第二十一話 人を表す語尾だったので困っている
「そうか、人によって語尾を変えるのか……」
ふと思いついた気付きにテアはフレンチトーストを食みながら、首を傾げる。
今まで動詞の語末に「ン」が多かったのはそれが自分を表すときに付く語尾だったからだ。だから、「ユラン」は多分「ユラ」と「ン」に分けられて、それぞれ前者が「~を好む」、後者が「私は~」という意味だったのだろう。そうなると、俺を指して言った「ユラル」の「ル」は「あなたは~」を表す語尾になるのだろう。そうなってくると唯一の例外となっていた「イミハト」の「ト」は「自分」か「相手」以外の誰かを指す要素だということが分かってくる。
「ん、待てよ……?」
以前、肯定を表す「ヤバト」に動詞を否定する「アス」が付いてたのに違和感を覚えていたが、この「ヤバト」は「イミハト」と同じように「ト」で終わっているから動詞なんじゃないだろうか?
そんなふうに思索を続けていると、テアがフォークに指したフレンチトーストをこちらに差し向けてくる。
「ティラル イフ?」
「えっと……」
テアはオリーブグリーンの瞳を瞬かせて、返答を待っていた。
さっきの考察に沿うと、「ティラン」が「私は~が欲しい」なら「ティラル」は「あなたは~が欲しい」ということになる。つまり、「(フレンチトーストを)欲しい?」と訊いていることになる。
俺は手をワタワタさせて否定した。どうやら、考え込んでいたときにテアをじっと見つめてしまっていたようだ。
「いやいや、要らないって、それはテアのだから……アスだよ」
「あーぃと」
それでもテアは優しい表情でフォークを向けてきた。ケモミミがへなっとしているあたり、安心してくれているらしい。それはそれで嬉しかったのだが、フレンチトーストとテア自身の甘い香りと状況の甘さが相まって何も考えられなくなりそうだった。
「ああ、もうしょうがないな……んっ」
フォークから奪い去るようにフレンチトーストを食む。これが二人の中で2回目の「あーん」というやつだった。慣れたと思っていたが、顔が火照っているような気もする。
照れ隠しなため息を付きながら、自分の皿のスイーツトマトを口に運んだところで、ピンポーンと玄関先のチャイムが鳴った。いきなり鳴った音にテアはケモミミをピンと立てて驚いた表情になる。俺はテアに動くなとジェスチャーで指示してから、玄関へと向かった。
ドアアイを覗く前に誰だろうと身構えた。ギブソンや七海かもしれないが、黒龍集団や政府機関の連中だとすれば面倒だった。閑静な住宅街でマフィアの抗争のような戦闘をすれば、ここにはもう住めなくなる。
緊張しながら、覗き込むとそこには見知った制服の同級生が立っていた。
「柳じゃないか」
珍しい来客に俺はドアを開けた。
柳 翔平は俺のクラスメイトだ。変人っぽい三白眼でなで肩、やる気の無さが服を通り越して香ってくるような人物で、おかげで自然に周りに人が寄らなくなっていた。柳自身はそれに何の感情も抱いてないらしかったが、いつしか俺のことを気に入ったのか何かと関わってくるようになった。友人とは少し違う、数少ない知り合いの一人だ。
「やあ、ひがし・うん・ゆう君。ワタシが来た理由は分かるか」
「さあな。ていうか俺は、ひがし・うん・ゆうじゃなく東雲 遊だって何回も言ってるだろ」
「そうだったか」と言って、柳は襟首をカリカリと掻いた。
柳はいつもこんな調子だった。人の名前は間違える。授業で指されると、とんでもないことを口走る。委員会では毎度奇妙な案を提案しては無視されているらしい。そんな彼は何をされても、変人であることをやめる様子はなかった。
柳はボストンバッグのなかを漁ると、茶封筒を取り出して俺に渡してきた。
「高校に来ないから、ワタシがわざわざこれを届けねばならなくなったんだぞ」
「そりゃすまなかったな。用が済んだら帰って良いぞ」
「おい、世間話くらいしていけよ。ワタシはここに来る道中、退屈でアン・ディー・フロイデを歌ってたんだぞ」
「知らねえよ」
柳は腕を組んで、陽気な行進曲のような歌を歌いだす。
「フロイデ! シェーナー ゲッターフンケン! トホター アウス エリージウ――」
「おい」
「なんだ、知らないというから歌ってやったのだが」
「はあ……」
彼の調子に巻き込まれるといつもこんな風に疲れてしまう。もっとも彼を追い返そうとしていたのはもっと本質的な面倒を避けるためだったが、その努力は完全に無と化したのであった。
俺の腰からケモミミが覗いた。背に隠れて、柳のことを観察していたのはテアだ。そして、柳とテアの目があって、
「これはどういう風の吹き回しか、ひがし・うん・ゆう」
「呼び捨てになったな。俺達、いつからそういう仲になったんだっけなぁ?」
「1.15フレーム以内に答えねば、神曲地獄篇みたいにするぞ」
「よく分からんが、とりあえず中に入ってくれ……」
俺は深い溜め息を付きながら、訳のわからないことを言って抵抗する柳を家の中に引っ張り込んだ。




