第八話 風呂か朝食の二者択一で困っている
「えぇっ?」
受話器の先で驚きの声を挙げたのは鶴川だった。
次の日の早朝、学校に向かう前に鶴川古書店にテアを連れていき、彼に預けようと思ったのだ。家に一人にさせると何が起こるかわからないし、かといって高校につれていけば余計な騒ぎを引き起こす。というわけで、預ける前に鶴川に相談しようと電話を掛けていたのであった。
俺はてっきり快く受け入れてくれるかと思っていたが、そんな予想を裏切るように彼は唸りながら悩んでいた。
「頼みますよ、高校にケモミミ少女を連れ込んだとなったらどんな噂が立つか」
「あぁ、それはそれで面白そうだね」
「真面目に聞いてください!」
受話器に怒鳴る俺をテアは目をこすりながら眠そうな顔で見つめていた。彼女は俺が雑魚寝に沈んだ後、いつの間にか隣で腕を掴みながら寝ていたのであった。今も右腕に彼女の温もりが残っている。無防備というか、なんというか。だからこそ、一人で置いていきたくないというのが正直なところだった。
鶴川は「まあ」と前置きして、言葉を続けた。
「僕たちも面倒を見たいところだけど、言葉が通じないとなるとねえ」
「それはこっちも同じですよ。頑張ってジェスチャーとかでどうにかして下さい」
「頑張りたくないよー」
「鶴川さん……」
もう交渉出来ないだろうと思って、切り上げようと思った。これ以上やってると、鶴川の暢気さにイラつきそうだった。
「わかりました、無理そうだったら別に良いですよ」
「ごめんねー、役に立てなくてー」
「いやいや、こちらこそいきなり変な相談してすみませんでした」
「そうだ、お詫びに今度一冊本あげるよ」
「ありがとうございます、じゃあまた週末」
「うん、またねー」
がちゃり。受話器を置くと、現実が痛いほどに迫ってきた。テアを一人には出来ない、しかし人には預けられない=高校に連れていくしか無い。
「はあ……」
ため息をつく俺をテアは可愛らしくあくびをしながら、観察し続けていた。
* * *
――同時刻、鶴川古書店
受話器を置いた鶴川は、額に汗を滲ませながら前を向いた。鶴川古書店の中には、サングラスを掛けたガラの悪そうな黒服が数人うろついていた。黒服の一人が鶴川が電話を終えたのに気づいて、彼に近づく。
「誰からの電話だ?」
「お、お客さんからですよ」
「適当なことをいうな、客に対する態度じゃなかっただろうが」
「古くから良くしてくれるお客さんなんですよお」
「ふん」
黒服は鼻で答えながら、鶴川から視線をそらした。
店内の様子は散々だった。本棚から本が落ち、床には書類が散乱している。鶴川はそれを黙って見守ることしか出来なかった。
「リーさん、やっぱ痕跡見つかんねえよ」
「こっちも駄目です」
「そうか」
黒服達は何かを探しているようだったが、目当てのものが見つからない様子だった。リーと呼ばれた黒服はサングラスを外して胸ポケットに差し込んだ。そして、鶴川の座るデスクに近づき、彼を睨みつける。
「今回は見逃してやるが、大義派に関わっていることが知れたらどうなるか分かっているだろうな」
「だから、うちは関係ないって言ってるでしょうが……!」
「なんとでも言え、近いうちに決着はつくからな」
リーは他の黒服達に撤収の合図を出した。それを見た男達はそそくさと店の中から撤収していく。台風一過のような様子の店内は一気に静かになってしまった。緊張が緩んだ鶴川はなだれ落ちるように椅子の上で力を抜いた。
「はあ、黒龍集団なんかに関わるんじゃなかった」
* * *
学校に向かう前に、まだ一つ問題が残っていた。それは昨日は疲れて風呂に入れなかったということだが、テアもまた風呂に一日入っていないということになる。俺は良いとして、彼女には風呂に入ってもらいたいものだが言葉が通じない状況でどうやって伝えれば良いのだろうか。
鶴川との電話が終わった後、急ぎながらシャワーを浴びて、それについて考えていたが答えは出なかった。制服に着替えて脱衣所から出ると、テアはおとなしくその場に座って待っていた。そういえば朝食もまだだった。平日の朝は何も食べないで家を出ることが多いから、完全に忘れていた。
「リフルルワマル?」
テアのことをじっと見つめていると、彼女はそう問いかけてきた。一日経ってもまだ良く分からない言語を喋っている。実はあれは夢で、本当は日本語を喋っていたりしたらどれだけ良かったことか。理解の糸口が掴めたと言っても、当然まだ良くわからない言葉のほうが多いのだ。故郷に返すまでの生活で不自由のないように出来るだけ多くの言葉を覚えたいものだ。
だが、今は言語学者気取りをやっている場合ではない。これ以上時間を掛けると、高校に遅刻してしまう。ただでさえ、騒ぎになりかねない要因を連れていくというのにこれ以上注目を集めるようなことをしたくはない。
「テア、選べるのは風呂か朝食かだ。どっちにする……?」
問いかけてもテアは首を傾げ、ケモミミを振れるだけで答えようとはしなかった。うむ、どうやら俺が決めなければいけないらしい。




