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【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
第二章 「絶望 -ryu-」
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2-14 与え賜う権利

 竜が宿舎のドアを開けると、マリアはソファに座っていた。ドアが開くなり、立ち上がって竜を見つめる。

「おかえりなさいませ……」

 深々とお辞儀をしながら、マリアがそう言った。竜は苦笑すると、部屋の中へと入る。

「起きてたのか。ベッドで休んでいればいいのに」

「……眠れなくて」

 マリアは小さく微笑み、俯き加減でそう言った。

 竜はベッドに座ると、立ったままのマリアを見つめる。

「こっちへおいで」

 その言葉に、マリアは少し緊張して竜に近付いた。竜は優しい笑みを浮かべたまま、目の前に立ったマリアの両手を握る。

「真紀と話をしてきた。まだまだ課題は多いけれど、とりあえず一週間の猶予をもらった。一週間、休みの分の金も要求しないと約束してくれた。少しの間だが、君は身体を休められる」

 マリアは目を丸くした。

「……本当ですか?」

「本当だよ」

「でも私、約束のお金も用意出来なくて……」

「とりあえず、それも保留だ。一週間が経てば、また一日一万パニーの金を稼がなくちゃならない。それでも、しばらく休まなければ、元のように働くことなんて出来ないだろ。この部屋は君に提供するから、ゆっくりするといい」

 マリアは俯くと、涙を堪え、複雑な表情を浮かべた。

「ありがとうございます。私、どうやってお礼をしたらいいのか……」

 申し訳なさそうにそう言ったマリアに、竜は苦笑すると、マリアの頭に手を置いた。

「困った時はお互い様。律儀に礼なんかしなくていいよ」

 竜は立ち上がると冷蔵庫を覗く。中身は微塵も減っていない。

「やっぱり何も食べてないのか。遠慮しなくていいのに。でも、ちょっと買い物に行ってくるよ。ルームサービスも飽きたからな」

「それなら私が……」

「いいって。せっかく俺が作った休みだ。休んでくれなきゃ俺も浮かばれないだろ」

「でも」

「眠くないなら、とりあえずシャワーでも浴びたら? タオルやバスローブは脱衣所にあるから。今度は鍵も開けておくけど、逃げないでくれよ」

 そう言って苦笑し、竜は部屋を出ていった。

 他人の厚意を受け慣れていないマリアは、少し戸惑っていた。しかし竜の言葉が沁みて、言われた通り、しっかり休もうと思った。


 マリアはシャワーを浴びると、バスローブを着て部屋へと戻った。広いワンルームの部屋には、一通りの物が揃っている。辺りを見回すと、マリアは椅子に座った。その椅子も、今まで座ったことがないくらい柔らかく、場違いな自分に居たたまれない気持ちになる。

 その時、呼び鈴が鳴った。マリアが戸惑っていると、やがてドアが開いた。するとそこには、見知らぬ役人が立っている。その男は、竜の同僚である篠崎だった。

「あれ。ここ、織田の部屋だよな?」

 篠崎の問いに、マリアはこくんと頷く。

「ははーん。あんた、娼婦だろ」

「い、いいえ!」

 マリアは首を振って否定する。だが篠崎は信じている様子はなく、そのまま部屋へと入ってくる。

「またまた。あいつ、夜勤明けだっていうのによくやるよ。で、肝心の織田は?」

「買い物に。あの……勝手に入られては困ります」

「俺は織田の同僚だ。日本で刑事をやっていた頃からの古いつき合いでね。俺が勝手にここで寝てたとしても、あいつも怒りはしないよ。それだけの仲だ」

 篠崎はそう言うと、マリアに身分証を見せる。確かに竜と同じ部署に所属しているようだ。

「それより、あんたのほうが俺を止める権利はないね。ここは日本人の宿舎だ。威張れる立場じゃないだろ?」

 それを聞いて、マリアは俯いた。言われた通りである。

「すみません……」

「でも、俺も相手してくれるなら、良い目に合わせてやるよ」

 そう言った篠崎に、マリアはハッとした。しかし、その時にはすでに、篠崎に羽交い絞めにされている。

「やめてください!」

 必死にそう言うものの、マリアは篠崎の力に到底敵わない。

 篠崎は唇が触れ合うほどに接近し、不敵にマリアを見つめた。

「もったいぶるなよ。金なら払うって」

「やめてください。本当に……」

 震えながらマリアが言う。

 その時、冷たいものが篠崎の首筋に触れた。

「やめろ」

 篠崎の後ろには竜がいた。竜は篠崎の首筋に、ナイフを突きつけている。

「お、織田。戻ったのか」

 慌てた様子でマリアを離すと、篠崎は両手を上げて微笑む。篠崎は今まで見たこともないほど真剣で、怒り狂った竜の顔が映っていた。

「悪かった! つい手を出しそうになっただけだ。魔が差したんだな。おまえにそんなご執心の娼婦がいたとは知らなかった。もうしない。許せよ」

 そう言って謝る篠崎の胸倉を、竜が掴む。

「彼女は娼婦じゃない。俺の客人だ。今度手を出したら、いくらおまえでも許さないからな!」

「今だって本気じゃないか……わかったよ、ごめんって」

 苦笑しながらも本気で反省した様子の篠崎に、竜はマリアを見つめる。マリアは悲しげな表情を浮かべながら、不安げにその様子を見つめていた。

「彼女に謝れよ」

 竜の言葉に、篠崎はマリアへ振り返って頭を下げる。

「本当にごめんね。許してくれ」

「……はい」

 頷いたマリアを見届け、竜は篠崎の肩を叩いた。

「じゃあ、もういい。俺に何か用か?」

「いや。まあ、どうしてるかと思ってな。新しい店の情報を教えてやろうかと……」

「だったら、とっとと失せろ」

「あ、ああ。本当にすまん」

 篠崎はそう言うと、足早に部屋を出ていった。

 残された竜は、マリアの前で一礼する。

「すまない! 怖い目に合わせた……」

 その言葉に首を振って、マリアは頭を下げたままの竜の肩に手を触れる。

「顔を上げてください。私にも悪い部分があったんです」

「いや……無事でよかった」

 竜はほっと胸を撫で下ろしたようにそう言うと、山盛りになった袋から出来合いの弁当をテーブルに並べた。

「今はとりあえず弁当でいい? ここの店、健康を考えた弁当で、結構人気なんだ」

「ありがとうございます……」

 マリアは微笑むと、竜に促されて椅子に座る。竜と対面した形で、二人は食事を始めた。

 そして食事を終えると、竜は身支度を始める。

「じゃあ、またあとで様子を見に来るよ。俺は亮の家で仮眠を取ってくる」

 竜の言葉に、マリアは驚いて立ち上がった。

「それでしたら、ここで……」

 そんなマリアに、竜は苦笑して口を開く。

「心細い?」

「……いえ。でもここは竜さんのお部屋なのに、私が邪魔していては……」

 そう言いながらも、さっきのこともあり、マリアの顔は明らかに不安げな表情を浮かべている。

 竜は意地悪げに、マリアの顔を覗いた。

「知ってる? 女から怯えた顔で見つめられると、男は内に秘めた欲望が止められなくなるって」

 その言葉に、マリアは驚いた表情を見せる。竜は苦笑した。

「悪い、悪い。つい人をからかう悪い癖でね。ここは二人で住むには狭いし、なによりベッドがひとつしかない。君一人置いて行くのは気が引ける部分もあるけど、俺が居ても気を使うだけだろう。それに男女二人で居て変な噂が立つと、君の立場も悪くなるばかりだ。俺は亮の家にも部屋があるから気にするな」

「竜さん……」

「いいかい? 鍵は閉めて、呼び鈴や電話が鳴っても絶対に出なくていい。いろいろと食材を買っておいたから、傷む前に好きに調理して。その他、ルームサービスの取り方は電話のところに書いてある。その際の金のことは心配しなくていい。わかった?」

「……はい」

 説明を聞きながら、マリアは頷く。

「あと、隣の部屋にさっきの男がいる。篠崎という俺の同期なんだけど、根はいいやつだ。俺の怖さも知ってるし、もう君に危害を加えることはないと思う。もし何か困ったことがあったら、やつを頼って大丈夫なように、俺から言っておく。まあ俺は最高指揮官邸に住んでることになってるから、篠崎以外に訪ねて来るやつはそうそういない。だから安心して休んでいればいい。何か質問はある?」

「いえ……ただ本当に、ここに居てもいいんでしょうか」

「君がここじゃくつろげないというなら止めはしないけど、行くところがないなら、ぜひ使ってください」

 軽く丁寧にそう言う竜に、マリアは静かに頷いた。

「ありがとうございます。本当に……」

「もういいよ。照れ臭くてしょうがない。じゃあ行くよ。おやすみ」

「……おやすみなさい」

 静かに竜は部屋を出ていった。

 誰もいなくなった部屋で、マリアは辺りを見回す。現実感を失いそうなほど、豪華な造りの暖かい部屋、久々のベッド、有難いまでの竜の優しさに、マリアは厚意を受け止め、静かにベッドへと横になる。

 やがて、マリアの目から涙が溢れた。竜の優しさに触れられたことで、また一から頑張れる気がした。


 それから一週間、マリアは束の間の休息を取ることになった。

 日に一度は様子を見に訪れる竜は、欠かさず差し入れをし、時には医者を連れて来て、マリアの状態を見てもらうこともあった。そのおかげか、マリアの顔色もだんだんと良くなり、笑顔も多くなっていった

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