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【処女作】 ハピネスタウン物語  作者: あいる華音
第二章 「絶望 -ryu-」
24/81

2-13 駆引きと対峙

 まだ人の居ない早朝の役人所で、真紀は書類に向かっていた。キャリアウーマンを気取るには、人より多く働かねばならない。夫である亮を支えるためにも、家庭も顧みずに先頭に立つしかなかった。

 そこに、ドアがノックされる。

「どうぞ」

 すぐにドアが開いた。そこに顔を見せたのは、竜である。

「……あの子の話なら聞かないわよ」

 真紀の言葉に、竜は苦笑した。

「相変わらず鋭いな。これが出端をくじかれるってやつだ」

「何の用? 夜勤明けみたいね」

「そうだよ。コーヒーもらうぜ」

 竜は慣れた様子で、真紀の個室であるその場所に設置された機械でコーヒーを入れる。

「それで、今度はあの子がどうしたっていうの?」

「まあ、そう焦るなよ」

 コーヒーを飲みながら軽くそう言う竜だが、その顔は険しい。

 真紀はそんな竜を見つめたかと思うと、書類に目をやる。

「あいにくだけど、私はあなたと違って忙しいのよ」

「そのようだな。こんな朝っぱらから出勤とは、頭が下がる」

「本当になんなの? 早く本題に入って」

 苛立った様子の真紀に、竜は立ち上がり、机を隔てて真紀の前に立つ。そしてマリアから渡された金を机に置いた。かき集めたように、小銭も多く混じっている。

「……あの子の使者なのね。どうやらノルマは達成できなかったみたいだけど」

 苦笑しながら、真紀は金をしまう。その時、竜が机に手をつき、頭を下げた。

「この通りだ。マリアを解放してやってくれ!」

 深々と頭を下げる竜に、真紀は驚いた。

「……そんなにあの子にご執心なわけ? あなたが頭を下げるところなんて、初めて見たわ」

「お望みなら、土下座でも何でもしてやるよ」

 竜の顔は不敵に微笑みながらも、その目は鋭く真紀を貫く。

「やめておくわ。あなたのそんな姿、見たくないもの」

「じゃあ、どうすればいい? あの子の所有権がおまえにあるなら、借金してでもおまえから買いたいくらいだ」

「馬鹿ね。あなたは部外者なのよ。あなたが出て来たところで、出来ることは何もないわ。もちろん、お金を積まれて解決出来る問題でもない」

 平行線の睨み合いが続き、竜は小さく溜息を吐いた。

「……じゃあ、あの子を殺して俺も死ぬか。おまえを殺して俺も死ぬか。どっちか選べよ」

 ナイフを突き出して、竜が言った。

 しかし真紀が動じることはない。薄ら笑みを浮かべて、まっすぐに竜を見つめている。

「それは困ったわね。どちらも呑むわけにはいかないわ。どちらを選んでも、あなたが死んでしまうんだもの」

「安い芝居はよせ。俺は本気だ」

 竜の言葉に、真紀の目が竜を貫く。

「人を怒らせるのが得意なようね。相変わらずで幻滅したわ。少しは変わったのかと思ったけど」

「悪いな、癖だ。俺はおまえの怒った顔が好きだった。許せ」

「あなたも安い芝居でも打つつもり? そんなとげのある甘い言葉、私には響かないわ」

「へえ。まんざらでもなさそうだけど?」

 真紀は立ち上がると、自らも隠し持っていたナイフを竜に突きつける。

 竜は不敵に微笑んだ。

「このままじゃ、お互い相討ちになりかねないな」

「怖気づいたの? お楽しみはこれからじゃない」

「お楽しみは、すでに十分味あわせてもらったよ」

 二人は笑うと、互いにナイフを下ろした。

「馬鹿なことやってないで帰りなさい。どんなに粘っても、あなたに出来ることはないんだから」

「……そうかもしれないな。俺だっておまえと同じだ。あの子を閉じ込めて、これからあの子をどうしようかと、手を拱いているだけ……」

 そう言うと、竜は真紀から離れてソファに座った。打開策が見つからない。

「……理由は気にいらないけど、久々に真剣なあなたを見た気がするわ。遊んでるように見えて真面目なところ、私、好きだった」

 突然、真紀がそう言った。竜は軽く笑う。

「過去形か。俺はいつだって、至って真面目だよ」

 そう言うと、竜はポケットから葉巻を取り出す。だが、すぐに引っ込めた。

「そうか。ここは禁煙だったな。おまえが煙草嫌いなせいで」

 この部屋には、嫌な臭いもなければ灰皿もない。真紀の煙草嫌いを思い出して、竜は葉巻を元に戻した。

「煙草が嫌いなんじゃないわ。あなたが嫌いなだけ」

「ハハ。言ってくれるな」

「吸い過ぎなのよ」

「これでも、本数はかなり減ったほうだよ」

 互いに昔を思い出しながら、静かに語り合う。

「本当に……俺も丸くなったもんだな」

 しみじみと竜がそう言ったので、真紀は吹き出した。

「しみじみと言うこと? あなたは昔が尖り過ぎていたのよ。今でも仕事じゃ、時に鬼指揮官と呼ばれていると聞いたけど?」

「ああ……久しぶりに見た。おまえの笑っている顔」

 急に素の様子で竜が言ったので、真紀は少し赤くなり、顔を逸らした。

「なに言ってるのよ。真面目に話してるのに。それに、いつもあなたがいけないのよ。喧嘩腰で食いついてくるから……」

 いつもの顔に戻って、真紀が言う。

「そうだったな。さっきも言ったが、俺は怒っているおまえの顔が、一番魅力的で好きだった」

「……あなたも過去形ね。まあ私は、過去は消し去っているつもりよ。あなたとのこともね」

 喧嘩友達のような二人は、親戚であり、時に恋人同士だった。互いのことは、亮より知っている部分もあるはずだ。

 竜は静かに口を開く。

「……本気で好きだったよ。亮とおまえが、正式に婚約するまでは……」

 顔を逸らしてそう言う竜に、真紀は目を見開いた。互いにじゃれ合い、どこからどこまでが恋人同士の期間だったのか互いにわからないほど、二人の仲は親密だった。

 真紀は机に手を叩きつける。

「今日はおしゃべりね、竜。どれだけ粘っても、あの子を許すことなんて出来ないわ」

 そんな真紀を、静かに竜が見つめる。

「真紀。俺がどれだけおまえを愛してたか、おまえにはわからないのか?」

「もうやめて」

 真紀は騙されまいと顔を背ける。しかし竜はそのまま口を開いた。

「愛してたよ。本気で……」

「やめてよ、こんなところで! そんなこと、あなたに一度も言われたことなんてなかった」

「だから今、言ってるんだろ」

 動揺し、耳を手で覆う真紀に、竜は真面目な顔で見つめている。

「……理想の女だったよ、おまえは。人を寄せつけないほど、美人で仕事も出来て、気高すぎるほど誇りを持ってる」

「そう……じゃあ、私とあの子は正反対ね」

「どうかな。おまえとマリアは、本質の部分じゃそっくりだ」

 真紀が竜を見る。竜は尚も静かに笑って、真紀を見つめている。

「二人とも頑固だからな。一度言ったことは曲げない。脆そうで強くて、自分を持ってる。おまえだって、あの頃とちっとも変わっちゃいない」

 竜の言葉に、真紀は皮肉に笑った。

「相変わらずね。それで何人の女性を口説いてきたの?」

「真面目に聞けよ。俺はな、おまえの心配もしてんだよ。一番マリアに執着しているのは、おまえだ。あの子がもしも死んだりしたら、おまえも後には引けなくなるぞ。俺は鬼みたいになったおまえを、見たくはないんだよ!」

 真剣なまでの竜の言葉が、部屋中に響いた。指揮官室で防音設備はあるものの、そろそろ日勤の連中がやってくる頃だろう。修羅場のように張りつめたこの様子を見て、部下たちは何を思うだろう。

 やがて静かに真紀が笑った。

「綺麗事を言うのはやめてよ。私はとっくに覚悟出来てるわ。親や上に焚きつけられ、あの子を普通の何倍も憎んできた。今更、後戻りなんて出来やしない」

 一瞬、真紀の悲しげな表情が垣間見えた気がした。真紀の意志は子供の頃から、力のある両親や竜の父親によって形成されていった。マリアのことも、必要以上に憎むよう仕組まれていたのかもしれない。だが今の竜には、真紀を救うことなど出来ない。それは夫である亮の仕事だ。

 黙っている竜に、真紀が口を開く。すでにいつも通りの、毅然とした女性の顔がある。

「これだけ言っても帰らないようね。もう部下が出勤してくるわ。そろそろ決着をつけましょうか」

「ああ……」

 竜は静かに立ち上がり、真紀の出方を伺う。真紀は静かに微笑んだ。

「あなたは、どうしたいの?」

「え?」

 突然の質問に、竜がどもる。そして口を開いた。

「とりあえず、しばらくマリアを休ませたい。あの子、歓楽街にまで足を踏み入れようとしたんだ。あれだけ働いてるのに、これ以上無理をさせるのは感心出来ない」

「……あの子は今、どうしてるの?」

「俺の宿舎にいる。無理矢理だけどな。あの子は罪を認識してるよ。おまえに逆らう気はないらしい。だけど、あの子はあのまま一生、あの状態でいなければならないのか? 子供にも会えず、亮とも会えず……」

「それは当たり前じゃない。最初に決めた約束よ。あの子だって、それが子供の幸せだとわかっているから承知したんでしょう」

 竜は俯いた。真紀も立ち上がり、竜を見つめる。

「いいわ。しばらく休ませればいい。休みの分のお金も要求しない。これでどう?」

 あまりに突然の妥協に、竜は身構えた。そんな竜に、真紀が笑う。

「嫌ね。べつに何もしないわよ。ただこうでも言わなきゃ、あなたはずっとここに居座るでしょう? そろそろ帰ってもらわないと困るわ」

「……期限は?」

「とりあえず一週間。それであの子の身体も少しは回復できるでしょう。他にご質問は?」

「今後のことは?」

「それはまた考えるけど、一週間経って回復したら、また同じ生活に戻ってもらいたいわね。このままじゃ借金がかさむだけだし、そうそう仕事も休めないんじゃないの?」

 真紀の言葉に、竜は小さく息を吐いた。

「養育費の値下げは? 男の俺だって、ネスパ人としてこの街で働いても、一日に一万パニーなんてそう稼げる額じゃない」

「まだ欲張るつもり? あの子の借金が膨らむだけよ。どうせ一生かかって返さなきゃならないお金なんだから、一日一万パニーくらい苦じゃないはずでしょ。今まで出来ていたことなんだし。ただし、一週間もの猶予を無償であげるの。今後のあなたも改めて」

 それを聞いて、竜は怪訝な顔で真紀の顔を覗く。

「改める?」

「わかってるでしょ。同情するのはわかるけど、この問題にあなたが入る余地はないわ。あなたがあの子に関われば、かえって私の神経を逆なでするだけ。私だって一応、あなたのすべてを忘れられたわけじゃないわ」

 竜は目を見開くと、そっと伏せた。

「……わかってる。わかったよ」

「商談成立ね。早く出て行って」

「ああ……邪魔したな」

 最後にそれだけ言うと、竜は真紀の部屋を後にした。すべての問題がクリアになったわけではない。だがとりあえず、一週間はマリアに休息を与えられる。それからのことは、また考えればいいと思った。

 残された真紀は外を見つめた。役人所を出ていく竜の後ろ姿が見える。真紀の心は、いつでも炎で燃え盛っていた。竜との過去も、完全に忘れられているはずがない。

「馬鹿ね……」

 真紀はそっとそう言うと、仕事に戻った。

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