第31話 間話 信長とお濃の方
桶狭間の戦が終り、織田信長は清洲城に帰還した。
翌日、信長は正室のお濃の方に膝枕をしてもらい、ウトウトとノンビリした時間を過ごしていた。
「殿、そろそろ評定が始まりますよ」
信長はゆっくりと目を開け、幸せそうに笑った。
お濃の方も信長の様子を見て微笑み、信長の頭を優しく撫でた。
「お濃……夢を見たわ……」
「どんな夢でしたか?」
「ワシが天下を取る夢じゃ……。ワシが日の本一の大将になるのよ……」
「ふふ……それは良い夢でございましたね……」
「おお!」
信長はムクリと体を起こした。
そして何かを思い出すように目玉を右上に動かし、お濃の方に恐る恐る質問した。
「ワシが……、義元を倒したのは……、夢ではないな?」
「ええ。夢ではございませんよ。昨晩遅く、義元の首と共にお帰りになりました。今川軍は散り散りになったそうですよ」
「ふうう……。そうであった……」
信長はボウッと庭を眺めた。
激戦――桶狭間の戦は信長の精神力を大きく消耗させた。
体の疲れもあり、普段は頭脳明晰な信長もさすがに気がゆるんでいた。
お濃の方は、信長を労り優しく背中をさすった。
(殿がお疲れなのも無理はない……。あの今川の大軍に、よう勝てたものよ……)
しばらくすると信長が、しっかりした声でお濃の方に話し出した。
「お濃。ワシは天下を取れると思うか?」
お濃の方は驚いた。
夢の続きだろうか?
まだ、寝ぼけているのだろうか?
それにしては、声がしっかりしている。
お濃の方は首をひねりながら問い返した。
「殿が天下を?」
「そうじゃ。どう思う?」
「殿が尾張一国の大名になったのは、最近のこと……。天下を取るとなると何十年かかることやら。わらわは御婆になってしまいます」
お濃の方は遠回しに無理だと伝えた。
「ふっ……。そうよの。だが、ワシが天下を取ると断言した阿呆がおる」
「まあ! 誰が?」
「爽太よ」
「浅見が?」
お濃の方は浅見爽太を思い浮かべた。
体は大きいが穏やかな人柄で、誰彼となく優しく接する。
織田家の新参者ではあるが、侍女たちの評判が良い。
お濃の方自身も、浅見爽太に良い印象を持っていた。
お濃の方は、そっと信長の顔をのぞき込んだ。
信長は子供が喜ぶような無邪気な表情をしていた。
「ふふ……。それは大層な話ですね。尾張のうつけの天下取りでございますか?」
「ワハハ! そうじゃろう。ワシも傑作だと思った。じゃが爽太は本気じゃった」
「まあ!」
お濃の方は驚いて手を口に当てた。
浅見爽太はゴマをするタイプではないとお濃の方は認識していた。
だから、浅見爽太は本気で信長が天下を取ると思ったのだろうと。
お濃の方は興味が湧いた。
「浅見はいつ殿に申したのですか?」
「義元を追っている最中よ。何度も追撃したが、義元の首が取れなくてのう……。ワシも恒興も弱気になった。もう、諦めて帰ろうと思った。そうしたら爽太が言うのよ。この戦が天下獲りの一里塚だと。ワシが天下を取ると」
「それは嬉しゅうございましたね」
「ああ。嬉しかった……」
信長は嬉しさを噛みしめるように目をつぶった。
お濃の方は、信長の嬉しさがわかり、笑顔で信長の背中を優しく撫でた。
「浅見はどうするのですか? 義元の首を上げたのは浅見と聞きましたが?」
「うむ。それに策を立てたのも浅見よ。丸根砦と鷲津砦を義元に差し出し油断させる。そして、奇襲せよとな!」
「それは……! では、浅見の策の通りに?」
「そうよ! 今川軍は彼奴の読み通りに動き、最後は彼奴自身が義元を倒しおった! 大した男よ!」
「唐土の太公望や張良のようですわね」
「わははは! 唐土の軍師に例えるか!」
信長はお濃の方の例えを聞いて上機嫌で笑った。
太公望は、古代中国の周の軍師である。
張良は、漢の初代皇帝劉邦に仕えた軍師で漢の三傑とされる。
普段、点の辛いお濃の方が、浅見爽太を皇帝に仕えた人物に例える。
浅見爽太が仕えているのは、自分である。
信長は、ひょっとしたら天下を取れるのではないかと夢想し上機嫌になった。
お濃の方は居住まいを正し信長に問うた。
「浅見の功績にどう報いるおつもりですか?」
お濃の方の問いに信長は腕を組む。
「うむ……。領地は……与えようと思うが……すぐには無理だ……」
「殿、ご恩と奉公ですよ」
「わかっておる。そこでじゃ。爽太を評定に加えようと思う。重臣として扱う」
「まあ! 随分な出世ですね!」
「重臣の中には反対する者もいるであろうが―――」
「気にすることはありません。桶狭間で戦っていない者が、口出しする筋ではございません」
「お……、おう!」
お濃の方は、スパンと言い切った。
あまりの勢いに信長は驚く。
こうして浅見爽太は、重臣たちと肩を並べて評定に加わることになった。





