96.ルーベンスさんとペン
インクの匂いと紙を捲る音、カリカリと羽ペンを動かす音。他の音といえば私がお茶を飲む時にたてるか、外から聞こえてくる鳥の囀ずりくらいか。
と、リンゴーンと1時間が経過した事を報せる鐘の音が聞こえてくる。
「……今日は随分と静かではないかね」
「いやぁ、ルーベンスさんの仕事の邪魔にならないようにと思いまして」
ヘラリと笑えば、ルーベンスさんは書類の束から顔を上げずにふんっと小さく鼻を鳴らした。
昨日のトモコ激怒事件でグレさんと接近禁止命令が出た為、今日は私だけ服屋をお休みする運びとなった。なので暇になった私は、午前中からこうしてルーベンスさんの執務室に遊びに来たわけなのだ。しかし、ルーベンスさんは大量の書類を処理している最中で結局こうして一人、隅でお茶を飲んでいるのである。
いつもお昼時か15時頃に来るのでここまで仕事に追われているルーベンスさんを見るのは初めてだった。
「……羽ペンって書きづらくないです?」
さっきから書き物をする度にカリカリと何かを削っているような音が耳につく。
高級そうなインク壺と、立派な羽ペンは見た感じ格好良いが、こまめにインクをつけながらカリカリするのは面倒そうだしその分時間のロスにもなるだろう。
「何かを紙に書く為にはペンは必要だろう。書きやすいかどうかではなく、ペンとはこういうものだ」
この世界にはボールペンやシャーペン、鉛筆すら無いんだね。
「あ、じゃあこれ使ってみます?」
今適当に創造したのでシンプルなデザインになったが、サンプルって事で許してもらおう。
「何だね、これは」
「これはですねぇ……インクにつけなくても書く事が出来るペン。その名も“万年筆”です!!」
ルーベンスさんにボールペンやシャーペンは似合わない!! やっぱり激渋で気品溢れるおじ様には万年筆だろう。と手渡せば、眉間にシワを寄せたままじっくりと眺め、蓋を開ける。
「インクにつける必要が無いと言ったな」
「はい。そのまま紙に書いてみて下さい」
ルーベンスさんは訝しげにしながらも私の言った通り、メモ用紙に文字を書き始めた。この世界の文字はアルファベットに似ている。ルーベンスさんの崩れたような筆記体で書かれたそれはなんだかとても格好良く見える。
「これは……っ」
ルーベンスさんの瞳が驚きの色に変わり、何度も試し書きしている様子は子供のように見え可愛らしい。
「素晴らしい!」
珍しく喜色を浮かべそう声に出すと、今度は万年筆の構造について考え出したようで、「ここにインクが入っているのか」、「このペン先が……」などとブツブツ言い出したではないか。
「ルーベンスさん。それ適当に創ったサンプルなので、「サンプルでも良い! ミヤビ殿、これを譲ってはもらえないか。かわりに君の好きな茶葉を渡そう」」
すごい食いついてきた。
「良いですけど、もう少しデザイン考えさせてもらえたらもっと格好良い万年筆お渡ししますよ」
「ふむ……ならば私がここにある書類を片付ける間に考えてくれたまえ。それまではこのサンプルを貸してもらいたい」
「わかりました。あ、茶葉はルーベンスさんが一番美味しいと思うものを下さいね!」
「勿論だ。君の知らないとっておきの茶葉を用意しよう」
よし!! 茶葉の為に格好良い万年筆をデザインするぞ!!
スケッチブックとシャーペンを取り出しさっそくデザイン案を描き出した所で、「待ちたまえ」とストップが入った。
「何ですか?」
「ミヤビ殿……君の持っている、この“マンネンヒツ”とはまた違うように見えるペンらしき物はなんなのかね?」
「あ、これもれっきとしたペンで、万年筆とは違って書いた文字をこの消しゴムを使って消せるタイプのペンなんですよ」
「…………」
何だろうか。シャーペンと消しゴムを睨み付けてる。
「……最近、隣国から珍しい果物が手に入ったのだが」
「あ、これも要りますか?」
「うむ。果物は明日にでも第3師団長に渡しておこう」
やった! 珍しい果物って何だろう!! ロードに頼んだら美味しく加工してくれるよね!! シャーペンごときで高級果物ゲットしたぜ!!
そんなわけで午前中は万年筆とシャーペン、消しゴムの創造に費やす事となった。
万年筆とシャーペンのデザインはスムーズに出来たけど、消しゴムのデザインに悩まされた。格好良い消しゴムって何だよ。
「素晴らしい出来栄えだ」
そうだろう。万年筆は胴軸部分を高級なレッドウッド。金具はゴールド。ペン先にルーベンスさん家の家紋を入れている。勿論インクはきれる事がないよう自動補充の魔法をかけてある。シャーペンは胴軸上部を天然石である琥珀。しかもブルーアンバーを使用し、下部を艶のあるブラックで金具部分は万年筆と同じゴールドという豪華仕様。こちらにも胴軸のブラック部分に家紋を入れてある。シャー芯はサービスで付けておいたが、多分ルーベンスさんの事だからシャーペンはそこまで仕様頻度は高くないだろう。そして消しゴム。円盤型の消しゴムの中心に艶のあるプラチナゴールドの金具を嵌め込み、そこへ家紋を堀り込むことで高級感を出した。後は入れ物をレザーで作るなどして誤魔化した。
良い仕事したぜ!! と汗を拭い、商人の如くルーベンスさんへ商品を納める。そして交換に激うま茶葉を頂くのだ。
「君はごく稀に良い仕事をするな」
ごく稀ってどういう事だ。
「インクをつける時間が短縮され、書きやすさが増しただけでここまで書類仕事にかける時間が短縮されるとはな。これは単純な作りのようだし、素材さえ変えれば量産できるかもしれん……」
万年筆のサンプルの方をじっくり眺めながら思案すると、ルーベンスさんは「ミヤビ殿」と私の名前を呼ぶ。
「もし我々人間の技術でこちらと同様の物を作る事が出来るなら、この“マンネンヒツ”という新たなペンを広めても良いだろうか」
「ルーベンスさんが問題ないと思われるのであれば構わないんじゃないですか? あ、でもインク壺も格好良いと思うので、どうせならガラスペンも作ってもらえれば嬉しいです」
とガラスペンも創って渡せば、驚かれたものの頷いてもらえた。
やっぱり格好良いものは後世に残さないとね。




