第六話 表情の問題(解決編)
「女子トイレに金の鎖が落ちていたことですか?」
柘植がそう答えると、村田は理由を尋ねる。柘植は紙を繰っていたが、やがて笑顔で答えた
「少しぼかして書いてあるんですけど、『〈あの〉金色の鎖が落ちている』っていう文章あります。文脈から判断するとこの鎖は七海ちゃんが、朋子さんに付け替えてもらったものですよね」
「どうなの? 萌」
村田はわたしへ尋ねたが、答えに気が付いているらしい。口振りこそ真剣だったが、目は笑っている。
わたしも笑って頷いた。
「はい、そうです」
「女子トイレに金の鎖が落ちているということは、七海ちゃんが自分から着替えたという証拠になります」
「拓哉がトイレに連れ込んで無理やり着替えさせたかもしれないよ」
わたしが反論すると、みんなの苦笑が聞こえてきた。静粛に、と言うように村田はもったいぶった咳払いをすると、柘植に尋ねる。
「一応、聞いておきましょうか」
「抵抗するはずですし」
「えーと……、ハサミで脅されてたのかもよ。首筋に当てて……」
大の大人が小学生をハサミで脅し、着替えを要求する。何とも滑稽で、本当にそんなことで従うのか疑わしい。しかし反論を捻り出すのも出題者の役目である。もう勝負はついていたが、ルールなので仕方がない。わたしは心の中で呟くと、柘植に目を向けた。
笑いを噛み殺しているような顔で、彼は答える。
「もし、浅香さんの言うような状況なら、金の鎖は男子トイレに落ちているはずでしょう?」
「そうね。正解」
わたしが言うと、柘植は安堵したように息をついた。
「いやぁ、ぬいぐるみか迷いましたよ。でもぬいぐるみはどこにでも変えることが書かれてますよね?」
「そうだね」
わたしは頷くと、大月が躊躇いがちに口を挟む。
「あぁ、浅香先輩。一つ分からないことがあるんですけど……」
「うん? 何?」
わたしは烏龍茶を一口飲むと、大月へ尋ねた。
「柘植くんの会話がヒントってどういう意味です?」
「あぁ、あれね……」
論理学の話だが、大月にどう説明しよう? わたしが言葉を選んでいると、柘植が口を挟んだ。
「十分条件と必要条件だよ。これは集合論とも関わってくるんだけど……」
しかし案の定、大月は外国語でも聞いているような顔である。柘植の一言で分かるようなら、初めから聞かないだろう。
まぁまぁ、と村田は柘植をなだめて言う。
「説明は間違ってないんだけど、誰もが数学に詳しいわけじゃないんだし」
そしてわたしに目を向けると、続けた。
「ここは萌に説明してもらいましょう」
「上手く説明できるかどうか分りませんけどね」
わたしは肩を竦めると、村田は笑って言った。
「論理学って司法試験の範囲でしょ? 確実に演繹できるのはどれかって問題なかった?」
他人に教えることは自分の勉強にもなる、か。曖昧な知識を教えてしまったらどうしようか、と不安だった。しかし、誰かが指摘してくれるだろう、と思い直す。それに苦手だからと言って逃げていたのかもしれない。
わたしは腹をくくると、ナップサックから鉛筆とルーズリーフを取り出した。
「2は偶数だよね」
「そうですね」
「他にどんな可能性がある?」
「……ありません、よね?」
大月が頷くのを確かめてから、わたしは尋ねた。
「こういうふうに、他の条件がいらないのは……」
どっちだっけ? わたしはスマホを取り出してタップする。インターネットで調べていると、カンニングだと村田が囃し立てる。はいはい、と適当にあしらうと、わたしは言った。
「十分条件っていうの」
「へぇ、そうなんですか。勉強になります」
わたしは照れ臭くなったが、悪い気はしない。続けて、2、4、6、8、10……と書き付けていくと、大月に尋ねた。
「こんなふうに偶数は他にもいっぱいあるよね。つまり……」
わたしは烏龍茶を飲むと、さらに続けた。
「偶数だからと言って必ずしも2ではない。こういうのを必要条件って言うわけ」
「そうね」
村田が頷くと、複雑な笑みを浮かべて言った。
「仲がいい男女だからと言って、恋人とは限らないでしょ? 例えば……兄妹とかね」
「そうですね」
柘植はそう言うと、笑って頷く。説明を無事に終えて、安堵の息をついた。その後、話題は最近読んだ本、ドラマの話、好きな俳優など、雑談に変わっていった。そして柘植の妹について話題が及ぶと、段々空が陰り始める。
雨が降る前に帰りたい、とわたしは空を見上げた。鉛のような重たい雲が、空一面を覆っていたのだった。




