第14話 濃姫登場~訓練の意味
――十日後。
「イチ、ニイ、サン、シー! ゴー、ロク、ヒチ、ハチ!」
「「「「「イチ!」」」」」
「「「「「ニ!」」」」」
「「「「「サン!」」」」」
「「「「「シ!」」」」」
ブートキャンプ――新兵訓練は順調だ。
きちんと二列縦隊になり、全員で清洲城の周りを走る。
掛け声もきれいに揃って、一体感が出て来た。
今は夕方、仕上げのランニングだ。
清洲城に戻ってくると、きれいな女性の一行がこちらを見てクスクスと笑っていた。
殿の妹お市様だ。
美しく花がある。
「これはお市様!」
「毎日、精が出ますね。皆さんの掛け声を聞いていると、こちらも元気になりますわ」
「ありがとうございます! 恐縮です!」
お市様の言葉に浅見隊隊員もぽわーんとなっている。
何せ織田のお姫様だ。
隊員たちにしたら、雲の上の存在。
現代日本なら町でアイドルに会ったような感じだろう。
「兄上がお呼びになっていますよ」
「かしこまりました。ありがとうございます!」
俺はお市様との短い交流を楽しみ、身支度を整え殿の下へ向かった。
殿は自室でおくつろぎになっていた。
部屋の外、廊下から声を掛ける。
「殿。浅見です」
「入れ!」
スッとふすまを開けると、殿はご正室の濃姫様に膝枕をされ耳掃除をしてもらっている最中だった。
濃姫様は鮮やかな着物に身を包み、華やかな空気を発していた。
お市様が水仙なら、濃姫様は牡丹だろうか。
純情可憐な妹御と艶やかなご正室。
殿ご自身も整ったお顔立ちだが周りも凄い。
織田家は美形度が高いな。
さて、ご夫婦でおくつろぎのところを邪魔しては申し訳ない。
俺は冷静に頭を下げた。
「これは失礼いたしました。出直します」
「かまわん! 近う!」
「浅見。気にしないで良い」
殿だけでなく、濃姫様も気にするなというが……、気になるだろう。
とはいえ、ここでグズグズしていると殿の雷が落ちる。
すすっと膝行して殿に近づく。
「お呼びとうかがいました」
「うむ! 清洲の周りを朝晩走っているようだな?」
「はい。浅見隊の兵を引き連れ走っております」
「歌を歌っているが、なぜだ?」
口調が紋切り型できつく感じるが、殿は怒っているわけではない。
恐らく不思議に思っているだけだ。
「動きを揃えるためです。全員で歌を歌いながら走ることで、動きが同じになるのです」
「そうなのか?」
「はい。やってみせましょう。ご免!」
俺は立ち上がりその場で駆け足を始めた・
「織田家の♪ 足軽♪ 最強~♪」
「クッ!」
「ふふ、面白いですね!」
俺が歌い出すと、殿も濃姫様も笑い出した。
「このように歌には節がござる。歌いながら走ると、自然と節にあわせて手脚が動くようになります。全員の動きが揃うのです。そして、同じ歌を全員で歌うことで仲間であると自覚を持たせるのです。さらに歌詞により、自分が強い兵だと思い込ませます」
「なんと! そのような狙いがあったのか!」
俺は駆け足をやめて座る。
「はい。毎日、朝夕歌いながら走ることで、浅見隊の十人はまとまりが出て来ました」
「ほう! 面白い!」
殿がむくっと起き上がった。
「では、数を数える掛け声はなんだ?」
「これでしょうか? イチ、ニイ、サン、シー! ゴー、ロク、ヒチ、ハチ! イチ! ニイ! サン! シー!」
「そう! それじゃ!」
「狙いは二つござる。一つは、飽きさせないため。長い距離を走っていると飽きてしまいますから、全員で掛け声を出すことで飽きないようにいたします。もう一つは、数を覚えさせるためです」
「数を?」
殿が不思議がった。
無理もない。
この戦国時代は、意外と平民の教育レベルが高い。
基本的な読み書きが出来る人が多いのだが。
各地にある寺や旅の僧が平民にも教育を行うのだ。
だが、例外――手からこぼれる者もいる。
「数を数えるのが苦手な者もおります。例えば、下男として雇った童は、五までしか数を数えられませんでした」
「まことか!?」
「はい。その童は親を知らず。自分の年も知らないのです。さらに申せば、名もありませんでした。それがしが佐助と名付けました」
「ううむ……」
殿が腕を組んでうなった。
多分、童――佐助に同情し、自分の治世に問題がないか考えているのだろう。
平民に対しても心を配る。
こういうところが殿の美点であり、領民にあつく支持されるゆえんだ。
俺は誇らしい気持ちで、悩まれる殿を見つめた。
少し後ろに座る濃姫様が俺にご下問なさる。
「浅見。数を数えられないと兵士として不都合があるのか? 兵士は力が強ければ良いのではないのか?」
「濃姫様。数を数えられないと物見が出来ません」
物見というのは偵察のことである。
「物見……」
「はい。例えば、物見に出した兵が『敵が沢山いた!』と報告したとしましょう。沢山とはいかほどでしょうか?」
「そうさのう……。沢山だから万であろうか?」
「万でございますか! それがしは百と考えました。このように沢山では、聞いた人によって受け取り方に差が出ます。それでは軍略を立てられません。しかし、数を数えられれば、敵が十なのか? 百なのか? 千なのか? 万なのか? 大将がきちんと敵情を把握でき、的確な軍略を立てられます」
「なるほどのう。兵も数を数えられた方が良いのじゃな。それであの掛け声か?」
「はい。毎日、走りながら数を数えることで自然に身につくのです。あ! うるさければ、やめさせますが?」
「かまわぬ。殿も私も活気があって気に入っておる」
「恐れ入ります」
殿は、俺と濃姫様のやり取りを微笑んで見ていた。
濃姫様は聡明な方だ。
きちんと説明をすれば分かって下さるし、何より理解しようとする姿勢がある。
殿は濃姫様の聡明さを愛しているのだろう。
お優しい目で、濃姫様を見ている。
殿が話題を変えた。
「爽太。勘定方の仕事を手伝っていると聞いたぞ? 勘定奉行になりたいのか?」
「いいえ、違います。小遣いをもらっているのです」
「小遣い?」
「兵士に飯を食わせるのに銭が足りないのです」
何せ十人に三食。
それもこの時代としては、豪勢なメニューを出している。
肉体改造のためだが、とにかく金が掛かる。
そこで俺は勘定方――経理部の手伝いをしているのだ。
簡単な足し算、引き算、かけ算だが、俺は計算が早いので重宝がられている。
殿と濃姫は、おかしそうに笑った。
「ハハハ! なんじゃ! 小遣い銭が目当てか! 足軽どもを食わせるのに働いておるのか!」
「ホホホ! 足軽のために働く大将など聞いたことがないぞ?」
「あいつら飯をじゃんじゃん食うのです。まあ、厳しく鍛錬しておりますので、食わせないわけにもいかず。稼ぐ先から銭が出て行ってしまいます」
「そうか! そうか! なら仕事をやろう!」
「仕事ですか! ありがたき幸せ!」
何の仕事だろうか?
俺は居住まいを正して、殿の言葉を待った。
「爽太! 野盗を狩ってこい!」
「ファ!?」
俺は素で驚き、殿と濃姫をさらに笑わせてしまった。
それにしても『野盗を狩ってこい』だと?
はてさて、どうなることやら。





