第32話 主戦派と穏健派
――永禄三年七月二十日。
桶狭間の戦から二月が経った。
尾張国内もようやく落ち着いた。
この二月、今川軍侵攻の後始末で織田家中は忙しかった。
まず今川軍の残党だ。
俺たちが今川義元を討ち取り今川軍本隊は四散したが、各地で砦を占拠した今川軍の別働隊の中には砦に留まる部隊もいた。
これらの別働隊に時に撤退を促す説得を行い、時に実力をもって排除し、さらに今川義元の遺体と首を引き渡すことで全今川軍を織田家領内から退かせた。
織田家は、尾張南部から西三河を平定したのだ。
次に尾張国内の反信長勢力。
織田信長――殿は尾張国内を統一したけれど、全ての国人や親族が殿に心服しているわけではない。
殿の隙をうかがっている者もいるのだ。
不届き者、潜在的な裏切り者である。
今川軍の尾張侵攻で、この不届き者どもに不穏な動きがあった。
しかし、俺たちが電撃的に今川義元の首級を上げたこと、重臣の方々が睨みを効かせたり慰撫したりしたことで、不穏な動きは沈静化した。
そして対今川戦、桶狭間の戦の論功行賞も行われた。
俺と池田恒興殿は、織田家の評定に参加出来るようになった。
つまり重臣の末席に加えられた。
池田殿は殿の乳兄弟なので当然の感があるが、俺は新参者である。
重臣の中には反対意見も出たそうだが、殿が『不満があるならば、義元に匹敵する首を持って来い!』と一喝して黙らせたそうだ。
今川義元の首をとったこと、桶狭間の戦に至る策を立案したことを、殿は非常に高く評価して下さったのだ。
さらに領地もいただけるそうだが、場所はまだ決まっていない。
というのも、今回は今川軍の侵略に対する防衛戦だったので、戦には勝ったが獲得した領地はない。
俺に領地を与えるには織田家中で色々と調整が必要らしい。
少々残念だが仕方がない。
なるたけ良い立地の領地になるように祈っている。
ちなみに今川義元の佩刀『義元左文字』は、討ち取った俺の物になったが、殿に献上した。
歴史ゲームで『名刀を集めよう!』というイベントがあったので覚えていたのだが、『義元左文字』は『天下取りの刀』と呼ばれているのだ。
殿は『良いのか!?』と珍しく遠慮しながらも喜んで受け取っていた。
俺はそんな大層な刀はいらない。
きっと振り回して折ってしまう。
実用的なそこそこの値段の丈夫な刀が良いのだ。
殿は俺に悪いと思ったのか、義元左文字献上への褒美としてタップリ銭をくれた。
又左こと前田利家は、一番槍と激戦の最前線に身を置き続けた功績が殿に認められ、殿のご勘気が解け復帰となった。
これまでは俺の弟『浅見又左衛門』だったが、晴れて前田利家として活動出来ることになったのだ。
槍の又左復活である。
桶狭間の戦に参加した兵士には報奨金が配られた。
激戦だったが生き残った兵士たちはホクホク顔で銭を受け取っていた。
大変な戦だったが、参加した将兵は十分な見返りがあった。
さて、今日は清洲城の広間で評定だ。
重臣方が居並ぶ末席に俺と池田恒興殿が座る。
議題は今後の活動方針だ。
意見が衝突し激論になっている。
「今こそ今川を討つべし! 積年の因縁に決着を付けるのだ!」
「そうだ! そうだ!」
主戦派は、柴田勝家殿と佐久間信盛殿だ。
松平、今川を蹴散らし三河と遠江に攻め込むべしと鼻息が荒い。
佐久間信盛殿は善照寺砦を守り善戦した。
殿も佐久間殿の働きをキチンと評価し褒美を与えた。
だが、佐久間殿は新参者の俺が桶狭間で決定的な仕事をしたのが面白くないらしい。
活躍の場を欲しているのだ。
柴田勝家殿は、もっと士気旺盛だ。
なにせ対今川戦では出番がなかった。
柴田殿は殿が籠城すると思ったのか、準備不足だったのか……、桶狭間の戦に参加出来なかった。
オイシイところを新参者の俺に奪われたと考えているようで、あちこちで俺の悪口を言っているらしい。
男の嫉妬、それも仕事上の嫉妬は面倒だ。
俺は我関せずと、柴田殿を相手にしないようにしている。
まあ、とにかくこの二人が主戦派筆頭で、『今川家を倒せ!』と大声で合唱しているのだ。
今川家は遠江と駿河を中心に多くの有力武将を失った。
もちろん兵数も大きく減らした。
攻め込むにはチャンスといえる。
対して穏健派とでもいおうか、戦に反対するグループがいる。
「いや、お待ちを。こたびの戦では我が織田家の被害も大きかった。ここは兵力と国力の回復に努めるのが上策では?」
「左様、左様。」
穏健派は、筆頭家老の林秀貞殿と丹羽長秀殿だ。
二人は『まずは回復すべし』という堅実な考えである。
桶狭間の戦で、織田家は今川方を二千七百名ほど討ち取っている。
同時に織田家は、九百九十人の死者を出した。
二千人の内九百九十人が死亡……ほぼ半数を失ったのだ。
桶狭間の戦がいかに激戦だったかわかる。
織田家は農民九百九十人を失った。
秋の刈り入れ時の人手不足が心配されるし、数年は労働力が回復しないので収穫量が減るかもしれない。
この時代の織田家は、まだ兵農分離が行われていない。
浅見隊が例外だったのだ。
そんな事情があるので、林殿と丹羽殿の意見は常識的かつもっともな意見なのだ。
俺と池田恒興殿は末席でジッと重臣方の意見を聞いていた。
殿も脇息に腕をのせ、主戦派、穏健派それぞれの主張に耳を傾けている。
殿が扇子で俺を指した。
「爽太! 意見を申せ!」





