第二十三話 図書館で愛でられるので困っている
静寂な空間だった。
背の丈を遥かに超えるような本棚が俺達を挟んで、幾つもの本がそこから背表紙を覗かせていた。そう、ここは隣町の図書館だ。蔵書数はこの地域の中ではとんでもない量であり、建物自体も大きい。調べ物をするなら最適な場所だ。ここまで来たのは黒龍集団についての情報を集めるためだった。ちなみに、柳は玄関の前から消えていた。これで奴も改心してくれると良いが、この程度で改心するくらいならあんなヤツにはなっていないだろう。望み薄だ。
隣にはパジャマから着替えたテアも居る。今日の服装は緑色のクラシックなワンピースで、腰のあたりを深緑のリボンで結んでいた。ケモミミを隠すために頭の上には麦わら帽子が乗っていた。ベージュの髪色も相まって落ち着いた印象を受ける。
本棚の間を進んでいく。目指しているのは新聞のスペースだ。最近のニュースに興味のない俺は新聞を取っていない。図書館では一週間分の新聞を取り置いているため、参考になると思ったのだった。
テアはというと本棚に並ぶ数々の本を物珍しげに眺めながら、俺の後をトテトテ付いてきていた。
「キヤウ ヤバト……」
「そんなに本が珍しいのか?」
「ホヌ?」
テアは首を傾げて問う。
俺は立ち止まって本棚から適当な本を取り出して指差した。少しくらい日本語を教えてやってもいいだろう。
「レンイル 本」
「あ、イル アシュン! 本 ア キィ ヤバト イフ?」
「えっと……」
確か「ヤバト」は動詞かもしれないという話が出ていたはずだ。この状況で考えると、「本 ア キィ ヤバト」は「本はア キィである」のような意味だと考えられる。「ヤバ」は恐らく「~である」という意味なのかもしれない。動詞に付く「ト」が自分か相手以外の人間を指す語尾ならば、いままで「はい」の意味で取っていた「ヤバト」は「そうです」くらいの意味だったのかもしれない。
言葉が分かって、また一歩前進した気持ちになる。それとともにテアも日本語を覚えようと健気に頑張っているのだと感じた。
「ヤバト、本 ア キィ ヤバト」
「ウヴル ラシュン アシュン、アヴィラン」
にこっとテアが微笑むと、あたりがぱっと明るくなった気がした。本棚の間で人目につかないことを確認してから、抱きしめて、頭を撫でてやるとテアは顔を赤くしながらも嬉しそうな表情をする。
「テアは偉いな、本当に可愛くて健気でたまらないよ」
「ゆ、ユウ……」
「恥ずかしがってるところも可愛いなあ……」
しばらく周りのことを忘れて抱きしめていると、視線に気づいた。本棚の端から入ってきたのはノートパソコンを片手にしたグロッキーな大学生様の男だった。ギンガムチェックのシャツと灰色のダボパンという中途半端にファッショナブルな格好はその不眠の末に30回くらい講義室の机に顔を打ち付けてそうな顔色とは全くマッチしていなかった。
彼の眼差しは非常に抒情的だった。その視線を受けるだけで「まったく、こちとら大学デビューに失敗して彼女なんか出来た試しもねえし、期末でほぼ不眠で資料集めとレポート書きをやっているというのに図書館でイチャイチャデートしやがって、高校生のガキが……舐めてると潰すぞ……」という怨嗟の念が伝わってくるようだった。さすがに可哀想だったので、こほんと一つ咳払いをしてからテアから離れた。
そう、今回の本題はテアを愛でることではない。黒龍集団の情報を探ることだ。
今度こそ俺達は新聞コーナーに直線的に向かっていった。すると、見覚えのある人物が書見台に新聞を広げていた。
「やあ、ひがし・うん・ゆう。哀れな大学生に惚気た態度を見せつけるなんて人道に反するのがよっぽど好きなようだな。マルキ・ド・サドでも読んだか」
けろっとした態度でこちらに振り向いたのは柳だった。
「何言ってんのかさっぱり分かんねえけど……なんでお前がここに居るんだ」
「公立図書館の利用は市民の権利の一つだからだ」
「お前、そういうとこだぞ」
人差し指で柳を指しながら、指弾する。テアはまたこの人か、という表情で柳のことを俺の背後から観察していた。
そんな調子の柳は俺の言葉を無視し、新聞の文字に指を当てて、何やらぶつぶつと呟き始めた。
「何やってるんだ?」
「記事の文字を数えている。全ての文字数を記事の数で割ることでな……」
柳の表情はとても真剣なものであった。それは計算を行うことにより、世界の神秘を解き明かしてきた数々の歴史上の人物にも匹敵するような真剣な表情。そんなものが目の前にあることに俺は震え上がった。
ごくりと生唾を飲み込み、俺は目の前の柳に問うた。
「それで……何が分かるんだ……?」
「あ? 分かる? 何も?」
「は」
「楽しいからやってるだけだが?」
ずっこけそうになった。さっきの真剣な表情は何処に行ったのだ。いや、そもそもそんなことして楽しいのか? そんなことをするために図書館に来ているのか? つくづく変人の考えることは分からない。
俺は大きくため息をついた。
「それで、君は何をしに図書館に来たのだ?」
「それは……」
事実を言おうか迷った。ここで帰っても不自然なだけだ。柳は答えが得られるまで追求してくるだろう。一体どのように答えたものだろうか。




