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第三話 家が燃やし尽くされかねないので困っている

 勇気が問題を解決する時がある。他人がどう思っているかは一度横において、思い切ってはっきり伝えてみることは失敗したとしても無意味ではない。

 だからこそ、お互いの名前を知ることでとりあえず呼び合えるようにしておこうと思っていたのだが、実にご丁寧なご挨拶のせいで結局分からなくなってしまっていた。圧倒されたまま二の足を踏む俺を前にして、彼女はバツが悪そうな雰囲気で口を閉ざしてしまっていた。

 もう当てずっぽうで言ってみるしか無いのではないか? そう思い、俺は彼女を指差して言った。


「君の名前はユヤンだな?」

「……ユヤル? ワルユヤン……」

「ううむ……」


 「ユヤン」と訊いたのに対して「ユヤル」と返しているあたり、この単語は名前じゃないのかもしれない。更にごり押しで確認してみるか。

 俺を指差して「遊」、少女を指差して「ユヤル?」と言うのを繰り返してみる。彼女は最初はまた怪訝そうにこちらを観察していたが、ややあって意図を読み取って自分に人差し指が向いた時に呟いた。


「あっ……アス、エンテア」

「テア?」

「ヤバト、テア」

「テアって言うんだな」


 ケモミミ少女は俺の問にこくこくと頷く。どうやら否定する時は「アス」、肯定する時は「ヤバト」と言うらしい。これでお互いの名前が呼べて安心、と思っていたが問題は何も解決していなかった。

 母よ、ケモミミ少女を送って一体どうしろというのだ。生活費はまあ大丈夫だとして、彼女をずっと家の中に閉じ込めるわけにもいかない。というか、元居たところに戻してあげたほうが生活しやすいに決まっている。そうだ、当面は彼女を故郷に戻してあげることを目標にしよう。


「ただ、帰りたがっている様子でもないんだよな……」


 誰に言うでもなく呟いた瞬間に、机の上に放置されていたスマホがバイブレーションと共に着信音を鳴ら始めた。画面に現れた発信者は「橋本七海」、それで全てを察した。

 スマホを乱暴に取り上げて、タップする。彼女はバイト先の先輩だった。


「は、橋本さん、すみま――」

「東雲君、あと30秒以内にこっちに来なかったら、北○の拳のモヒカンが持ってるアレで家を焼き尽くしますよ?」

「ヒエッ」


 声色は穏やかで、話し方もお淑やか。それが彼女の特徴なのだが、一々言葉のスケールがデカいのが玉に傷だった。黙っていれば、なんとやらという類の人間だ。彼女が怒っているときはその威圧感だけで胃が痛くなる。

 七海はため息を付いた。電話先の怒気が少し和らいだような気がする。


「冗談ですよ。東雲君が時間通りに来ないのは珍しいことでしたので少し気分が昂ぶってしまって……」

「は、はあ……」

「何か事情でも?」

「ま、まあ、そんなそんな感じなんですけど」


 目の前のケモミミ少女――もとい、テアに目をやる。彼女は俺がスマホに耳を当てて、話しているのを不思議そうに観察していた。


「あの、そっちに一人連れて行っても良いですか? ちょっと面倒見ないといけない状況で……」

「別に構いませんけど、東雲君は一人暮らしでしたよね? 親族の方でしょうか?」

「いや、親族っていうか、女の子が航空便で送られてきて」

「……はい?」


 七海の声色は怪訝そうだった。そりゃそういう反応にもなるだろう。俺もそうだった。でも、誰かが言ったようにじきに慣れるのかもしれない。


「良く分かりませんけど、とにかく来るならあと30秒以内に来てくださいね」

「冗談じゃなかったの!?」

「いえ、これは比喩です。店長が心配していたので」

「は、はあ……」


 二回も同じ反応をしてしまった。やはりこの人の表現は良く分からない。

 適当に挨拶をして電話を切る。その間もずっとテアはこちらを静かに観察していた。彼女の国に電話は無いのだろうか? そう思うくらいには興味深そうにじっと見られていた気がする。

 次の問題はどうやってこの()を外に連れ出すかだ。ケモミミを露出した状態で外出するのは危険すぎる。人の目が刺さるだけではなく、物好きの人だかりが出来て七海に家を燃やし尽くされかねない。それなら、こちらにもアイデアがある。

 クローゼットから外出用のフード付きのパーカーを一着取り出す。これならケモミミを隠すことが出来るだろう。


「テア」


 呼びかけると、ベージュ色の獣耳がぴくりと反応する。


「これから外に出るから、こいつを着てくれないか」

「ウェンレンイルイミハニス?」

「ああ、というかヤパト……だっけか? とにかく早くしてくれ」


 言っていることはよく分からなかったが、パーカーを手渡すと彼女は受け取ってくれた。俺はバイトで着るエプロンとスマホ、財布をトートバッグに突っ込んで玄関に向かおうとする。そして、戸を開け、出かけようとした時、テアがついて来ていないことに気づいた。

 彼女はパーカーに首を通そうとして、前が見えない状態で手をわたわたさせていた。後頭部に来るべきフードが顔に被さり、手元は袖が長いせいで手が出ないらしい。チャックを下げようにも背後にあるため、手が届かないという八方塞がりの状況。思わず、笑ってしまった。

 ややあって、テアはパーカーを脱ぐのを諦めてその場に座り込んでしまった。


「しょうがないなあ、全く……」


 履いた靴を脱いで、彼女のもとに近づく。背後のチャックに触れると、驚いたのかびくっと彼女の体が震える。開いて、腕を袖から抜いて、正しい向きでパーカーを背中に被せ直してやった。

 テアは安心したのか息をついて、ほっとした様子だった。


「こいつはこう着るんだよ」

「あ……アヴィラン……」

「ありがとうってことか? ん、まあ、良いや、行くぞ」


 そういって、玄関に向かう俺をテアは静かに棒立ちで観察している。この様子だとついて来てくれるかどうかも不安だ。

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