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【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
第三章 「悪夢 -syo-」
58/81

3-18 死の足音

※暴力描写がございます。苦手な方はご注意ください。

 それよりたった数十分ほど前、マリアは織田家の裏門へと腰を下ろした。もう三度目の金の受け渡しになる。真紀を待つ時間は苦ではなく、むしろここにいられることはマリアの力になるほどだった。なぜなら、愛する息子がこの中の屋敷に住んでいるからだ。少しでも近付けるこの場所は、マリアの心を温かくさせる。

 その時、普段は誰も通らないような裏門に続くこの道を、数人のネスパ人男性が横切っていった。

 関わらないように目を伏せるマリアに、一度は通り過ぎた男たちが、マリアの前に戻ってくる。

「こんなところで何してんだ? あんた」

 男たちは興味本位で近付いてきたようだが、見るからに柄が悪い連中で、少年のように若く見える。外見からして日本人とのハーフもいるようだ。

 マリアはあまり刺激しないように、そっと口を開いた。

「……疲れて歩けないので、休んでいます。ここは門柱で風が防げるので……」

 ごまかしながらマリアが言った。しかし、男たちは立ち去る素振りを見せない。

「金、持ってる?」

 マリアに向かって一人の男がそう言った。マリアは顔色を変える。

「い、いいえ……」

「小銭でいいんだ。貸してくれないかな?」

「すみません。人に貸せるほどお金を持っていません。どうかお引き取りを……」

「じゃあ金になる物をもらおうか。払えないなら身体でもいいんだぜ」

 まずい雰囲気に、マリアは立ち上がった。ここで走っても、逃げ切ることは無理だろう。また織田家の呼び鈴を鳴らすことは、今の状況よりも悪い。

 マリアは思い切って、自分の身分証を差し出した。

「私は罪人です……売れる身も何もございません。どうかお見逃しください」

 同じ立場であるネスパ人に、マリアは丁寧にそう言った。暴徒が増えている今、マリアは身の上を案ずる。

「なるほど……罪人の女を抱くのは勇気がいるなあ。俺たちもそんな落ちぶれちゃいない。ところで、何の罪だ?」

 その問いかけに、マリアは口をつぐんだ。本当のことを言えば、織田家の立場も危うくなる。

「何の罪だよ、言え!」

 男の声が、深夜の静寂を破る。マリアは静かに口を開いた。

「……交流が禁止されていた時代、日本人男性を愛してしまいました……」

 嘘は罪だというネスパ人ということもあり、マリアは伏せながらも本当のことを言った。だがそれだけで、男たちの逆上を煽るのに十分である。

「敵と恋愛なんて……これはネスパ人に対しても反逆行為だぞ!」

 言葉より先に、男の手が出ていた。マリアは一発の平手打ちで、地面へと倒れ込む。

 そこから先のことを、マリアはよく覚えていない。気が付けば殴られ、蹴られの連続だった。

 だが、ふと違和感を覚えて、マリアは意識を回復させる。腰につけていた財布代わりの巾着袋が、男たちの手に渡ったのだ。

「返して!」

 突然起き上がったマリアに、男たちは一瞬ひるんで、巾着袋をマリアに取り返された。

「まだそんな元気があったのか。大金持ってるじゃねえか。よこせよ」

「これだけは渡せません! 子供の養育費なんです!」

 とっさに出たマリアの本音に、男たちはなおも逆上する。

「そうか。子供までもいたとはな。尚更そいつはもらわねえとな」

「やめて……」

「いいか? 俺やここにいる数人は、日本人とネスパ人の間の子だ。でも日本人は俺たちを、引き取ることも援助することもなかった。ネスパ人の親も処刑されたり、俺たちを捨てたりして消えた! 子供のことを考えてみろ。おまえら親のエゴで、生まれたくもない命を授かって、ずっと生きていかなきゃならねえんだよ!」

 その言葉は、マリアの心を貫いた。

 目の前にいる男たちは、愛した亮と同じ立場であり、また息子の昇とも同じ立場である。まるで昇から突きつけられた言葉かのように、マリアは硬直した。

「わかったか? 俺たちみたいな人間を産んだおまえらみたいなクズには、たっぷり仕返ししてやる!」

 憎悪に満ちた心が、マリアという獲物を捕らえていた。

 しかしマリアはとっさに持っていた巾着袋を、織田家の塀の中へと投げ入れる。

「こいつ、なんてことしやがる!」

 容赦ない拳が、マリアの顔に飛んだ。さっきの分と合わせて、マリアの顔はすでに大きく腫れ上がっている。

「ごめんなさい……でも私にとって息子は、いつまでも大事です。命より大事です。あなたたちの親だって、きっと……」

「綺麗事言うんじゃねえよ! おまえなんてな、殺したっていいんだぞ!」

「それで気が済むなら構わない……だけどあのお金は、私の息子のために必要なんです。どうか許してください……」

 そう言って頭を下げるマリアは、男たちの怒りを静めさせた。だが、リーダー格の男だけは怒りがおさまらない様子で、もう一度マリアに手を上げる。

 まるで最後の一発かのように与えられた拳は、マリアの顔面を殴りつけ、そのまま後ろの壁へと激突させるほどの威力を持った。

「……行くぞ」

 それだけを言って、男たちは去っていった。

 運悪く、煉瓦の塀の隙間に釘が刺さっていたようだ。そこにマリアの後頭部が激突し、腫れ上がる顔とともに後頭部からも血が流れているのがマリアにもわかる。後頭部の傷はぽたぽたと地面に血を滴らせ、マリアの口から咳が零れる。

 マリアは裏門を見つめるが、まだ真紀が来る気配はない。失いそうな意識を必死に保ちながら、マリアはゆっくりと立ち上がった。

「う……」

 脳天を打ち付けられ、もはや死期を悟るほどの痛みがマリアを襲う。しかし、このままこの場所で倒れるわけにはいかない。家の前に死体を晒すような、織田家に泥を塗ることになることだけは避けなければと、怪我をしていても思った。

 真っ暗な辺りを見回し、マリアは朦朧とする意識の中で必死に考えた。

 片方は織田家の敷地で、遥か先まで高い壁が続いている。もう一方には土手があり、その先には川があるほか、近くに人の気配もなければ、身を寄せる場所もない。

(どこへ行けばいいの……このまま川に飛び込めば、私の体はどこかへ運ばれるだろうか。いいえ、それでは川を汚してしまうし、第一、最大の罪である自殺と同じになってしまう。でも、早くどこかへ行かなければ……)

 数歩歩いたところでバランスを崩し、マリアは積もる雪へと倒れ込んだ。

(しっかりしなきゃ。こんなところで倒れられない……しっかり……)

 平衡感覚を失いながらも、マリアは壁伝いに立ち上がる。そしてふと、ある場所が思い浮かんだ。

(焼場……そうだわ、焼場に行こう……あそこなら、誰にも迷惑がかからない)

 壁にもたれ、もう一度立ち直して、マリアはそう思った。

 街外れの焼場まで行けば、死んでもそのまま運び込まれて焼かれるだけだ。毎日のように、死期を悟った人間が、焼場の門前で自分が死ぬのを待っているのを、マリアも知っている。

 もし生き残っても、どのみち長くないと思い、マリアは気力だけで街を目指して歩き始めた。


 やっとのことで街外れの路地裏までやってきたマリアは、店の窓ガラスに映った自分を見つめた。

 顔が腫れ上がって変形し、咳とともに出るものは固まった血ばかり。頭から流れる血は、未だ地面に流れ落ちている。このての痛みは何度も経験しているはずだが、それでも耐えられないような苦痛が襲った。

「これで、私も終わりかしら……」

 静かな笑みをこぼし、マリアは死に場所を求めた。すでに体力の限界にきており、焼場までもつかはわからない。本能で人の迷惑にならない場所を探すが、密集した路地裏は、すべて誰かの生活居住区である。

 そうこうしているうちに大通りに出てしまったマリアは、そこで思いがけない人物を目にすることとなる。

「おつかれさまでした。最高指揮官」

 亮だった――。

 重要会議に夜中までかかっていた亮は、部下たちと食事をし、やっと帰るところである。

(亮――)

 亮の姿を見て、心の中でマリアが叫んだ。

 その時、まるでその声が聞こえたかのように、亮が路地裏にいたマリアへと振り向いた。途端、二人の目が合う。

 亮も驚いた様子で、こちらに駆け寄ろうとしたのがわかった。

 それを見て、マリアは急いで背を向け、路地裏へと消えていった。

(マリア……!)

「では最高指揮官、馬車を呼びましょう」

 マリアの背中を目で追いながら、亮は現実の世界に戻された。

「え……?」

「ですから馬車を……大丈夫ですか? 顔色が……お疲れなのでは?」

「大丈夫だよ……じゃあ、今日はこれで解散だ。僕は気分転換に散歩でもして勝手に帰るから。じゃあ……」

 言葉少なめに亮はそう言うと、マリアが消えていった方向の路地裏へと急いだ。遠目からも、マリアが大怪我をしていることがわかった。一瞬、誰かと思ったほどだ。

 さすがにネスパ人しか通らないような狭すぎる路地は、部下たちが見ている手前、すぐには通れない。それでも亮は、入り組んだ路地裏へと進んでいく。


 遂に力尽きたマリアは、細い路地裏で、倒れ込むようにして地面へ座った。そこはどこかの店の裏側となる階段脇で、大きなゴミバケツが凍てつく風を凌いでくれる。

 ひゅーひゅーと漏れる自分の息とともに、死期を悟りながら、マリアの目から涙が溢れた。

(神様……これで終わりですね。最後に一目、亮に会わせてくれたこと、本当に感謝しています。どうかこのまま、安らかな気持ちで眠らせてください……)

 マリアは路地裏の屋根の向こうにある、星空を見上げて微笑んだ。

(心残りなのは、昇のこと……だけど昇は、きっと元気でいい子にしてくれている。亮も奥様も竜様もいるから、安心よね……)

 静かな笑みを浮かべながら、マリアは目を閉じた。

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