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【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
第二章 「絶望 -ryu-」
36/81

2-25 最後の一週間

 次の日。仕事を終えた竜は、職場で帰り支度をしている篠崎に、今後のことを話した。

「本当なのか? いやに急だな」

 竜が日本に帰ることを知り、篠崎は驚いている。

「ああ。頑固親父の意向だからね。一年間、警視庁で絞られてくるよ」

「まあ出世するんだ。名誉なことだよな。でも一年後には戻ってくるんだろう?」

「亮が俺に愛想尽かさなきゃね」

「ハハハ。せいぜい不祥事は起こさないことだな」

「おまえもな」

 二人は笑う。

「篠崎。おまえにこんなことを頼むのはどうかと思うんだが……マリアのことを頼みたいんだ」

「見つかったのか?」

 篠崎が尋ねる。竜はマリアの近況がわかっても、誰にも言っていなかった。それは身内の残酷さを晒すことになる。

「ああ……小谷君の睨んだ通り、刑務所にいた。しかも、かなりの拷問を受けていた……」

 そんな竜の辛そうな顔に、篠崎はその現状が思わしくないことを悟った。

「拷問? 許されていないはずだ」

「A級犯罪者には体罰として適応されるそうだ。そんなことより、彼女はまた一から街で出直さなきゃならない。もし君を訪ねるようなことがあったら、俺の代わりに……」

「わかったよ。俺もあの子には負い目がある。知らなかったとはいえ、あの子に怖い目を遭わせたことがあるからな。その責任としても、何かあったら助けるよ」

 いつかマリアに迫ったことを悔い、篠崎が静かにそう言った。篠崎が受け入れてくれたことで、竜はほっと胸を撫で下ろす。

「ありがとう、篠崎。もう頼みはおまえしかいないんだ……これで安心して行けるよ。頼む」

「おまえ、まさか……」

 篠崎は、竜が日本に行くことが、マリアが刑務所から出ることと関係しているのだと悟り、辛そうな顔を見せる。だが竜はそれを遮るように微笑んだ。

「頼むな」

 そう言い残して、竜は役人所を出ていった。そしてそのままマリアのもとへ向かう。


 一日中、何もやることがないマリアは、投与された薬のせいもあって、未だ無気力で表情を失くし、絶望したままである。実際のマリアは、平常心の狭間に軽い幻覚や幻聴があったのも事実だった。

 そんなマリアの前に、竜は料理の乗った盆を置いた。竜の分も合わせて、そこは少し豪華な食卓のようだった。

「マリア、食事を持ってきた。一緒に食べよう」

 そう言って普通に入ってきた竜に、マリアは少し戸惑っている。

「あの……ありがとうございました。布団も料理も、そしてここを出させていただくよう取り計らってくださったそうで……」

 申し訳なさそうに言ったマリアに、竜は苦笑しながらも首を振る。

「いいんだ、そんなの。当たり前だろ。それより、そんな堅苦しい言葉は後にして、食事にしよう」

 そう言う竜の目には、壁際に溜まった料理の乗った盆が見える。すべて食べるよう言われているため、残したままでは下げてもらえないようだ。

「……残ったものは後で下げさせるよ。今まであんまり喉を通らなかったんだろう。無理して食べることはない。今は温かいものを食べよう。このうどん、俺が作ったんだ。俺もちょっと体調が優れなくてね。そういう時は、日本のうどんだよ」

 竜はそう言って、うどんをすする。

 マリアは竜の温かさに触れ、久々に微笑み、目の前の料理に手をつけた。久々の温かい食事だった。

「美味しい……」

「そうだろ? 一人暮らしが長い分、料理も好きなんだ。マリアの好きな料理があったら、明日作るよ」

 マリアは笑って、首を振る。

「これで十分です。ありがとうございます……」

 しみじみとそう言うマリアに、竜も微笑んだ。

「礼ならいらないって。それより一週間後にはここを出られるんだ。でも折角出られても、このままじゃ倒れてしまうだろうからね。きっちり食事して、また頑張らないとな」

 竜の言葉に、マリアは大きく頷く。失われていた希望が、少し垣間見えた気がした。

「はい」

 そんなマリアに、竜は安らぎとともに笑顔を零す。それと同時に、一週間後には自分が日本に帰ることは、口には出せなかった。

「そうだ。何も出来なくて退屈だろう? ポケットラジオを持ってきたから使うといい。それから、いくつかライトも持ってきた。ここは暗過ぎるからな」

 そう言って、竜はラジオをつけて、懐中電灯などのライトをそばに置く。

「いい間接照明だろ。本当は、すぐにここから出してあげたいんだが……」

 マリアは微笑んで首を振る。

「いいえ。これ以上のご厚意は、罰が当たります」

 そんなマリアに、竜は悲しく微笑んだ。

「医者に見てもらった? 調子は?」

「はい、もうすっかり……」

 まだ顔は腫れているが、白濁していたマリアの右目はすでに元のように戻っている。

 不思議な力によって外傷を治せるネスパ式の医療と、生命力と治癒力の強いネスパ人のマリアならば、その回復力にも頷ける。また医者が来たことで体力も少しは回復したようなので、竜は胸を撫で下ろした。


 数時間後。竜が家へ戻ると、竜の部屋の前には昇がいた。

「昇? どうしたんだ」

 竜は驚いて、昇に近付く。

 そんな竜に、昇は一枚の絵を差し出した。

「これ、力君と真世ちゃんと一緒に描いたんだ。おじさん、日本に帰っちゃうって聞いて……」

 差し出された絵には、竜と思しき人物画が書かれている。

「ありがとう、昇。これを渡すために、わざわざ待っていてくれたのか? 遅くなってごめんな。入れよ」

 そう言うと、竜は部屋のドアを開け、昇を部屋へと招き入れる。いつも帰りが遅いため、子供たちと会う機会は休みの日くらいで交流もあまりなかったが、こうして慕ってくれる昇に安らぎを感じる。

 竜は温かいお茶を入れると、昇に差し出した。

「ありがとう」

「いや……」

 素直に微笑む昇の表情からは、マリアを思い出させる。

「昇。最近どうだ? 家庭教師もついていると聞いたが」

 竜が尋ねる。

「うん。難しいけど、お勉強楽しいよ。力君と真世ちゃんとも、前よりずっと仲良くなったし、いろいろ楽しいよ」

「そうか。それならよかった。あ、そうだ」

 突然、何かを思い立ったように、竜は立ち上がった。そして使い捨てのカメラを手にすると、昇の顔を覗く。

「昇。一緒に写真撮らないか? 昨日、荷物の整理をしていたら見つけてね。少しフィルムが残ってるんだ。記念に撮らせてくれ」

「うん、いいよ」

「じゃあ……」

 竜は昇の肩を抱いて、カメラを持った手を伸ばしシャッターを押した。そして何枚か、昇だけの写真を撮る。しかし、すぐにフィルムがなくなってしまった。

「おっと、ここまでか。協力ありがとう、昇。さあ、もう遅いから部屋に戻ろう」

「うん。じゃあ、おやすみなさい」

 昇は頷き、ドアの方へと歩いていく。そして見送っている竜に振り向いた。

「おじさん。また雪だるま作ろうね」

 その言葉に、竜は大きく頷く。

「ああ。今度は雪合戦もしよう。たくさん遊ぼうな」

「うん! おやすみなさい」

 そう言って、昇は竜の部屋を出ていった。

 竜はカメラをテーブルに置くと、考え込むように座る。優しくていい子である昇には、幸せになってもらいたいと切に願った。


 それからも、竜は毎日、夕食には自分の手作り料理を持って、マリアのもとを訪れる。マリアも次第に笑顔を取り戻し、顔色も良くなっていった。

 それからあっという間に一週間が過ぎた。それぞれの不安や思惑を胸に、竜はマリアのもとを訪れる。

 布団は隅に畳まれ、マリアは床に正座をして竜を招き入れた。一週間前よりも、確実に血色もいい。だが、今日のマリアはいつもと違った。それもそのはず、一足先に真紀が用意した人間が、マリアの顔に化粧を施していたからである。うまく自然な仕上がりにしているが、毎日マリアを見て来た竜にとっては、その変化は一目瞭然だった。

 また、マリアは妙にだぼついた服を着させられている。竜にはその意図がわかっていた。一週間前に比べれば良くても、やはりまだマリアの身体には傷痕が残っており、肉付きもない。大きめの服は、その細さを隠すためだろう。

 竜は小さく溜息をつくと、微笑んでマリアを見つめる。

「今日はチャーハンの握り飯だ。うまいよ」

 そう言って、竜は握り飯を差し出す。竜が手料理を持ってくるのは、もはや日課となっていた。

「いつもありがとうございます……」

「いいや。さあ、食べて」

 マリアは微笑むと、静かに食べ始める。前より食欲は戻ってきたが、長年の小食もあり、まだ必要以上には受けつけない。それでも竜の作る手料理には、懸命に平らげようとしていた。

「マリア。今日はお土産があるんだ」

 竜の言葉に、マリアは首を傾げる。やがて竜は、ポケットから数枚の写真を取り出し、マリアに差し出した。そこには昇の顔がある。

「あ……」

 久しぶりに見る我が子の顔に、マリアは言葉を失い、手を震わせて写真に伸ばす。

「この間撮ったんだ。君にあげようと思ってね。もちろん昇には言っていないけれど……」

「い、いいんですか? いただいても……」

「もちろんだよ」

「ああ……ありがとうございます」

 マリアは感激のあまり、涙目になった。自分の手の中で笑っている昇は、心なしか大きくなった様子で、上等の服装を着て、凛々しく見える。

 懐かしい笑顔で見つめるマリアに、竜も微笑んだ。

「昇はいい子に育っているよ。俺への餞別に、わざわざ夜まで起きて待っていて、絵もくれたんだ。捨てられない物をもらって、少し戸惑ってるよ」

「……餞別って?」

 マリアは竜を見つめる。竜は未だ、日本へ行くことを話せずにいた。

「ああ。ずっと言わなければならないことがあったんだが……親父の仕事を手伝うことになってね。明日から一年ほど、日本に戻るんだ」

 その言葉に、マリアは目を見開いた。竜と竜の父親には確執があると聞かされていたはずで、その父親の仕事を手伝うなど、余程のことがあったのではないかと気付く。

「まさか、私をここから出すために……?」

 それしかないと思った。マリアは青褪めた様子で、竜を見つめる。

 だが竜は、静かに首を振った。

「違うよ。俺もいい加減、親父と向き合わなきゃならないと思っていてね。珍しく仕事を手伝ってほしいなんて言うから、いいきっかけだと思った。君を置いていくのは忍びないが、君は俺なんかよりずっと強い人だ。きっとやっていけると信じてる」

 そう言う竜を、マリアはまっすぐに見つめる。本質は自分の責任だと思った。だが何も言うことが出来ない。

 そんなマリアを察して、竜は苦笑する。

「本当にこれは俺の意志だし、俺は大丈夫だから、君は何も気にしないでくれ。それより君のほうが心配だ。まあ親父も真紀の行き過ぎた行動にストップをかけたから、当分の間は君に危害が及ぶことはないと思う。でも金に困ったり、真紀に何かされたりしたら、篠崎を訪ねてくれ。覚えているだろう?」

 マリアは頷いた。

「あいつは俺の親友で、気のおけるいいやつだ。君のことを頼んでおいたから、きっと力になってくれる。困ったらあいつのところへ行ってくれ。俺の代わりに……」

 ここまで気を回してくれる竜に、マリアは応えねばならないと思った。そして申し訳なさが入り交じり、土下座のように深くお辞儀をする。

「ありがとうございます。本当に……」

「礼なんてやめてくれ、マリア。新しいスタートはこれからだろう。君も、俺も」

「はい……」

 二人は静かに笑うと、食事を続けた。

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