第五話 わけがわからないことに巻き込まれて困っている
取り敢えず聞き耳を立ててみよう。店長もいることだし、ちょっとしたことであれば俺の出る幕はない。そう思っていたのだが、やけに静かなのが気になる。悲鳴が聞こえれば、のんびり屋の鶴川もバタバタ動き出すものだろう。だが、そういった雰囲気が全くない。
聞き耳を立てても、店の方は相変わらず不気味な静寂のままだった。
「なんなんだ……?」
こうなってくると、どうにも気になってくる。鶴川にはテアのそばに居てやれと言われたが、気になるものはしょうがない。一体何があったのか、本棚の並ぶ店の方に戻ったところ、衝撃的な状況が目に入った。
「橋本さんっ!」
七海が地面に倒れていた。すぐに近寄って容態を確認する。呼吸はしていた。どうやら気を失っているだけらしい。鶴川は何をしているのか? そう思って彼がいつも座っているカウンターに目をやると彼も机に突っ伏して気を失っていた。
「お前が東雲遊か」
冷えた剣のような声が聞こえた。その声には幾らか外国人のような訛りがあったが、ほぼ完璧で透き通っていた。
声の方に目をやるとそこには男が一人立っていた。白髪でその瞳はターコイズのような水色、その鋭い視線には体を貫くような感覚を覚える。鼻は外国人らしく高く、鼻筋は綺麗な線を描いている。黒のジャケット越しからでもわかるガタイの良さは威圧感を感じさせる。
そしてなんといっても危機感を感じさせたのは、彼の片手には拳銃が握られていたことだった。
「……ッ!」
とっさに立ち上がり、鶴川のデスクまで下がってそこにあった錐を取り上げた。尖った錐の先を男に向ける。あとから思ってみれば拳銃に対しては無駄な抵抗だった。
「二人に何をした……!」
「落ち着け、殺しちゃいない。眠ってもらっただけだ」
「なんで俺の名前を知っているんだ?」
「依頼主から聞いたからな」
「依頼主……? まさか、母さんの送ってきた探偵か?」
訝しむ俺の言葉を聞いた男は吹き出しながら、首を振った。
「探偵なんかだったら良かったんだがな。お生憎様そういうんじゃない」
「じゃあ何なんだよ!」
「落ち着け、テアが起きるだろう?」
驚いた。一体この男は何故テアのことまで知っているのだろうか。しかも、二人を短時間で無力化し、拳銃を携帯している。只者ではないのは間違いなかった。
「誰なんだ、おっさん」
「俺はジャン・ギブソン、アメリカ合衆国国土安全保障省の人間だ。任務でお前に接触している」
「何がなんだかわかんねえけと、俺のことなら煮るなり焼くなり勝手にしろ。だが、テアや周りの人には手を出すな!」
剣幕で怒鳴る俺に対して、ギブソンと名乗った男は全く動じなかった。この調子だと壁とでも話してるような感覚になる。
「何か勘違いをしてるようだが、俺は別にお前達を傷つけようとは思ってない」
「じゃあ何で……」
「テアが元気かどうか、東雲遊とちゃんと交流しているか、変な組織などに入っていないか。それにしか我々は関心が無い」
「は?」
いきなり話のレベルが日常にまで下がったことに驚きを感じた。ギブソンは一つため息をつくと、俺の背後に視線をやる。
そこにはテアが立っていた。俺達が話している間に目を覚ましたらしい。
「どうやら元気でやっているようだな」
テアは周りで七海や店主が倒れているのを見ても動揺を見せなかった。他の人と会ったときと同じように、じっと目の前のギブソンを静かに観察していた。その様子から彼らの間には面識がないことを悟った。
「リフミウ?」
「相変わらず言っていることは分からんな。まあ、元気ならそれでいい」
ギブソンは彼女を一瞥すると、店から出ていこうとする。
「待て!」
「二人は即効睡眠薬で眠らせた。あと数分すれば、目を覚ますことだろう」
「アメリカとテアに何の関係があるんだ教えてくれ!」
ギブソンは俺に背を向けたまま、その場を去ろうとする。テアの存在を知れるチャンスをみすみす逃したくはなかった。
俺はギブソンの左腕を掴もうと手を伸ばしたが、瞬時に避けられ逆にこちらの腕を捕まれてしまった。関節を変な方向に曲げられて、不格好な声を出してしまう。ギブソンがこちらに向ける目は依然冷やかなものだった。
「大人に手を出すのは止めておいたほうが良い」
「俺は知りたいんだ! なんで、俺の元にテアが送られてきたのか、テアは一体何者なのかを知りたいだけなんだ!」
「任務は機密指定になっている。残念だが、お前に教える情報はこれ以上は無い」
そこまでいって、ギブソンは俺の腕から手を離した。そして、「しかし」と前置きして後を続ける。
「将来の選択に備えて、テアに肩入れしすぎるべきじゃないだろう。後悔するぞ」
「何を……」
「伝えるべきことは伝えた。ここらへんで俺はおいとまさせてもらう」
ギブソンは今度こそ背を向けて、店を出ていく。その背を俺はただ見送ることしか出来なかった。
テアは彼が去ったのを見送るとすぐに店の中に戻っていった。七海のそばに座り込んで、彼女の容態を確認していた。




