97.シリル>カトリヌ>(越えられない壁)>男爵
貴族の屋敷は大まかにわかれて2パターンある。
街の中にある物と、街の外にある物だ。
ブーケ男爵のそれは、「ドラゴン・ファースト」の本拠、パーソロンと同じように、街から少し離れたところにある。
そのブーケ男爵の屋敷の少し離れた所の駐竜場にパトリシアを待たせて、俺は二人の女性を連れて、屋敷に入った。
玄関先でカトリーヌ嬢からの紹介状を見せると、出迎えた執事が慌てて中に飛び込んでいって、三分と経たない内に俺達を屋敷の中に案内した。
そして、今。
俺達は立派な応接間で、ブーケ男爵と向き合っている。
ブーケ男爵とは全くの初対面だった。
前に依頼でカトリーヌ嬢の手紙を届けに来たときは、執事が受け取ってそれではい終わりだったから、本人と会うのはこれが初めてだ。
俺はブーケ男爵をさりげなく観察した。
年齢はたぶん二十代の後半から三十代ってところ。
髪は肩に掛かる程度に長く、ジトッとにらみつけるような目をしている。
あまり陽気じゃない――というかもうすでに陰気さを感じるような性格をしていそうだ。
「紹介状は読んだ」
ブーケ男爵が口を開いた。
「私に頼みごととは何だ?」
「廃坑の再開、もしくは立ち入りの許可を」
俺はストレートに要望を伝えた。
最終的にはまとまった量のトタンを手に入れれば手段は何でもいいから、こういう言い方にした。
「断る」
ブーケ男爵は最後まで聞いたが、すげなく断ってきた。
「そこを何とか、礼金はちゃんと――」
「私がお前の要求を聞いてやる義理はどこにある?」
ブーケ男爵はビシッと言ってきた。
「……」
「これで話は終わりだ」
ブーケ男爵は一方的に話を打ち切って、立ち上がった。
「シリル様」
「ああ……」
背後から声をかけられて、俺は体ごと振り向いた。
そして彼女にかかっている擬態をとく。
すると、擬態が解かれて、カトリーヌ嬢が現われた。
ブーケ男爵は立ち上がって、応接間から退出しようとしたが、擬態解除の光に眉をひそめ、立ち止まってこっちを向いた。
そして――絵に描いたように血相を変えた。
「カカ、カカカカトリーヌさん!?」
さっきまでの陰鬱さはどこへやら。
ブーケ男爵は緊張かなにかで顔を真っ赤にして、つっかえながらカトリーヌ嬢の名前をよんだ。
そう、解除してでてきたのはカトリーヌ嬢だ。
「シリル様……」
「まあ、しばらく見守ろう」
俺とジャンヌが小声でそんなことを言い合った。
そう、この形になったのはカトリーヌ嬢の提案だ。
――ブーケ男爵に一回断らせましょう。
そんな提案をしてきたカトリーヌ嬢に擬態をかけて、予定通りブーケ男爵に一回断らせてから正体を現した。
正直、何故そうするのかは分からなかった。
……ついさっきまでは。
「カカ、カカカカトリーヌさんはどうしてここに!?」
「わたくし、すごく残念ですわ」
「え?」
「ブーケ様が、わたくしのお頼みなんてどうでもいいと思っているのですわね」
「そんなことは!?」
「いいのですわ。わたくしも無理をお願いしている自覚はございますの。あまりわがままを押しつけるのはよくないことですものね」
「あ、あうあう……」
「これからは、もう、なにも」
カトリーヌ嬢は短く文節をきりつつ、しかし微笑みを絶やさないまま言った。
「お頼みごと、しませんわね」
「――っ!?」
ブーケ男爵の表情が一変した。
誰が見てもはっきりと分かる位、「絶望」というタイトルの表情になった。
「カカ、カカカカトリーヌさん! 大丈夫です! 鉱山を用意させます」
「あら、無理してもらうのは心苦しいから、もういいですのよ」
「うわーお……」
俺の口から思わず声が漏れた。
悪女だ、悪女がいる。
カトリーヌ嬢は、完全にブーケ男爵を手玉に取っていた。
「無理な事ではありません! カカ、カカカカトリーヌさんのお頼みなら」
「あら、本当に?」
「はい!」
「そうですか、それは嬉しいですわ」
カトリーヌ嬢はそういって、にこりと微笑んだ。
「ーーっ!」
ブーケ男爵はそれだけで、まるでこの世の春が来たかの様な至福の表情になった。
「か、完全に手玉に取られてますね」
俺の横で、ジャンヌが若干引いたような感じでひそっと言ってきた。
俺も……割と同意見だ。
「で、では。カカ、カカカカトリーヌさんにご案内します!」
「あら、それには及びませんわ」
「ですが――」
「あまりそういうのはよくありませんの。嫁入り前の男と女、あのような密閉空間にいるのは外聞がよろしくありませんわ」
「――っ! そ、そうですね……」
ブーケ男爵はまたシュンとなった。
肩が落ちて、ものすごくわかりやすく落ち込んだ。
すると、そこに。
カトリーヌ嬢が「そういえば」と前置きをして、わざとらしさ全開できりだした。
「あの鉱山で、邪魔が入らないように、誰かが周りを完全に人払いしてくれると楽ですわね」
「ーーっ!」
「でも難しそうですわね。そんなの、出来るような人間は存在しない――」
「お任せ下さい!!!」
顔を上げて、パッ、とカトリーヌ嬢に迫るブーケ男爵。
「あら? 何か心当たりがございますの?」
「人払いでしたら私にお任せ下さい! ネズミ一匹として通しません」
「そんな、ブーケ男爵ほどの方にそんな事をしてもらうのは申し訳ありませんわ。ここはやっぱり、他のだれかに――」
「やらせて下さい!! カカ、カカカカトリーヌさんのお役に立たせて下さい! やりたいです!」
「本当に?」
「はい!」
「本当の、本当?」
「是非!!」
「そうですか、では、お願いしてもよろしいかしら」
「ーーっ! お任せ下さい!!」
ブーケ男爵はますます嬉しそうな顔をして、応接間から飛び出した。
廊下で部下を大声で呼び、命令を飛ばした。
「いや……すごいものをみた」
「はい……」
俺とジャンヌは今見た光景に感嘆した。
気難しい、そしておそらくは結構な地位にいるブーケ男爵を、完全にコロコロと手玉に転がしたカトリーヌ嬢。
それは一つの才覚で、俺は純粋にすごいと思った。
一方、ブーケ男爵がいなくなったあと、カトリーヌ嬢は振り向き、俺の前に戻ってきた。
「これでよろしかったですか、シリル様」
「ああ、助かったよ。無理な頼みをしてすまなかった」
楽勝ではあったが、それは二人の関係性によるもの。
むしろああいうやり方をした分、本来は難しい話だった。
それを、横車を押し通してくれたカトリーヌ嬢に感謝した。
「そんな! 無理などではありませんわ、シリル様のお役にたてて、わたくし……嬉しいですわ」
「うん、それでもありがとう」
「はい……」
俺に褒められたカトリーヌ嬢は、乙女の顔で小さくうつむき、上目使いで俺を見あげてきた。
「傍から見れば不思議な力関係ですね……」
横でぼそりとつぶやくジャンヌ。
それはまったく、同感だった。




