第35話 大乱闘!
「よしっ! 爽太! 松平との同盟を進めよ!」
「ははっ!」
殿からゴーサインが出た。
俺が担当者になって織田家と松平家の同盟締結を進めるのだ。
「フフ……さすがは我が太公望よ! 大きな絵を描いたのう!」
殿はご機嫌である。
太公望というのは、古代中国の軍師だ。
桶狭間の戦にて策を立案した俺を、太公望になぞらえているのだ。
お濃の方様が言い出したらしく、最近あちこちで耳にする。
俺としては知っている歴史をトレースしているだけなので、ちょっとくすぐったい。
さて、歴史通り松平家との同盟を進めるとして、俺だけでは心許ない。
他の人の力を借りよう。
「殿。恐れながらお願いがございます。松平との同盟を進めるにあたり、力をお借りしたい方が二人おります。丹羽殿のお力をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「む? そうじゃな……爽太一人では無理か……」
「それがしでは力不足です。それに、それがしは新参者故、松平家も信用して下さらないでしょう。しかし、丹羽殿なら織田家の重臣! こういった交渉ごとのご経験も豊富でしょう。頼りにさせていただきたく存じます」
「ふーむ。五郎左! どうか?」
俺は丹羽長秀殿にオファーを出した。
殿としても丹羽殿なら良いとお考えになったようだ。
丹羽殿は目を細めアゴに手をやり考えている。
やがて丹羽殿は慎重な口ぶりで答えた。
「そう……ですな……。あくまで浅見殿が主を担い、私が助ける立場であるのでしたらお引き受けいたしましょう」
つまりあくまでも責任は俺にあるということだ。
丹羽殿は、『力は貸すが失敗した時の責任は取らない』と宣言した。
この慎重さが逆に頼もしい。
俺は丹羽殿に頭を下げた。
「よし! 五郎左は爽太を手伝え! あと一人は誰じゃ?」
「はっ! 木下藤吉郞殿をお借りいたしたく」
「なんじゃ? サルか!」
「はい。木下殿は細かい気働きを得意としております。交渉ごとは何が起るかわかりませんので、連れて行きとうございます」
「うむ! 良かろう! サル! おるか!」
殿が大声で藤吉郞を呼ぶと、遠くから廊下を走るドタドタと慌ただしい音が聞こえてきた。
「へへー! サルにございます! お呼びでございましょうか?」
「サル! 爽太を手伝え!」
「合点承知!」
藤吉郞は仕事の中身も聞かずに返事をした。
安請け合いというか、腰が軽いというか……。
このフットワークの良さは、俺や丹羽殿にはない。
松平家との交渉で、きっと役に立ってくれるだろう。
話がまとまった―――と思ったら、柴田勝家殿が手を上げ、腰を浮かしストップをかけた。
「殿! 殿! お待ち下さい!」
「権六、なんじゃ?」
「こんなホラ吹きに騙されてはなりませんぞ! 天下だの何だのと大層なことを言って、殿を騙そうとしているのです!」
「いや、権六……。それは―――」
「なりませんぞ! 松平との同盟など簡単に結べるわけがございません! そして、天下だの! 京だのと! こやつは殿を自分の思い通り動かすために、大風呂敷を広げる騙りに違いありません!」
柴田勝家殿の訴えに、佐久間信盛殿が追随する。
「そ、そうですぞ! 殿! 美濃を攻め取り、さらに南近江など! 南近江には六角がおります! 六角は近江守護ですぞ! ご再考を!」
殿は柴田殿と佐久間殿の訴えを、嫌そうに聞いていた。
殿の気持ちは、天下に走り出した。
だが、周りがついてこないことが不満なのだ。
不味いな……、殿がいらだち始めた。
俺はすかさず柴田殿と佐久間殿に反論した。
歴史知識をフル回転させる。
「お待ちを! 南近江の六角には、北近江の浅井と同盟を組むことで対応出来るでしょう。それよりも、まず美濃です。殿は、斎藤家の先代道三入道から国譲り状を受け取ったと記憶しておりますが?」
「うむ……、義父道三の遺言よな……。新五郎が届けてくれた」
国譲り状というのは、斎藤家の先代斎藤道三が殿に美濃国を譲ると記した書状だ。
斎藤道三は、息子の斎藤義龍と不和で、最終的に討たれてしまった。
殿は斎藤道三の愛娘お濃の方を娶ったので、斎藤道三は『仲の悪い息子に継がせるくらいなら娘婿に……』と思ったのかもしれない。
新五郎殿は斎藤道三の末子斎藤利治殿だ。
国譲り状を殿に届けてくれたのだ。
今は、織田家に身を寄せている。
俺はこの国譲り状を錦の御旗にした。
「各々方! 美濃は殿が正式な後継者でございますぞ! 斎藤義龍は不当に美濃を占拠しております。松平と同盟を結んで、美濃をとるのです!」
俺の意見に丹羽長秀殿は、うむうむとうなずいている。
筆頭家老林秀貞は、アゴに手をあて考えているが、表情は前向きな印象だ。
二人は国譲り状の正当性を気に入ってくれたようだ。
だが、柴田殿は反対する。
「黙れ! 小僧! 天下だの何だのと! 殿をたぶらかすな! 殿! 美濃攻めなど無謀です!」
「|燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや《えんじゃく いずくんぞ こうこくの こころざしを しらんや》! 殿! 雀のさえずりに耳を貸してはなりませんぞ!」
俺は柴田殿の頑固さに嫌気がさして、挑発的な言葉を発した。
俺の煽りに、柴田殿が額に青筋を立てる。
「ふざけるな! だいたいそんな簡単に美濃がとれるものか!」
「ええ! 簡単ではないでしょう! だからといって諦めるのですか? 息子に討たれた道三入道の無念! お濃の方様の憂い! 我らが払わねば誰がやるのです!」
「やかましい! 誰が戦うと思っておるのだ!」
「柴田殿が臆したなら、それがしが先陣を切ります!」
「誰が臆しただと!?」
「アンタがだよ!」
「この小僧が!」
「俺は四十だ! 年は大して変わらん!」
「権六! 爽太! やめい! 誰か止めろ!」
俺と柴田殿はエキサイトして、立ち上がりつかみ合い寸前になっていた。
柴田殿を丹羽殿が、俺を藤吉郞が抑えた。
「柴田殿! 殿の御前ですぞ!」
「爽太! 落ち着け! 落ち着くんじゃ!」
俺と柴田殿は、にらみ合う。
柴田殿が『ふー! ふー!』と荒い息を吐く。
そして、俺を止める藤吉郞に視線を移した。
「ふん! 役立たずの台所奉行か! お主ら新参者は、このところ調子に乗りすぎだ! 殿に取り入るのに戦働きではなく、舌先を働かせるとはな! 恥を知れ!」
柴田殿の八つ当たりである。
藤吉郞は『へへー』と頭を下げているが、俺は聞き捨てならなかった。
「待て! 藤吉郞は桶狭間にいたぞ! 俺のすぐ側で戦った! 戦働きでなく舌先とは聞き捨てならん! 言い直せ!」
俺はグッと拳を握って、柴田殿をにらみつけた。
あの戦……桶狭間の戦は、参加した将兵全員で勝利をつかみ取った。
藤吉郞も仲間であり、栄光に浴する資格がある。
俺は本気で怒ったが、柴田殿は小指で耳をほじり小馬鹿にした。
「ふん! そこのサルは戦わずに死体漁りをしていたそうじゃないか!」
「違うぞ! 一回目の突撃の後は乱戦になり、織田軍も散り散りになった。藤吉郞は、俺や殿とはぐれたのだ」
「クッ……ハハハ! 臆病サルのことだ。どうせ、どこかに隠れておったのだろう!」
俺は自分が侮辱され否定されたような気持ちになった。
必死に戦い、仲間が沢山死んだ戦が侮辱されたのだ。
俺の中でブチリと何かが千切れた音がした。
「柴田ぁああああ! 謝れぇええええ!」
「誰が謝るか! 阿呆!」
「桶狭間の戦を愚弄するな! 藤吉郞に謝れ! 死んだ仲間に謝れ!」
「やかましい! おのれら新参者は臆病者よ! お主も! そいつも! 臆病者じゃ!」
「貴様ぁー!」
俺は柴田殿に組み付いた。
「うわー!」
「爽太! よせ!」
柴田殿を力任せに引き倒し殴りかかる。
だが、相手は実戦経験豊富な柴田殿だ。
反撃をしてきた。
広間の床をゴロゴロと転がる。
途中で藤吉郞、丹羽殿、佐久間殿、近習たちが俺と柴田殿を引き離そうとするが、俺も柴田殿も体が大きく力が強い。
プロレスで乱闘になり、止めに入った若手レスラーが吹き飛ばされるように近習が吹っ飛ばされる。
大乱闘になった。
「柴田様! 殿の御前です!」
「浅見殿! お平らに! お平らに!」
もう、分けが分からない。
「死ねい!」
「死ぬのはオマエだ!」
最後は俺と柴田殿の拳が交差し、ダブルノックアウトになり大広間にバッタリと倒れた。
俺と柴田殿が動かなくなると、殿の笑い声が聞こえた。
「ワハハ! 見応えのある相撲であった! 二人とも大儀! 大儀!」
殿は相撲ということにして、お咎めナシにしてくれた。
さすが殿!





