第二十話 言語解読が進むので困っている
急いで、救急箱を探し出して消毒液を取り出す。俺はテアの手を取って、血を拭き取り消毒液を染み込ませたコットンで消毒する。テアは少し顔をしかめた。
「ごめんな、ちょっと痛むかもしれないけど動かないでくれ」
異世界にも消毒液はあるのか、それとも良薬口に苦しを地で行く世界だったのかは知らないがテアは動かずに静かにしていた。やはり、手を握られるのは恥ずかしいようで顔を赤らめている。俺まで恥ずかしくなってくるので、彼女の顔から目を逸らした。
「絆創膏を貼って終わりだ」
「あ、アヴィラン……」
絆創膏を貼った指をさすりながらテアは呟く。今になって思ったが、彼女が治癒の魔法を持っているのであれば治療する必要は無かったのではないだろうか。しかし、彼女が李に囚われたときにすぐに魔法を使わなかったのには何か理由があるのかもしれない。魔法を使うのに何かを消費したりするせいで、何でもかんでも魔法を使えるというわけではないのかもしれない。
テアは冷静に落ちたスライサーに視線を向けていた。
「ウシュラトウィフフィラス?」
「まだ、スライサーに興味があるのか?」
指をさすりながらもテアは興味深そうに目を向けていた。彼女のいた世界にはこれくらいの道具も無かったのだろうか?
言葉が通じない以上、使い方は実際に見せるのが手っ取り早いだろう。俺は落ちているスライサーを拾い上げて水でゆすいだ後、冷蔵庫の中から残っていたきゅうりを取り出した。テアはきゅうりに目を引かれて、匂いを嗅ぐように鼻を近づけた。そして、青臭さにまた顔をしかめて顔を引っ込めた。
「アス フォト!」
ぶんぶんと首を振る。ケモミミも少し遅れてぴょこぴょこと振れた。なんと言ったのか分からないが、テアの世界にはきゅうりは無いのは確かだろう。
さて、きゅうりをスライサーに当てて前後すると思ったとおりに薄切りになって受け皿に落ちていく。テアはその様子を見て、瞳に光を湛えた。
「アス シュラウダン!」
「テアもやってみるか?」
きゅうりを渡そうとするが、テアは身を引いた。きゅうりはどうも苦手になってしまったらしい。ただ、スライサーが便利な道具であることを知って、輝いた目でそれを見続けていた。
本当にテアの世界に無いのか。知っている単語を使って訊いてみるか。
「レンイル アス ヤバト イフ?」
「アス ヤバト。アゲフシュルフィラス」
「ふむ……」
やはり無いらしい。というか、適当な表現が言えなかったから言った少し不自然とも思える表現「アス ヤバト」が少しの疑問もなく受け入れられたのに驚いた。テアは俺の言葉遣いに優しいのだろうか。それとも「ヤバト」は「アス」を付けられるような単語だったということだろうか。
脳内で言語解読を続けていると、テアは既に椅子に座っていた。フレンチトーストの良い香りを嗅ぎながら、俺を待っているようだった。その仕草は小動物のようで可愛い。俺もテアの向かい側の椅子に座って、手を合わせる。
「いただきます」
「イダダギマズ」
テアと俺はフレンチトーストを頬張る。俺はその出来の良さに深く頷き、テアは目を輝かせながらその味に舌鼓を打っていた。
そんな可愛らしいテアを前に俺は彼女の発音に注目していた。「いただきます」が食前の挨拶であるということは彼女は理解しているようだった。しかし、その発音はところどころ濁音化して、「イダダギマズ」になっている。これから考えられるのは、語頭と語末以外に来る音は濁音になるのではないかということだった。
考えてもみれば、これまで分かってきた単語は全てその特徴に沿っていた。これまで単語の境界が分かっていなかったが、この法則が合っているのならある程度は単語の分割が出来るようになる。例えば「アゲフシュルフィラス」は「アゲフ シュル フィラス」という形に分割できるはずだ。単語が分割できるようになったということは、これまでよりも言語解読がしやすくなるということだ。
試しに一つ訊いてみよう。
「テア、レンイル イフ?」
そういって、俺はフレンチトーストを指差してテアに訊いてみる。彼女は口にフレンチトーストを挟みながら、首を傾げる。よく考えれば、これも異世界に無いかもしれない。
「メザランワル アス アシュン」
「なるほどな……」
申し訳無さそうにテアは言う。「メザランワル」の部分は分からないが、動詞の否定を表す「アス」が付いている「アシュン」は恐らく「分かる、理解する」の意だろう。よく考えれば、これまで出てきた動詞の語尾は「ン」で終わるものが多かった。「ティラン」、「ユラン」などが挙げられる。もしかしたら、動詞は「ン」で終わるのかもしれないが、ただ「イミハト」は「ト」で終わっているので例外だ。
しゅん、としているテアの頭を撫でてやる。すると嬉しそうに瞑目した。そして、フォークに指したフレンチトーストを手前に持ってくる。
「ワル ウ レンウィル ユラン! イ ユウ ユラル イフ?」
「ヤバト」
首肯するとともに、脳内で類推をする。テアが好きなことを表すときに「ユラン」を使い、俺が好きなことを訊くために「ユラン」という似たような語形を使った。この二つの単語には関係があるかもしれない。
俺はその関係性が何なのか気になりながら、テアの食事の様子を見ていた。




