第20話 桶狭間に備えて(永禄三年四月)
――永禄三年四月。
俺が戦国時代に転生してから、もう間もなく一年だ。
慣れたこと、慣れないこと、生活していると色々あるが、主君、同僚、部下に恵まれている。
人間関係は良好だ。
浅見隊は織田家領内の野盗を狩り尽くし、体を鍛え、バランスの良い食事をとり、近隣国との小競り合いにも出動した。
人数は三十人になり、いっぱしの部隊として動くようになってきた。
俺の指揮も良くなっている。
又左の指導の賜物だ。
どうやら殿は、浅見隊を使って常備軍の運用を試しているようだ。
戦国時代は領民兵が中心である。
領民兵は普段領地内で農業をしているので、農繁期は集まりが悪く戦が出来ない。
さらに領民兵が戦で多数戦死すると、領内の農業生産力が下がる。
傭兵もいるが、あくまで金で雇われているので、雇い主に対する忠誠心は低い。
苦戦すると傭兵は逃げてしまう。
領民兵のように郷土愛や地元のつながりがないので、苦しい時に踏ん張りがきかないのだ。
だが、傭兵が戦死しても農業生産力は落ちないし、金を積めば兵数を増やせるのは良いところだ。
一方、浅見隊は織田家領内に住む農家の次男三男以降をスカウトして人数を増やした。
郷土愛と地元のつながりがあり、死傷者が出ても農業生産力に影響はない。
領民兵と傭兵のいいとこ取りだ。
さらに体を鍛え戦闘訓練をさせるので精強な兵士――精鋭足軽が出来る。
欠点は維持費!
メシを食わせ、給金を支給する。
今は三十人だが、これが千人規模となると資金力がないと無理だ。
野盗狩りで浅見隊の装備はそろい、費用も捻出できた。
しかし、野盗がいなくなって、ボーナスタイムが終ってしまった。
織田領内の治安が良くなり、殿にも商人にも感謝されたが、俺の懐が寂しい。
駿河屋喜兵衛と組んで売り出したアロハシャツやパーカーが売れて、何とかなっている状況だ。
早く手柄を立てて領地をもらわないと浅見隊が維持できない。
槍の又左こと前田利家はソロバンを愛用し非常にケチだったという逸話を聞いたことがある。
気持ちは分かる。
沢山の人を雇って食べさせていくのは大変だ。
銭にシビアになる。
こうして俺は浅見隊の訓練と戦闘と銭闘を繰り返す日々を送り、心身ともに鍛え上げた。
食事の効果も出て、四十のオッサンとは思えぬガッシリした体格になった。
槍、刀も上達した。
残念なことに弓は技術が足りず。
馬は俺の巨体を乗せてくれる馬が見つからず。
弓術と馬術は、今ひとつの状況である。
さて、今日は殿と一緒に領地の見回りを行う。
浅見隊は護衛である。
俺は浅見隊全員を清洲城の広場に整列させ殿を待つ。
「お兄様。お気をつけて」
「うむ」
殿がやって来た。
妹のお市様がお見送りだ。
お市様が出て来たら場がぱあっと華やかになった。
浅見隊の隊員たちは、殿に緊張しつつもお市様を目で追っている。
殿が馬に乗ると、さっと藤吉郎がくつわを取った。
藤吉郎は台所奉行で、今はくつわ取りではない。
驚いた殿が藤吉郎に声をかける。
「なんじゃ? サルがくつわを取るのか?」
「へへえ! 不肖このサルめがお供をいたします! 殿の行くところ、常に藤吉郎ありでございます!」
「フフ……であるか!」
藤吉郎は顔をクシャッとさせ笑顔を作る。
殿は嬉しそうに笑った。
藤吉郎は嬉しそうに殿のくつわをとっている。
こういうところが、愛されキャラなのだ。
さすが後の太閤である。
「浅見隊のみなさん。よろしくお願いいたしますね」
お市様が浅見隊に声を掛けてくれた。
みんな頬が赤くなっているぞ。
俺は代表してお市様に礼を述べる。
「ありがとうございます! 殿の身を必ずお守りいたします。では! 出発!」
ビシッと隊列を組んで清洲城の門を出る。
清洲の町を練り歩き街道を歩く。
俺は浅見隊を指揮しながら、殿や藤吉郎と話をする。
「爽太! よう鍛え上げた!」
「ありがとうございます。足軽どもが日々懸命に己を鍛えた成果です」
「うむ! 体が二回り大きい! やはり食事か?」
「はっ! 左様でございます! 鍛錬、食事、休養を行い、特に食事は、豆、魚、肉を食すようにいたしました」
「肉か……。坊主どもがやかましいようだが、気にせず食え!」
「お許しありがとうございます」
「うむ!」
戦国時代に珍しいが、殿は合理主義者だ。
仏教で禁じられている肉食であるが、兵士の体が大きくなる――つまり戦に強くなるならば構わないという判断だ。
殿がくつわを取っている藤吉郎に話を振る。
「しかし、サルはデカくならんの!」
殿がニヤッと笑う。
殿のフリだ。
俺はすかさず話に乗る。
「いやぁ~、藤吉郎も一緒に食事をしているのですが、不思議と大きくなりません。沢山食べているのですがねぇ~。鍛え方が足りないのかもしれません」
「それはけしからん! 死ぬほど鍛えよ!」
「あいたたた……! 急に腹が痛くなってきました! ご免なさって!」
殿と俺の冗談に藤吉郎は腹が痛くなったふりをして、大げさにサルのような動きをして逃げていった。
俺と殿が藤吉郎の冗談に笑う。
藤吉郎の代わりに俺がくつわを取った。
殿と密かに話すチャンスだ。
「殿……」
俺は声をひそめ前を向いたまま殿に話しかける。
殿は俺の話し方から、何か大事な話だと気が付いたのだろう。
殿の声も低く小さい。
「申せ……」
「駿河の今川が盛んに兵を集めております」
「……」
スマホの不思議アプリ『タイマー』を定期的に見ている。
すると春先から今川家の支配地域である駿河と遠江で兵の募集が増えた。
俺と殿はしばし無言で歩く。
兵士と馬の足音だけが響く。
「爽太。確かか?」
「はい。商人から聞きました」
「……」
殿が再び黙り込む。
兵士と馬の足音だけが響く。
「来るか……?」
「来ましょう。今川義元……東海一の弓取りが来ます!」
思わず声に力が入った。
前を歩いていた又左が、心配そうに俺を見た。
「殿、戦に――」
「うむ。備えよう」
戦を意識して、俺は体温が上がるのを感じた。
ムラッとした空気が俺の周囲に立ち上がる。
又左が振り向く。
「爽太? どうした?」
「大丈夫だ!」
桶狭間の戦が近い!





