婚約破棄のクライマックスを先に片付けた結果
「ルーシア・サンシール公爵令嬢! 君との婚約を破棄する!」
王宮の庭園で開催された宴の席で十二歳になったばかりのエリック王子は高らかに宣言した。
ザワリ
周囲は一瞬固まったようになり、直後にザワメキが広がった。
「……エリック! 何を……!」
エリック王子の母であり側妃であるイザベラが慌ててエリック王子に駆け寄る。
父である国王は一歩も動かないまま、エリック王子に尋ねた。
「エリックよ。その意思は、確かか?」
「はい! 父上! 僕は、あのような地味で暗い女は好きじゃありません!」
「……そうか……」
エリック王子とルーシア・サンシール公爵令嬢の婚約話は、顔合わせから2日で取消しとなった。
本来であれば、王侯貴族が集まる宴で、二人の婚約が決まったことを発表して、その後、正式な婚約手続きの書類が交わされる予定であった。
その為、宴の席でエリック王子が叫んだ時点では、まだ二人の婚約は成立してはいなかった。
婚約破棄をされれば、ルーシアにとって瑕となるが、正式文書には記録はされない。貴族の間で多少の噂になるだろうが、まだデビュタントもしていない、子供同士のこと、とそのうち忘れ去られるだろうと思われた。
ルーシアの兄、グレッグはエリック王子の態度に怒りまくり、エリック王子の側近候補を辞退した。
父、サンシール公爵も、今後エリック王子の後ろ盾になることはない、と宣言した。
ルーシアが公の席で侮辱された事に落ち込む母にルーシアはそっと寄り添っていた。
しかし、ルーシアは自室で一人になった時、窓から星空を眺めながら口の端を上げた。
「計画通り!……これで、逃れられるはず!」
ルーシアは転生者だった。ある日前世の記憶を取り戻したルーシアは、この世界が乙女ゲームの世界で、自分が断罪される悪役令嬢だという事に気がついてしまった。
舞台は、ルーシアが十五歳になり王都の学園に入学してからだ。ルーシアの婚約者であるエリック王子は、学園で平民として育ったという男爵令嬢と懇意になり、ルーシアは男爵令嬢に嫉妬して嫌がらせをし、卒業パーティーで断罪され、婚約破棄されるという物語だった。
その上、ルーシアは国外追放され、公爵家は取り潰しとなるのだ。全く冗談ではない。
前世の記憶が蘇ったのだから、不幸な未来は避けなければならない。
ルーシアは思い切って、朝食の席で、家族に前世の記憶について打ち明けた。
両親は当惑した顔をし、兄はモグモグと無表情に朝食を食べていた。
「ルーシア、今日が顔合わせだから、不安になって夢でも見たのね」
「え? 今日?」
時既に遅し、か。その日は、エリック王子とルーシアの婚約を前提とした顔合わせで王城に向かう日だった。まだ正式に婚約の書類は交わしてはいないが、相手は王家だ。ここまで来てしまうと、もうよっぽどの事がないと婚約をなかったことには出来ないだろう。
(ああ! 何故? 何故もっと早く前世の記憶が、戻らなかったの?)
例えば、前世の記憶が蘇るのが1日早かったとしても、既に「顔合わせ」はお膳立てされた後であり、避ける事は出来なかっただろう。しかし、何らかの作戦を考えるなど、抗う時間が欲しかった。ルーシアは悔しがる。
ゴクゴク
カチャ
早々に朝食を平らげて、お茶を飲み干してカップを置いた兄グレッグ。
カップを置いた時、少し音を立ててしまったので、母の目がキラリと光ったが余り気にしない。
「俺も側近候補で、何度か会ったけど、結構我儘な印象だったな。あの王子……」
「グレッグ、不敬ですよ」
「臣下の者は仕える主が間違っていれば諌めることもする必要があるんですよね?
それなら、『我儘』を『我儘』と言って不敬にはならないと思うんだけど……」
「……」
母が思わず黙ったところで、グレッグはルーシアの方に顔を向けた。
「ルーシアの話を聞いて、あの王子なら婚約破棄宣言とか、しそうだと思ったよ」
「そう、ですか……」
ルーシアとしては王子が「良い奴」でも「我儘な奴」でも、将来断罪してくる相手なら、大差ないのだが、それでも、最初から印象悪そうなのも、気分が重くなる。
「そもそも、ですけど……。
エリック王子は側妃イザベラ様の子で、第二王子ですよね。ルーシアが婚約して、我が家にメリットはあるんですか? 王妃になるというわけじゃないんでしょう?」
グレッグは、少し真剣な顔をして父、サンシール公爵に尋ねた。サンシール公爵は口元をナフキンて拭いてからグレッグを見返した。
「エリック王子に後ろ盾が必要だからと頼まれたのだ。側妃の子で後ろ盾が弱いと、それこそ、王太子となる可能性が薄いからな」
「えー、第一王子を差し置いて、王太子、ですか? あるのかなぁ。王妃様の実家って、レオニダス公爵家ですよね? 後ろ盾も充分じゃないですか。第二王子にサンシール公爵家がついたって、勝ち目なさそうですよ。しかも……」
グレッグは、運ばれてきたデザートのイチゴをパクッと食べて飲み込んでから口を再び開いた。
「我儘でプライド高い、勉強嫌い、なんですよ」
「……」
「『泥舟』じゃないと、良いなあ……」
クピクピと冷めかけた紅茶をグレッグが飲み干す音だけが聞こえた。
サンシール公爵家の面々は黙り込んだ。
「……しかしだな。
今更婚約話をこちらから断る訳にもいかないのだ……」
暫く黙って考え込んでいた父、サンシール公爵が漸く口を開いた。
ルーシアはパッと顔を上げて父を見た。
「お父様……。それは……、あちらから断られるのは構わない、という事でしょうか?」
「『構わない』とまでは言わん。ルーシアの経歴に瑕が付いてしまうからな。
だが、それ以外で言えば、元々我が家にはあまりメリットが少ない縁談だ。
その上、ルーシアの『予知夢』?のような事が予想されるなら、婚約話を考え直せるならそうしたい、と思ったのだ。すまんな。先に王子の人となりなども良く調べて検討をすべきであった」
「いいえ……」
ルーシアは、その日の顔合わせで、何とか相手から拒絶の言葉を得られないか、と画策することにした。
まず、容姿だ。
本来なら、普段以上に美しく飾り立てて王城に送り出されるはずであった。侍女達も張り切っていたのだ。
しかし、ルーシアは侍女達にも事情を説明し、「公爵令嬢として最低限の品は落とさず、不敬にならないレベルに野暮ったく見せる大作戦」を決行した。髪の艶は極力出さない整髪料を塗り付け重たい印象にし。眉を太く、整っていない風に書き足し、ソバカスを書き足し、顔色と唇の色をワントーン暗くした。
ドレスの下に布をぐるぐるに巻いて寸胴に見えるようにした。
顔立ちはルーシアのままであるが、会った時の印象が異なる。そして、喋り方もオドオドした話し方をすることにしたのだ。
準備を整えて、王城に向かう途中、色々考え過ぎたからか、ルーシアの気持ちに少しだけ迷いが生じてきた。
エリック王子から「婚約解消」の言葉を引き出す作戦の方針は変わっていないのだが、わざと野暮ったくして相手の前に出るのは、自分を偽っていて、誠実でないのではと思えて来てしまったのだ。
馬車に一緒に乗っていた家族に揺れた気持ちを打ち明けると、兄は何でもないように言った。
「正直、今のルーシアも可愛い。もっと野暮ったく塗りまくるとかすれば良かったのに、と思うよ。その位だと、寝起きのルーシアと変わらないじゃないか。だから偽ってるって程じゃないから安心しな」
父も母もウンウンと頷いている。「寝起きと変わらない」と言われ、ルーシアは内心ショックを受けた。しかし、偽っている程ではないと言われ、罪悪感が減った。
そうこうしている間に、王城に着き、庭園に案内をされた。
そこには憮然とした様子の少年が居た。
ルーシアをジロジロ見てから、小さく溜息をつく。
「サンシール公爵家が長女、ルーシアでござい「いいよ。そんなの」」
ルーシアが挨拶をしようとすると、ルーシアの言葉を遮り、エリック王子はクルリと背を向けた。
「え?」
「どうせ、婚約は決まり、なんだろ?
なら、こんな時間、無駄じゃないか。僕はもう行くから勝手にやっててよ」
これは、想像以上に我儘ボーイだ、とルーシアは思った。自分の姿を偽るとかどうとか、あれこれ思い悩んだ時間を返して欲しい。
ルーシアが「通常通り」着飾っていたら、王子の態度も少しは違っていただろうか。
いや、気に入った容姿でなかったとしても、この態度は流石にない。
ルーシアは、瞬きをして一瞬頭をフル回転させた。そして、数歩踏み出し、エリック王子を呼び止めた。
「待ってください。殿下、もしかして、婚約破棄をお考えですか? お願いです、殿下! 婚約破棄などしないでください!」
ルーシアは喉から搾り出すようにして縋るように言った。
「ふん!」
エリックは鼻を鳴らした。こちらに顔を向けないが、反応あり! ルーシアは、キュッと唇に力を入れた。更に縋る。
「……もし……、婚約破棄するとしても、人のいない静かな場所で、お手続きをしたいです!
大勢の見ている前で婚約破棄などされたら、わたくし……恥ずかしくて、死んでしまいます!」
「はっ。……それなら恥ずかしさをたっぷり堪能すると良い」
エリック王子はルーシアをチラリとだけ、振り返り、意地悪な笑みを浮かべた。
涙目で縋るように見つめるルーシアを鼻で笑ったのだった。
そして2日後の王宮の庭園で貴族達を集めて開催された午後の宴の席で、エリック王子は、皆の前で高らかに婚約破棄を宣言したのだ。
エリック王子の宣言を聞いた時、ルーシアは思わずガッツポーズをしてしまいそうになった。
ルーシアが拳をギュッと握り締め、肩を震わせていたのは、傍目から見ると突然の婚約破棄宣言にショックを受けたからだと思われただろう。
しかし、実情は、作戦がドンピシャで成功した喜びの為だった。
かくして、エリック王子とルーシアの婚約話は白紙となった。婚約話自体が、なかった事になったが、王家が再び思い直して婚約を申し込んできたりしないうちに、サンシール公爵は、ルーシアの婚約者を大急ぎで決めた。
温厚で、経営する商会も順調な伯爵家の嫡男だ。
正式に他の者と婚約を結んでいれば、王家と言えど横槍を入れる事は出来ない。
だが、念には念を入れ、貴族の子息子女が王都の学園に入学する年齢になって、ルーシアと婚約者であるシラー伯爵家嫡男コンラートの、二人は学園入学免除試験を受け、外国に留学した。
既に学園卒業相当の学力があると認められる入学免除資格であった。
留学先でルーシアとコンラートは、ゲームのような展開に悩まされる事もなく、楽しい学生生活を送った。
一方、ゲーム中のヒロインの男爵令嬢は、学園に入学してみてから、首を傾げた。
「え? 悪役令嬢の髪の色が違う? 記憶違いだっけ?」
モラン男爵の庶子で最近父である男爵に引き取られたエマリアは、転生者だった。
男爵家から迎えが来た日に、前世の記憶が甦り、ここが、乙女ゲーム「花と剣と魔法と私」、通称「花剣」の世界だと、気がついて狂喜乱舞した。
幼い頃から周りに揶揄われて嫌だったピンクのふわふわ髪も、自分がヒロインだったからだと知れば、自慢の髪となった。
学園入学が間近な年齢で引き取られ、入学は一年遅らせて基礎的な学習を終えてからにするかと言われたが、ゲーム展開の為に必死で、読み書きから勉強した。
何とか学園に入学出来たわけだが、目指していた、攻略対象の王子と一緒に、歩いている令嬢の髪は、ゲームだと銀髪の縦ロールだったのだが、紅茶色の緩やかな巻き毛だったのだ。
首を傾げながらも臆している暇はない。
早速、入学式のイベントをこなす事にした。
入学式が終わった後、講堂の前の広場には多くの人が、集まっていた。入学式の為にやってきた祖父母と顔を合わせて、祝いの言葉を受け取る人や、普段遠方に住む知り合いと挨拶を交わす人など色々だ。
エリック王子と隣の令嬢も講堂前広場で誰かを待っているのか二人並んで佇んでいた。
エマリアは、走り出した。令嬢が立っている方から近づいて行って、令嬢の近くで転ぶのである。
「キャアッ……、……え?」
令嬢の、目の前で転ぶヒロイン。エリック王子は優しく手を差し出して助け起こしてくれる、はずだった。上手く行けば、下位貴族だからと馬鹿にした悪役令嬢が足をかけたなんて、疑惑も付くはずなのである。
それなのに、転びかけたエマリアの腰をガタイの良い騎士がヒョイと抱えると、あっという間に王子から少し引き離された位置に、移動させられた。
「エリック殿下とリシュリュー侯爵令嬢の前である。お控えを」
「え?」
悪役令嬢の名前が違う?
驚いてポカンと立ち尽くすエマリアを放置して、王子達は移動を始めた。
「大丈夫だったかい? ローザ」
「ええ、何でもありませんわ。……でも、あの人……」
「何だ? 知り合いか?」
「いえ。先程、入学式が始まってから、講堂に入ってきた方ですわ」
「騒がしかったアレから」
「ええ……」
関わるまい、とでも言うようにスタスタと二人はエマリアから遠ざかって行った。
「おかしい.おかしい……」
初回イベント「入学式に遅刻して元気よく講堂に入って行き、『元気な子だね』と王子に微笑まれる」
2回目イベント「講堂前広場で転んで王子に助け起こしてもらう」
両方とも不発であったが、エマリアはまだ挫けなかった。
3回目イベント「木の上から降りられなくなっている仔猫を助けようとして、クールな宰相子息に『優しい子だね』と言われる」
を実践しようとした。しかし、肝心な木の上の仔猫が見つからなかった。それなら、仔猫を見つけて木の上に乗せればよい、と考えた。
考えた時は、「なんて天才!」と自画自賛していたが、実際に仔猫を見つけて連れ去ろうとした時、親猫の怒りを買って引っ掛れ、挙句、目撃者による通報で、猫の飼い主だった教頭に大目玉をくらった。
懲りずにに第4、第5のイベントにチャレンジして、とうとう父である男爵にまで連絡が行ってしまい、危うく入学早々に学園を去るところだった。
「なんで、なんで、なんでー?」
教室の窓から、外でぶつぶつ言っているエマリアの様子を眺め、ローザはホッと安堵の息を吐いた。
「どう見ても、から回ってるわね。これなら……、大丈夫そう……」
教室にエリック王子が入ってきてローザの姿を見つけると笑顔で片手を上げた。
「ローザ、もう、帰るだろ」
「ええ。帰りましょう」
扇で口元を隠してローザは微笑んだ。エリック王子がローザに近づいて、手を差し出したので、ローザはその手を取って立ち上がった。
ローザ・リシュリュー侯爵令嬢。彼女もまた転生者だった。
前世の記憶が蘇り、この世界がゲームの世界だと、気がついたが、自分の名前はゲームには出て来なかったから、完全にモブだと思っていた。
しかし、十二歳の時、婚約が、決まったと父親に言われて、相手の名前を聞いて驚愕した。
第二王子エリック王子。思いっきりゲームの攻略対象の名前である。
まさか、何かのバグで自分に悪役令嬢の役回りが回って来たのかと、卒倒しそうになった。
しかし、ローザに婚約話が巡ってきた経緯に、エリック王子の「やらかし」があったと、その詳細を聞き、クライマックスの「婚約破棄」場面は、既に終了していたのだと、直感した。
何しろ、相手の公爵令嬢の名前はちゃんとゲームの悪役令嬢の名前で、王子がまだ正式に婚約してもいないのに、公の場で婚約破棄を叫んだとして、婚約話は立ち消えとなり、公爵令嬢は早々に他の令息との婚約を決めたというのだ。
明らかに、公爵令嬢が初期ゲーム離脱を図ったのだろう。
何と恐ろしい。敵に回したくない、とローザは息を呑んだ。
エリック王子は盛大にやらかし、既に王位継承の目はなくなったと言われている。ローザの家に婚約の打診が来たのは婿入り先としてだった。ローザは一人娘なのだ。
エリック王子は、「やらかし」後、こっぴどく叱られ、次にやらかしたら一代限りの男爵か幽閉だと、国王に言われたそうだ。
そして、婿入り修行の為に、リシュリュー侯爵領で一緒に生活する事になったのである。
今ではすっかり仲良しである。
学園入学後、ヒロインらしき令嬢が彷徨いているので、戦々恐々としたが、無理矢理イベントを起こそうとして、空回りしているように見えた。恐らく彼女も転生者だろう。
少し残念だったのは、学園に入学したら会えるかもしれないと、期待していたルーシア・サンシール公爵令嬢に会えなかったことである。
噂によると、婚約者と共に留学していると聞く。恐らく、ゲームの展開を完全に避ける為だろう。徹底している、流石だ。
いつか会えたら是非話してみたい、と思うのであった。
「ローザ、どうした?」
「いいえ。……ふふ」
心配そうなローザを見つめるエリックを見て、ローザは微笑んだ。




