遅れをとるかもしれない。
必然、歩みは慎重になり、聴覚を最大限に強化する。
ダンジョンでの経験から俺はこういった状況に慣れはあるが朱音はそうはいかない。
「暑くもないのに、汗が出てくる、わね」
ただこの場に身を置くだけで心身共に消耗は必至。
お目当ての『ご意見番』がどこにいるのかも、この結界がどれほどの範囲を覆っているのかもわからないような状況の中、察知できない未知の敵。
いっそ、先の咆哮の主からさっさと仕掛けてくれないかと願いたくなる。
「そう気負うな。俺たちに敵が見えてないように、相手も俺たちが見えてない。五分五分。いや、竜を相手にしてた俺たちの方が度胸は上だ」
「度胸って何よ、度胸って」
幾分か緊張が和らいだようでうっすらと笑みを浮かべる。
「何度も死ぬ目に遭っただろ?」
「ふふっ、そうね――――」
街での戦いを思い出し吹き出すように笑う朱音。比喩でなく死ぬ目に何度かあったというのに大した豪胆だ。
更なる軽口でも口にしようかと思い振り返ると、
「……朱音?」
呆けたような表情と、困惑の表情が織り交ざったそれが張り付いたようになる。
「………ぁ」
「!?」
途端、膝から崩れ落ちそうになり俺へともたれかかってくる細い身体。
「朱音?朱音!?」
赤みを失った頬、青ざめた唇、やけに低い体温、それに反し吹き出す汗、震える体。
(これは……!?)
動揺。
目に映る情報が突き付ける彼女の体を蝕む現象の正体。
その危機に、心を揺さぶられ、自身の反応が遅れたことを自覚。
「ッ!」
震える体を抱えたまま、朱音が立っていた虚空に向かって剣を抜きざま斬りつける。
が、そこにはすでに斬撃対象は無く、その視界の先の霧に何かが引っ込んでいく影を確認できた。
「朱音!『解毒薬』だ!飲め!」
「ぁ……ぅ」
体が示している反応すべてが、何らかの『毒』による症状であることは明白。
そして毒の回りが異常に速い。
俺がもらったような生ぬるいものではない、恐らく致死性の―――
(まずい、一刻も速く解毒しないと……!)
だが既に丸薬を口から摂取できるような状態では………
「……朱音」
躊躇している暇などない。
丸薬を自らの歯に嚙み合わせ砕くと。
「―――ごめん!」
「ふ……!?ん……!?」
飲みやすくしたものを朱音の口に含ませ、すぐさまペットボトルの口を唇の隙間に押し込む。
「っは…ぁ?―――ワ、ワルイガ。い、今の……」
(効いてる、か?)
「い、今、キ―――ぁぐッ!?」
「朱音!!」
完全に毒を打ち消すことはできないらしい。毒の回りを多少後退させる程度のようだ。
「ぅうッ!あぁッ……!?」
苦悶の表情を浮かべる仲間を前に、逆に俺の思考は冴えてゆく。
「……まってろ朱音」
手のひらに収まる解毒薬。
毒の回りを後退させる効果を持つその数は残り4つ。おそらく時間にして10分あるかないか。
(必ず……必ず持っているはずだ)
最初に朱音を抱きかかえた手を見ると、鮮血がこびりついていた。
出血部は脇腹の背、内臓は避けている。傷自体は浅い。
(霧に消えた影、あれはサソリの尾)
間違いなく件のマンティコアだ。そして、そのサソリの毒の持ち主である異形の飼い主。
よほどの間抜けじゃなければ持っているはずだ。
(そいつを探し出す。朱音の体に毒が回りきる前に……!)
数秒と至らず至った判断。冷静に状況を把握する反面。
目の前で、仲間の死の予感が、ゆっくりとだけど明確に確実に迫りつつあるこの状況。
こればっかりは何度経験を重ねても慣れやしない。しかも今は先行きがかなり不明瞭。敵を倒せばいいという話でもない。
そのわずかな揺らぎを察したかのように、
「!」
「ご、めん……!おねが、い……ね……!」
自らの血濡れた手を握り、言葉も絶え絶えに俺へと託す声。
そのゆがんだ笑顔、感じる強い信頼に、
「任せろ」
全てを預かる決意の言葉で答えた。




