274話 アーキ茶(2) 女教師
女の先生には、幼稚園と小学校でしか受け持ってもらったことがないからわからないけれど。思春期を過ぎてからは、心持ちが変わってくるのかなあ。
60号棟の一角。
「この部屋に男子を入れたのは、ひさしぶりだわ」
各学部にある女性教師用の準備室だろう。ただ魔導理工学科で該当するのはルイーダ先生だけだから、実質私室扱いかも知れない。
「それで、お願いの件なのですが」
僕が話に乗らなかったからか、一瞬顔を顰めた。
「そこは、光栄ですと言うべきだと思うわ」
「失礼しました。実はリーリン先生から、化学科の学科長とご昵懇と聞きましたので、ご紹介いただきたいなと思いまして」
「なぁんだ。私にお願いかと思ったら、ヴェカさんにお願いがあるのか。残念」
沈黙を保つ。
「まあ、そうよね。古代エルフ語に造詣が深いのは、レオン君の方だからね。私に頼みって何かおかしいと思ったわ。それで、ヴェカさんに何を頼むの?」
訊いてくるとは思った。
「液体の成分分析をお願いしたいと思いまして。先に言っておきますが、魔導学部や僕の研究とは関係のない話です」
「液体……ねえ。君が学外でやっている、トードウ商会ってところの案件かしら?」
「はい」
「それなら、産学連携事務所に話を頼むのが、常道だけど」
「はあ。ルイーダ先生に断られたら、そうするつもりです」
「ふふふ。あいかわらず面白い子ね。いいわ。今朝ヴェカ先生をお見かけしたから、今から行ってみましょう」
「お手数を掛けます」
60号棟を出て、東へ歩く。
以前入ったことがある、光学科などがある50号棟からの校舎の並びを通り過ぎる。
南キャンパス正門前を通り過ぎて、北に折れる。
「この奥よ」
化学科は、40番台の校舎だな。
41号棟の入口の前でルイーダ先生が止まると、見上げた。
「いらっしゃるようね」
魔導感知によれば、2階に数十人の反応はあるものの、僕にはどれがどの人の反応なのかまでは分からない。アデルやウチのメイドなど、誰がどんな魔導波を出すかを知っていれば分かるが。
「驚かないのね。それぐらいはできるというわけね」
ルイーダ先生は、魔導理工学科に所属しているから学究肌と思われがちだが、魔術の使い手でもある。
それはそれとして、曖昧な態度で通す。
我ながら頼み事をしていて非礼だとは思うが、他でもないルイーダ先生だからな。僕に害を及ぼしたことはない、彼女はそう言うし、事実だが。敬して遠ざけたい。
「行きましょう」
根負けしてくれたようだ。
41号棟に入り、2階へ上がる。廊下を歩いて、学科長室と掲げられた扉をノックした。
「ヴェカ先生、ルイーダです」
どうぞという声が聞こえた。
「ここへ来るのは珍しいわね。おや、彼は?」
ヴェカ教授か。40歳代後半かな。すらっとした感じだが、少々まぶたが腫れぼったくて、くまがある。癇の強そうな感じだな。
おっ。本当にお茶好きみたいだ。白いカップが机にのっている。
教授が座って居る机の前まで近寄った。
「彼は、先月まで魔導理工学科の学部生だった、レオン君です。10月からは研究員になります」
「ああ。聞いたことはあるわ。王太子妃殿下が、わざわざ会いに来たという俊英なのでしょう。ふふっ。そう、研究員にね。リヴァラン先生(魔導理工学科長)はやり手ね」
ふむ。一瞬眉が吊り上がった。
「それで、どういうご用件かしら?」
ふむ、僕の学科を知っても話を聞いてくれるようだ。ルイーダ先生の効果だな。
「レオン君、説明を」
「レオンです。お時間をいただきましてありがとうございます」
「さあて、どのくらい時間が取れるかは話の内容次第ね」
効果は限定的か。
「化学科に液体の成分分析をお願いしたく考えております。これは、学外で僕が所属するトードウ商会という企業の依頼と考えてください」
「ふむ。それならば、産学連携事務所に話を通した方がよいわね」
「はい。そうはさせていただきますが。まずは感触をお聞きしたく思いまして」
教授はふぅんと息を吐くと、椅子にもたれると、やや見下ろすように言った。
「引き受けるかどうかは、液体の中身によるわ。現在ウチの学科で取り組んでいるのは、医薬部関連と金属関連ね。そちらには注力するけれど該当しなければ……」
やらないと。
「見方によっては前者に一部該当すると考えます。とある植物から抽出したもの、教授が好まれると聞き及びました、新たなお茶に相当するかと」
「お茶?」
「えっ、お茶だったの? レオン君」
「はい、ルイーダ先生。ああ、持参しています」
すかさず。水筒を出庫した。
水筒にしたのは、魔導収納で時間がたたないのを隠しておくためだ。
「その中に、入っているの?」
「はい」
教授の眉間にシワが寄った。
「見たいわ。そちらのソファーへ」
肩が落ちて、長嘆息した。
「ありがとうございました。先生」
ルイーダ先生に会釈したが、無視したようにソファーへ付いてきた。
いや、お帰りいただいて構わないのだが。
座って待っていると、教授がカップを出してくれた。
水筒から2客のカップへアーキ茶を注ぐ。湯気が上がった。
「あら、淹れたばかり?」
「まあ……」
「水色は薄いわね」
「僕を含め、通算7人飲んでいますが、毒性が小さいことを示すために、今から僕が飲んでみせます」
一口喫した。昨夜淹れたが、魔導収納に入れていたから特に変化はない。
「砂糖は入れないのね」
「ええ。そのままで、少し甘みがあります」
「ほう。いただくわ」
教授がカップを持ち上げた。
鼻の下で薫らせると、口へ運んだ。
「おいしいわね。ふむ、発酵はしていないようね。レオン君が言った通り、少し甘みがあるし爽やかだわ」
「それはどうも」
「この茶葉は何かしら」
「はい。これはアー……「いや、ちょっと待って。言わないで」えっ、はい」
上機嫌そうに、2口目を喫している。
痛っ。えっと思って隣を見ると、ルイーダ先生が睨んでいた。
ああ、視線が空いているカップと僕を往復しているので、あわててもう1客に注ぐ。
先生も、教授と同じようにして、喫し始めた。
「なんだろう。これは茶葉の加工の違いじゃないわね。別の植物だわ」
「たしかに」
「葉の方は持ってきている?」
「はい。とりあえず、100グラ(100g)ほど」
紙袋を出庫して、テーブルに置くと、教授は開いて中をしげしげと見て、そのあとやはり匂いを嗅いだ。
「ふむ、やっぱり焙煎しているようね。わかったわ。成分分析をひきうけるけど、無料という訳にはいかないわ」
「もちろんです。ありがとうございます。では、トードウ商会から、教授へ連絡を取るように致します」
「そうね。当座、研究というより、悪いけれど少額の寄付への対応という形で良いかしら?」
「はい」
「ちょっと待って」
教授はソファーから立ち上がると、席に戻って何かを書き始めた。
そして数分後。大学指定の便箋だ。
「これは、産学連携事務所への紹介状よ」
「ありがとうございます」
教授の部屋を辞し、41号棟を出てきた
「レオン君」
「はい」
ルイーダ先生に向き直る。
「ありがとうございました」
「そうね。ヴェカ先生を、誰が紹介したか忘れないでね」
うむ。予想以上の成果は得られたが……これは、借りを作ったかな。
ルイーダ先生と別れて、産学連携事務所に寄っていく。
むっ。この反応は。
「失礼します」
事務所に入っていくと、老境に入っているであろう男性2人がこちらを向いた。
「これは、レオンさん」
「ベネットさん。お久しぶりです」
「ええと。私に会いに来られたわけではないですよね?」
「そうです。トードウ商会絡みです」
「なるほど、では、ベルナルドさん。お願いします。私は、このレオンさんの商会の関係者ですので、担当をやるわけにはいきません」
そう。ベネットさんには、わが商会の監査役をやってもらっている。
「はい。では、私がお話を承ります」
小部屋に案内されて、化学科への少額寄付の件と、成分分析の件を説明した。
ヴェカ教授の紹介状があったので、話は円滑に進んで根回しは終了した。
学食の1階は休みだったが、2階の方は献立がしぼられていたものの営業していたので、昼食を取った。さて帰るかな。いや、せっかく外区から出てきたんだし、あっちも寄っていくか。
ファクシミリ魔術で、代表へ状況を報告しつつ馬車鉄に乗って南に向かい、冒険者ギルドの前に立った。ロビーには行かず、裏の買い取り窓口へ行く。昼過ぎだから、客の冒険者はほぼ居ない、ちょうど良い。ヘルマンさんが奥から出てきた。
3人ぐらいの待ち行列の後ろに合流した。そのとき、彼と目が合った。
「おお、レオンじゃないか。こっちへ来い」
うわっ。
並んでいた冒険者たちに、何やらかしたんだと疑いの視線を向けられる。ヘルマンさんは影響力が強いんだから、少し考えてもらいたいのだが。
やや大きめの倉庫に連れていかれた。ここで、何の話だ?
魔灯を点けると。
「ああ、閉めてくれ」
言われた通り、扉を閉める。
「ガライザーで、牙猪を大量に狩ったそうだな」
「もう、話が来ているんですか」
「ギルドを舐めるなよ。あっちで断られた狩った魔獣の解体と買い取りを頼みに来たんだろう」
「はい」
図星だ。
「上から、レオンがきっと来るから、姿を見たら総合案内に出頭させろと言われている」
あぁぁ。
「逃げるなよ。出す物を出したら、さっさと行くんだな」
14体の死骸を並べて出庫すると、呆れられてしまった。
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訂正履歴
2025/12/19 ルイーザ→ルイーダ (ferouさん ありがとうございます)




