270話 避暑地にて(9) 食の歓び
まあ、食べるために生きているようなものだし(個人差があります)。
避暑4日目は、夕方までしとしとと小雨が降り続いた。
一日どこへも外出せず別荘に居て、ふたりだけで過ごしたが、それはそれで気持ちがおだやかになって悪くはなかった。
「じゃあ、開けてみようか」
夕食後、僕とアデルは台所に居た。2人してテーブルの前に並んで、上にのせた大鍋を見ている。
「うん」
ふたの隙間に詰めた粘土を取り除き、つまみを握って力を込めた。
むう、固い。
ニチッ、ニッチと粘土の密着が剥がれる音とともに、ふたがはずれた。ブーンと鈍く共鳴しているふたを置く。
「んんん。見た目はあんまり変わっていないわね」
アデルの言う通りだ。アーキの実に大きい変色などはない。指で突いてみたが、触感でわかるほどには柔らかくなっていなかった。
「本当にできているのかなあ?」
「どうだろう」
「見ただけじゃわからないわねえ。剥いてみるね」
アデルが、ナイフで皮を剥き、4つに割った。
「種の回りは水っぽくなっているけど、他は綺麗な橙色だわ」
「じゃあ、僕が毒味してみるよ。ふふふ」
「えっ、わたしが」
「ああ、魔術士は毒に強いから、任せておいて」
「うん」
少し心配そうだ。
ひとかけを摘まんで、半分かじった。
りんごよりは大分柔らかい。
「甘くなっている。おいしいよ」
それでいて甘ったるくはなく、アデルが言っていたように爽やかだ。
「そうなの?」
アデルもフォークで刺して食べた。
そして、大きく目を見開いた。
「うんぅ……おいしい。王都で食べたアーキと同じ……ううん。もっと甘いわ。全然渋くない」
全然渋くないか……そうだ。
「それは」
「これは、何もしていないアーキの実だよ。食べ比べてみようかと」
「あぁ」
アーキの実から1/8ぐらいを切り出して恐る恐るかじる。
ムゥンンンン。
無意識に、目が閉じ唇が窄まった。あぁぁ、渋い。目の奥に警告が表示される。
「レオンちゃん。お水」
無理矢理飲み込んで、アデルが差し出したコップをうけとって、うがいをした。
「これは渋い」
「そうなんだ。私も試そうかと思ったけど……やめておくわ」
「その方がいいよ。そっちを食べて」
「うん」
変な方向に話が行きかけたけど、脱渋したアーキはなかなかにうまかった。1個を食べきったところで、アデルがもう1個剥いて結局2個食べた。
「おいしかったね」
「うん」
「へたをお酒に浸ける理由は、なんとなくわかったけど、鍋に詰めるのはなぜ? どうして渋くなくなるの?」
「鍋に詰めるのが目的ではなくて、炭酸……」
「タンサンって?」
アデルは、王都に居る裕福な子弟たちが通う合同教室で初等教育を受けたらしい。エミリアの日曜学校よりはマシとは聞いたが、そこに理科、ましてや化学という教科はないそうだ。
「炭酸ガスというのは簡単に言うと、人間や動物が吐いた息の成分なんだけど、それをすごく濃くした気体だよ。炭酸ガスにアーキの実を、曝しておくために、その気体が逃げないように、鍋に入れたのさ」
「ああ! 粘土の目張りはそのためだったんだ。レオンちゃん、賢い」
まあ、それぐらいは自分で考えないと。ブランデー、それも蒸留したままで加水をしないアルコール度数に強いやつにヘタを浸けるのも、炭酸ガスに曝したのも、古代エルフの叡智であるドキュメントにあった情報だからな。
「うーん……」
アデルが考え込んだ。何かな。
「私、アーキを使ったお菓子を作りたい」
「菓子?」
「やっぱり焼き菓子よね。パイか、マフィン、うーん、タルトかな」
おお、良さげだ。
「いつ作る?」
料理道具一式は、預かって持ってきている。ここの台所にはオーブンもあるから、菓子を作るには問題がない。ちなみに、バッグで持ってきた衣類は、ロッテさんを欺くための策だ。
「そうねえ。今日はさすがにやらないけれど。明日は、一緒に農園に行く日よね」
「うん」
確かに満腹に近い。
「それが早く終わったら、明日。遅かったら明後日かな」
「そうしようか」
ガライザーを離れるのは、3日後の予定だ。
†
8時過ぎに起きると、
アデルも横で寝息を立てていた。しかし。
大きな目が、不意に開いた。本当に勘が良いな。
「おはよ」
「おはよう。アデル」
「わたし。夏は、ここに住みたいわ。レオンちゃんに抱き付いていても、暑くないし」
おお。別荘を買うかな。
いくらぐらいなんだろう。
でも、さすがに千セシルでは買えないだろうな。だけど、それ以上の金はない。あるのだけど、持ってはいない。手持ち以外の金は代表が管理しているからなあ。まあ話してみるか。代表に言うと保養所なんて言いそうだけど。
「でも。また別に良いところもあるかも」
「そうなの?」
「うん。レオンちゃんが居るところが住みたいところだし」
別荘を買うというのは……我ながら、先走りすぎたか。
「ねえ、お腹空いた」
「そうだね。起きようか」
今朝は僕の当番だ。
「卵に山羊乳?」
「うん」
山羊乳が入ったボウルに卵を割り入れて泡立てる。そこに、砂糖を少しずつ入れて混ぜて、大きめの皿に流し入れた。
「ええ、お菓子なの?」
「うーん。ある意味はそうかもね」
横で、アデルが首を捻っている。
「ライ麦パン?」
「そう」
厚さ2セルメトに切ったものだ。
「えぇええ! いやいや」
驚いたのは、卵入り乳液にそれを漬けたからのようだ。そしてひっくり返した。
「これで、10分ぐらい置いておく」
「何、これ。見たことも、聞いたこともないわ」
「僕もそうだよ」
「じゃあ、レオって人の記憶なの?」
「そう。それで、この後は」
「ああ! 言わないで。お茶を淹れながら、どうなるか考えるわ」
そして。10分後───
「えぇ? フライパン?!」
フライパンを魔導コンロに掛けて、バターを入れる。
「おぉぉ。焼くんだ」
「うん。怜央の居る国では、フレンチトーストっていう名前だった」
バターが融けきったので、そこに液に漬けたパンをふたつ並べて入れる。ジュゥゥと腹に効く響きだ。皿に残った、液も上から注ぐ。
横を見ると、アデルの口が半開きだ。驚いている、驚いている。
「いやあ。焼き上げたパンを、さらに焼くなんて。思い付かなかった」
「そろそろ良いかな」
焼き色が付いてきたので、パンを裏返す。コンロの火勢を下げて、そしてふたをした。
「もうすぐ、できるよ」
「うん、お茶も淹れた」
別の皿に、焼き上がったパンを移し、テーブルに運ぶ。
「えっ。蜂蜜」
「いや。樹液のシロップだね」
「おいしそう、おいしそう」
「召し上がれ」
「うん」
満面の笑みでアデルが、ナイフを入れた。
「ああ。甘い。それに、バターが効いているし、卵と山羊乳がもう……天才!」
「ははは」
「止まらないわ」
やや焦っているように、もう一切れを口に運んだ。
「うん。おいしいね」
「うふふふ。自分で作ったのに、レオンちゃんたら。でもこれは良いわ。お母さんもきっと驚くわ。そうだ!」
ん?
「これってさ。レオーネにも教えてあげたらいいんじゃない?」
ああ。
名物であるカッショ芋の菓子が食べられる時期は結構長いが、さすがに夏には食べられない。大学祭の時分がぎりぎりだ。それから9月後半までは空いてしまう。
しかし、フレンチトーストは通年で作ることができる。
「じゃあ、王都に戻ったら、店長に話してみるよ」
代表は長期休暇を取っているはずだけど、商会に作り方をファクシミリ魔術で送っておこう。
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2025/12/12 表現変更 (ferouさん ありがとうございます)
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